奇妙な世界を彩った音楽たちは初めてか、2度目か?

 フジテレビが色々と残念な事案が続き、その残念さ自体には基本的に擁護の余地もないのだけれど、『ワーズワースの冒険』であったり『ボキャブラ天国』であったり、かつては確実に私の人生を潤してくれる番組がたくさん放送されていたことは事実で、今もドラマやアニメ作品に限らず、少しでも気になれば初回放送くらいはとりあえずチェックしていて(これはフジテレビに限った話ではないけれど)、テレビの時代の終焉は理解しつつも、体のどこかに今もテレビっ子の火はくすぶっているようである。

 さて、好きではあったが番組が終了してしまったり、欠かさず視聴するほどのものではなくなったり、もっとひどいと「二度とこんなもの観てたまるか!」と匙を投げたものまであったりするなか、何度か見逃してしまったものはありつつも、フジテレビの番組で初回からいまだに視聴し続けている唯一の作品となったのが『世にも奇妙な物語』である。まあ、現在の放送は年に2度ほどの特番のみなので、他のレギュラー番組とは事情も異なるのだけれど、もともとオムニバス作品が好きであることや、制作陣が「奇妙」の枠に入ると判断さえすればどんなジャンルでも(もちろん、地上波放送できる内容に限られるだろうけれど)映像化してきたために油断ならないこと、そして「フジテレビに映るタモリさん」を定期的に摂取できることから、視聴をやめることができずにいる。おそらく、『世にも』が幕を下ろした時が私にとってのフジテレビの完全な終焉となることだろう。

 そんな『世にも』であるが、昨年の11月10日に放送された『’18秋の特別編』での『幽霊社員』(主演:佐野史郎勝地涼/脚本:赤松新/演出:星護)において、映画『グッバイ、レーニン!』(2002年/監督:ヴォルフガング・ベッカー)のサウンドトラック(音楽はヤン・ティルセンが担当)が使用されていて、そういえば『グッバイ、レーニン!』も奇妙な世界の物語と言えなくもない作品かもしれないなと思った(『幽霊社員』そのものとの関連性はないけれど)。

 『世にも』のBGMに他の作品のサウンドトラックが使用されることはよくあって、たとえば『21世紀21年目の特別編』(2011年5月14日放送)での『ドッキリチューブ』(主演:坂口憲二/脚本:正岡謙一郎/原作:小林泰三/演出:石川淳一)では、テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』のサウンドトラックが多用されている。『未来世紀ブラジル』もまた「奇妙な世界の物語」と言えそうな作品だった。逆に『15周年の特別編』(2006年3月28日放送)での『イマキヨさん』(主演:松本潤/脚本:中島直俊/演出:植田泰史)で楽曲が使用された映画『Stereo Future』(2000年/監督:中野裕之)は、一応製作年からすれば近未来(それも超のつく近未来である2002年)を舞台にしてはいるものの「奇妙な世界の物語」とは言い難い作品である。このように、元から奇妙な世界を彩っていた音楽が再び『世にも』の世界で奇妙さを演出することもあれば、奇妙さとは縁遠い世界を彩っていたはずの音楽が『世にも』に招かれて新たに奇妙さを演出していることもある。

 元号が令和へと替わって一発目の『世にも』は、6月8日(土曜日)に『’19雨の特別編』として放送される予定だが、今回もどこかで他作品の音楽が使用されるかもしれない。その場合、「これはある意味“奇妙な世界は二度目”の音楽」「こちらは“奇妙な世界初参加”の音楽」なんて聞き分けをしてみるのも一興だろう。

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3~4ヶ月に一度、非常に緊張しながら口を開ける

 「歯医者での楽しみは女性歯科衛生士の身体が密着してくること」などと言ってのける者がいるようだが、倫理的な問題以前に、歯の治療中にそんなことを楽しむ余裕があることに驚く。私はもう何年も治療自体はされておらず、定期検診とそのたびのクリーニングをやってもらっているだけだが、それでも何やらちゅいーんと音をたてている器具で普段の歯磨きだけでは落ちにくい汚れを落としてもらっている際、油断して「へっくしょん」などとやってしまって落としてはならない血肉まで削ぎ落とされてしまったらどうしようなどと想像してしまうわけで、流血の惨事を防ぐためにも、こちらは可能な限り適切な姿勢をとり続けなければいけない。「少し顔を横に向けてください」といった指示も聞き漏らしてはいけないし、慌てず騒がず速やかに顔を横に向けるため、集中力を切らすわけにもいかない。そんな緊張状態のなかでも、いやらしい触れ合いに心躍らせる余裕を持つ人間というのは、おそらく本人たちが思っている以上に助平な人種である。

