『空にかたつむりを見たかい?』 第34回

「時刻は午後七時十五分を回りました。みなさん、こんばんは。高山龍子です。突然ですが、みなさん。恋がなぜ面倒くさいか分かりますか? これはあくまで私の個人的な考えなのですが、自分のことを好きになる人って、自分から遠い人であることが多いと思うんですね。だって、自分みたいな人に恋ができますか? 私はできません。異性愛だろうが同性愛だろうが、私は私に恋なんでできませんよ。つまり、他人を好きになるポイントが自分とは合わない人が、基本的に自分のことを好いてくれる人だというわけです。なら、面倒くさくて当然だと思いますね。もし、面倒くさくないのなら、きっとそれは自分のことが大好きな人なんでしょうね。なので、私は恋愛が好きだという人とは、あまり友達にもなりたくありません。ということで、『高山龍子のもっと光を!』。本日もスタートです」

 

 ♪FM‐POTATO

  高山龍子のもっと光を!

  THE MONDAY

 

「『高山龍子のもっと光を!』。改めまして、こんばんは。高山龍子です。月曜の夜、いかがお過ごしでしょうか。いやあ……暑いですね。本当に。私は、まあこれでも一応女性なんですが、非常に冷え知らずでして、この時期はとても辛いんですね。誰かと同棲するときの最大のポイントって、実は気温に対する感度が近いかどうかじゃないかって思うんですよね。寒がりと暑がりは、同じ部屋にいられませんよ。好きな者同士なら大丈夫って嘘だと思いますね。こういう嘘は嫌いです。愉快な嘘は大好きですけどね。さて、ここで本日のゲストを紹介しましょう。この方です」

「♪わがまま じゃじゃうま じゃがわかめ~ はい、どうも。谷川拓也です。こんばんは」

「はい。本日のゲストは、『じゃがわかめ』のCMソングでもお馴染みのシンガーソングライター、谷川拓也さんです」

「どうもお久しぶりです」

「お久しぶりです。ここでお会いするのは……」

「二度目ましてですね」

「そうですよね。二度目まして、で間違いないですね」

「はい」

「ただ、子供のころ、実は何度かすれ違うくらいのことはあったみたいで……」

「そうですね。同郷で、同じ小学校や中学校に通っていましたから。ただ、高山さんは、だいぶ先輩なので、同じ時期に同じ学校にいたことはありません」

「だいぶって、年齢がばれるのでやめてくださいよ。はははは」

「すみません……」

「まあ、事実ですからね。こればっかりはしょうがない。で、そんな私のだいぶ後輩な谷川さんが今日来てくれたのは……」

「だいぶ後輩なのに、ニューアルバムの宣伝です。申し訳ない」

「やりたいことだけして、言いたいことだけ言いに来たんですねー」

「本当、申し訳ないです。……いやあ、まいったなあ」

「六枚目になるんですね」

「はい。おかげさまで。今回も十四曲入りです。『TEO』というタイトルです」

「『TEO』ですね」

「『TEO』です。アルファベットでT、E、Oです」

「これはどういう意味なんでしょうか?」

「九五、六年ごろにですね、『TEO  もうひとつの地球』っていうパソコンソフトがあったんです。TEOという仮想惑星があって、そこに鳥になったイルカみたいな生き物がいて、その生き物とコミュニケーションするっていう」

「なんとなく記憶にあるような気がします。『シーマン』とかの先駆けのような」

「もっと可愛い生き物でしたよ。あの世界観が大好きで、いつか歌にしたいなあと思っていまして」

「じゃあ、この一曲目の『もうひとつの地球』という曲は」

「まさに、です」

「なるほど。では、谷川拓也さんのニューアルバム『TEO』からの一曲。『もうひとつの地球』お聴きください」

『空にかたつむりを見たかい?』 第33回

 ニューアルバムの宣伝のため、地方のラジオ番組を廻っていた谷川さんは、今夜は母さんのラジオ番組にゲスト出演する。

 勝也さんと谷川さんは、小学校や中学校では、仲が悪かったわけではないけれど、しかし、それほど一緒に遊んだりする仲でもなかったらしい。

 だけど、高校を卒業してすぐ、谷川さんがシンガーソングライターとしてデビューし、楽曲がCMなどに使われるようになると、どうやら知り合いに有名人がいると嬉しくなるタイプであるらしい勝也さんは、積極的に谷川さんを応援するようになった。