 だいたい治療ともなれば、相手の手には注射器やら歯を削ったり抜いたりする道具が握られているわけで、下手な行動をとれば刺してはいけない場所に刺されたり、削ってはいけないものを削られたり、抜いてはいけないものを抜かれたりする危険性が充分にある。そんなことも想像できないのであれば助平である前に相当の阿呆であるし、想像できていてなお卑猥な楽しみに耽るというのであれば助平である前に病的なマゾヒストの可能性がある。そういった方は『リトルショップ・オブ・ホラーズ』のような歯医者にかかることをお勧めする。

 私は今のところ、削ぎ落としてはいけないものまで削ぎ落とされてしまったことはないので、歯科衛生士に一線を越えさせてしまうような迷惑行為はしていないはずである。緊張状態が続くゆえに、定期検診に向かうのは良い気分では決してないが、極端に痛い思いをしたこともない。ひょっとすれば、歯医者で痛い思いをしたことが多い人というのは、歯医者さんから好ましく思われていないタイプの人なのかもしれない。

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ケーキも甘いがガソリンも甘い(らしい)

 私が3歳の頃、誕生日でもクリスマスでもなく、その他なんらかの記念日等でもない日に、伯母が大きなものではなかったがホールケーキを持って現れたことがある。当時からさほどケーキが好物だったわけでもなく、他人からの贈与品に対してやけに警戒心を発揮する可愛げのない幼児であったことは、頻繁に交流のあった伯母も知っていたはずなのだけれど、そんな伯母がバタークリームメインの少々安っぽいケーキも持って来たのは、たまたまガソリンスタンドの景品で当たったからだった。

 馴染みの薄い者からの土産だと、下手をすれば近づく素振りすらみせないこともあった幼児期の私だが(2歳くらいの頃、とある親戚の持ってきた焼き菓子が一緒に来ていた従兄弟が箱の上から触りまくったせいで無残な姿になっていたことがあり、どうもその一件から妙な警戒心が芽生えてしまったらしい)、しょっちゅう会っている伯母がガソリンスタンドで当てたものだと知り、さほど警戒することなく頂いたのだが、味のほうはさっぱり覚えていない。

 おぼろげな記憶だが、私の幼児期くらいの頃、ガソリンスタンドではケーキのプレゼントというのが結構あったように思う。実際にスタンドの景品のケーキを食べたのは伯母の一件のみだが、スタンドに「~リットルの給油でケーキが当たる」といったのぼりが立っているのを何度か目にしている。現在の私は、意地でも自分の車を持とうとしない大の自動車嫌いの人間に育ってしまったため、最近のガソリンスタンド事情には疎く、こういったサービスが今も頻繁に行われているのかどうかは知らない。新聞に載っている自動車販売店のイベント等の広告には、親と共に訪れる子供の気を惹くためか、ケーキやアメリカンドッグといった食品も用意している旨が書かれていたりするが、ホールケーキのプレゼントが行われているという記載を目にした記憶はない。駄洒落のようになってしまうが、あの頃ほど景気が良くないせいだろうか。それにしたって、ガソリンスタンドにホールケーキというのは、あまりそぐわない気もする。車で食すには、運転手はもちろん、同乗者だって難しい。ドーナツくらいのほうが良いと思う。

 悪ガキの度胸試しにはガソリンを飲むというのもあるらしく、味は甘いなんて話も聞いたことがある。しかし、まさか甘いもの繋がりでケーキをプレゼントしていたわけではないだろう。さすがに幼児時代の私も、ガソリンスタンドで当たったケーキだからガソリンが含まれているかもしれないなどとは考えなかったし、たいして親しくない親戚よりもスタンドの店員のほうが信用できると思うのは今も変わらない。

それでもやっぱり湿度が高いよりはまし

 暑いので窓を開けたいのだが、農家が困るほどの雨不足ゆえ畑の土が乾燥しているうえ、厄介なことに風が強く、砂埃が大量に巻き上がり、ホワイトアウトならぬブラウンアウトというか、なんらかの名称がついているのかどうか知らないけれど、とにかく砂埃が舞いすぎて視界が悪くなり交通事故まで起きる始末で、そんな状態のなかで窓なんぞ開けてしまえば部屋は汚れる目は痛む鼻も痛む、痛みすぎて鼻血まで出る、機械類への影響も心配と災難尽くしとなり、ただでさえ暑さでうんざりしている精神がさらに病んで、いっそ首でもくくろうかなどと考えだしたりしかねないので、とりあえず災難は暑さだけにとどめておこうとエアコンやら扇風機やらといった文明の利器の力で乗り切ろうとしているのだけれども、いかんせんそれはそれで身体に良いものではないようで、暑さゆえの具合の悪さなのか文明の利器に頼り過ぎたがゆえの具合の悪さなのかも判別できぬまま、とりあえず具合が悪いことだけは確かで、かといって今さら雨が降ってもすぐに気温が下がるとも思えず、むしろ蒸し風呂のような最悪の環境ができあがるのだろうから雨乞いをする気にもなれず、農家の皆さんには申し訳なく思いつつも現在の私は風がおさまってくれればそれで良いとしか考えられないのだが、風をおさめる術を知らないものだからどうすることもできず、こんななかで運動会やら体育祭やらに駆り出されている者たちは地獄だろうなあ、すでに義務教育を終えていて良かったなあなどと少しばかりの幸運を感じようとしていたら、高校時代に同じような環境のなかで野球部の全校応援に駆り出されたことを思い出し、胸のうちに再燃する奴らへの殺意のせいで余計な熱が生じはじめたので冷水でも浴びてこようと思う。

「まりも羊羹と眼球の強度って同じくらいじゃない?」(by.腐れ縁のHさん)

 さめくじらっ子「マル暴じいさん」

 

 コワモテの マル暴じいさん 路地裏で ぴりぴりと 張り込みを

 鉄砲玉と 重なるのは 出ていった若かった息子さん

 ガサ入れの 覇気はどこへ やさしい気持ちで泣きたくなる

 はんざいも むべなるかな むべなるかなけどつかまえるだけ

 ソラ サイレン鳴らし お巡りが来るぞ

 ホラ 啖呵切り 踏み込むぜ じいさん

 チャカ持ってバカな愚か者が 愚か者が……

 

 

 高校時代、陰で「模範囚」というあだ名で呼ばれ(囚人的な髪形だったことは一度もなく、むしろ日本の囚人らしからぬ長髪で今も通しているのだけれども、「なにかやらかしていそうな雰囲気があるのに、学校では模範的な振る舞いをしている」という意味でつけられていたあだ名らしい)、神奈川で独り暮らし中には、おそらくその筋の方だと思われる豊田商事社長刺殺事件の犯人に似た廃品回収のおじさんに「にいちゃん、目つき鋭いなー。ひょっとして同業か?」と訊かれた美月雨竜氏だが、地元に逃げ帰って来てからは、あまり人前を歩かないようにしているせいか、同業者と間違われることもないし職質されることもない。もっとも、近所の農家のみなさんのなかには、私よりはるかに風貌がその筋の方のような人が少なからず存在しているため、相対的に目立たなくなっているだけなのかもしれない。

 しかし、坊主頭にすることに対して強い抵抗があるので、刑務所に入れられてしまうようなことも避けたいのだが、目つきの悪さというものはどうにも治らない。もう30年以上、映るものの8割近くに憎悪を向けてきた眼球であるから、そう易々とやわらかい目つきになるはずがないのだ。視力も良くないので目を凝らすことも多く、これからもますます視線だけが鋭くなっていくかもしれない。

 これで実際に世の中のことまで鋭く見抜けるようであれば、この目つきの悪さにも使い道があるのだろうが、どうもそれほど見抜けている気にはなれず、結局のところ見かけだおしの鋭さでしかない。無用なトラブルを避けるため、今後もあまり見知らぬ人に視線を送らないようにして生きることにする。