 一歩間違えれば、かなりうっとうしい昔のクラスメイトになるところだけれど、幸い、谷川さんから迷惑がられている様子はない。

「谷川さんがイヌフラシの名づけ親だってこと、土佐先生や塔子さんは知らなかったみたいですね」

「二人は知悦部小学校の出身じゃないからね。さすがに僕の流した噂も、知悦部地区外まで広がることはなかったみたいだし。まあ、先に僕が知悦部から出ることになったんだけどね」

 ダイチの質問に、谷川さんが答える。

 勝也さんが、僕とダイチがインタビューをしたがっていることを谷川さんに連絡すると、谷川さんは、わざわざこうして時間を作ってくれた。母さんも協力してくれて、ラジオ局の応接室を使わせてもらっている。

 谷川さんがイヌフラシの名づけ親だということで、今日は僕がカメラを担当し、ダイチがインタビューをしている。マリサは、僕やダイチとは帰る家が違うので、あまり迷惑をかけたくないと参加しなかったが、たぶん夜は眠くなったらいつでも自分のベッドで眠れる状態でいたいから、というのが本当の理由じゃないかと思う。

「谷川さんが知悦部小学校にいた時に現れた犬は……」

「ストーニーとリンク。それにトッパーだね。覚えてるよ。でも、それぞれの名付け親が誰だったかは覚えてないんだよね」

「そうなんですか」

「だいたい、子供らの中から自然発生的についていたはずだからね。言いだしっぺが誰だったのか、みんなすぐに忘れちゃうんだよ。誰が始めたのか分からない、知悦部小学校だけで流行ってる遊びとかもあったはずだよ。まあ、そういうのは、どこにでもあるものかもしれないけど」

「じゃあ、イヌフラシに関する、細かい設定とかも、誰が言いだしたのかは分からないんですか?」

「うん。ちょっと分からないね。顔はブルドッグで胴体はドーベルマンとか、初めて聞いたもん。中学校では、イヌフラシの話とかしなかったしね。ヘタすりゃ、僕が名付け親だってことも忘れてたかもしれない」

 おおかた都市伝説というものは、このようにして広がっていくのだろう。イヌフラシは、広がってなにか問題があるわけでもないので、別にかまわないとは思うけれど。

 そんなことを考えていると、ダイチが僕に視線を送った。どうやら、他に聞くべきことが見当たらなくなってしまったらしい。そこで、僕はカメラを回したまま、別の質問をすることにした。

「土佐先生たちとのことも聞かせてもらえますか?」

「洋ちゃんたちとは中学時代、一緒にバンドをやってたんだよ。さっきの話に出てきた音楽とか映画とか文学とかに詳しい奴が中心になって、僕と洋ちゃんと塔子さん。他にもう二人いて、六人編成だったんだ。みんな、僕より才能あったと思うんだけどね」

「なんて名前のバンドだったんですか?」

「それはねえ……おしえてあげないよ、ジャン」

 なんだか、塔子さんを思わせる笑顔で、谷川さんは言った。

「アユム、そろそろ」

 母さんがやって来て、インタビューは終了になった。谷川さんは、「じゃあ、縁があったら、また会おうね」と言って、ラジオの打ち合わせに向かった。

『空にかたつむりを見たかい?』 第32回

シンガーソングライター 谷川拓也   ――知悦部地区小学校と地域を語る

 

 チャボってあだ名?