うてな

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『そうして四宮先生は襟裳で喪服を』

 小学4年の10月のある日、担任教師が一時的に行方不明になったことがある。四宮先生(仮名)の名誉のために詳細は伏せるけれども、4日後には何事もなかったかのように……とはいかないものの、少なくとも児童たちの心に大きなトラウマが刻まれるようなことはなく、四宮先生(あくまで仮名)は教壇に戻った。

 私たちが学年を修了する際も四宮先生(繰り返すが仮名)は一緒に集合写真に納まったし、小学校を卒業する際は担任ではなかったものの、まだ他校に移動もしておらず、教職員との集合写真にしっかり納まっている。後に何かやらかしてさえいなければ、きっと今もどこかの学校の教壇に立っていることだろう。詳細を伏せてはいるものの、行方不明となった理由を知っても、私はそれだけで四宮先生が教師失格だとは思わなかったし、色々と騒がれはしたものの、上記の通り私が小学校を卒業するまで(さらに詳しく言えば、専門学校生時代に帰省した際、地元の新聞のとある記事で元気に教員を続けていることが確認できた)教員を続けているわけだから、別の何事かをやらかしていない限り、四宮先生が今も教壇に立っていたところで、大きな非難の声はあがらないだろう。

 四宮先生行方不明事件を経験して私が知ったのは、どうやら担任教師が謎の失踪を遂げた場合、2~3日は児童に詳しい事情は伏せられたまま、教頭あたりが代わりに授業を行うらしいということである。全校児童30名程度の田舎小学校だからこその対応だったのかもしれないが、四宮先生が行方不明だった間は教頭の神原先生(こちらも仮名)が私たちの授業を受け持ってくれた(神原先生のほうが授業の質は高かったが、四宮先生はまだ若かったので、たぶん経験の差なのだろうと当時の我々は思っておくことにした)。

 日本映画学校の脚本ゼミを卒業したものの、しばらくシナリオというものは書いていなかったので、リハビリをかねて四宮先生行方不明事件をもとにした話を構想中なのだけれど、同級生のうちの一人はそんな事件があった事すらほぼ忘れている始末で、自分以外のクラスメイトたちがどう感じていたのかが今一つ掴めない。しかし、さすがに現在の四宮先生の消息を追う気にもなれず、「まあ、あくまでリハビリだし」と、軽く楽しみながらといった感じで書き始めてみようと思う。

今朝は36度4分

 平日の昼間に歯医者へ行くと、お年寄りが多いせいか、歯の話よりも血圧の話のほうが多く聞こえてきて、私も今朝の血圧とか先生に申告しておいたほうがいいのかしら、なんて考えそうになったけれども、今朝の血圧なんて測っていないし、そもそも毎朝血圧を測らなければならない体になっていない(父は高血圧の気があるので測定器も持っているけれど、私が使ったことはない)。

 日常的に血圧を測ったことはないけれど、中学に入った頃から日本映画学校を卒業して2年ほど経つまでの間、朝と夜に体温は測り続けていた。別に医者から言われたわけでもないのだが、なんとなく自分の体温の推移を知りたくなり、一度はじめるとなかなか辞められない性分でもあったので、1999年4月から2011年3月までの日記には、日付や天気に加えて私の朝晩の体温が書き込まれている。私の評伝が書かれる際には貴重な資料となるだろうが、評伝を書かれるような人物になる気配が微塵もないので、今のところは大学ノートの無駄遣いでしかない。死ぬ前に処分しておくべきなのだろう。

 この、体調管理目的ですらない意味不明の体温測定だが、中学時代には私の他に3名の参加者がおり、「おはよう」の挨拶代わりに「6度4分」「6度2分」などと交し合い、周囲から奇異の目に晒されていたのだが、3名のアホのうち1名は2019年5月15日現在まで欠かさずに体温測定を続けているらしく、今なお奇異の目に晒され続けている可能性がある(他の2名は高校時代に辞めたらしい。ゆえに№2のアホは私である)。ひょっとすれば、奇異の目どころか、体温測定教などという得体のしれない宗教をはじめて、多くの信者を抱えているかもしれない。普通の挨拶をすると見せかけて「6度4分」と言ってみて、もし相手が反射的に「6度2分」などと答えたとすれば、きっとそいつは体温測定教の信者である。もっとも、他人を警戒するに越したことはないが、別に害はないと思うので、今まで通り付き合ってやれば良い。戯れに自分も体温測定をはじめてみるのも悪くない。