 あれは、洋ちゃんが言い出したんだ。

 同じ愛称のミュージシャンがいてね。あ、知ってるかな? そうそう仲井戸麗市さん。中学の時、顔がちょっと似てるって言われてね。それからなんだ。

 うん。僕もファンだよ。洋ちゃんとね、もう一人、音楽とか映画とか文学とかに詳しい奴が友達にいてさ。二人に色々教わったんだよ。いや、桑窪君ではないけど、そいつも知悦部小出身だよ。僕が中学の時、自力でファンになってたのは、ゆずと中村一義くらいだったからね。自力でファンって、なんか変な言い方かな。マンガは僕が一番詳しかったんだ。自分で描いてもいたよ。

 ああ、知悦部の話だったね。そうだなあ、そんなに密接に地域の人が結びついていたって印象はないな。まあ、僕が知悦部にいたのは、二年生までだったからね。引っ越したとは言っても近場だったから、中学になったら、また知悦部のみんなとも一緒になれたんだよ。洋ちゃんとは、転校先の小学校で知り合ったんだ。

 そうだ、僕がまだ一年生だった時、六年生にちょっと変わった面白い人がいてね。学校では、トシ君って呼ばれていたんだけど、ランドセルにドラえもんって書いてあったんだ。ドラえもんの絵が描いてあったんじゃなくて、文字でドラえもんって書いてあったんだよ。あれ、売ってたものなのかな。自分で書いたにしては、書体がしっかりしててね。六年生になると、みんなリュックとか別のカバンにしてるのが普通で、ランドセルっていうのも珍しかった。あまり話したことはなかったけど、有名だったんだ。

 ある日、家族とテレビを見ていたら、農作業を手伝っていた男の子が父親の運転するダンプに轢かれて亡くなったってニュースが流れてきてね。場所は町内だったんだ。それで、亡くなってしまった子の名字がトシ君と同じだったから、母さんがさ、「ドラえもんのお兄ちゃん、死んじゃったわ」って悲しそうに言ったんだ。でも、ニュースから聞こえてくる名前には「トシ」って文字はどこにもなくてね、僕は「でも、トシ君って呼ばれてるよ」って。そしたら、父さんと母さんが色々連絡簿とかを調べ出してね、「本当だ。トシヒロ君だわ。違う子だったわ」って。とりあえず、自分の息子と同じ学校に通っている子の名前は、うろ覚えだったはずだよ。

 いや、あんまり密接すぎるのも良くないと思うよ。あのくらいが、きっとちょうどいいんだ。

 インターネットが登場してからは、こんなド田舎でもマニアックなモノが手に入るし、世界も変わった気がするよね。でも可能性は開いても、人間のダメなところは消えないんだ。ネットだろうがなんだろうが現実の一部だからね。「好き」と「嫌い」ってやつが、どんなに世界が発展しても足を引っ張るんだよ。せっかくのテクノロジーをダメな方向に閉じるために使っちゃうんだ。人間はいつもそう。余計な人のつながりが世界を駄目にする。他人に無理に関わろうとする。そのクセ、少しでも不快に感じた者を世界から排除しようとする。なんか、偉そうに語っちゃったね。

 え? イヌフラシ? そうそう。僕だよ。そんなに広まってるとは思わなかったなあ。いや、話の流れで適当に、ポロっと出たんだよ。でもさ、そうやって知らないところで、何かが本人の意図とは関係なく広がっていくのって面白いと思わない? もちろん、怖いことでもあるんだけどさ。

 ねえ、ところでさ。動画サイトとかで歌ってるユイちゃんって、アユム君たちの同級生でしょ? あの子の歌、おもしろいよね。声もかわいいし。

『空にかたつむりを見たかい?』 第31回

「サムデイ・ネヴァー・カムズ」

 

 

俺が最初に覚えてるのは、

オヤジにこう訊ねたことさ

「どうしてなの?」

なぜなら、

俺には知らないことがたくさんあったから

そしてオヤジは微笑みながら、

俺の手をとってこう言うんだ

「いつの日か、お前にもわかる時が来る」

 

そうさ、

俺はあらゆる甘えん坊たちにこいつを

伝えるためにここにいるんだ

早く学んだ方がいいぞ、

若い内に学んでおいた方がいいぞ

そうさ、

「いつか」なんて決して来ないってことを

 

○○○   ○○○   ○○○

 

「Someday Never Comes. Mmmm‐mmmm‐mmmm…」

「親父は大丈夫そうだな」

 塔子さんが歌い終わりかけた時、勝也さんが近づいてきた。

「なに? せっかくあゆむんを誘惑してるとこだったの」

 誘惑されていたらしい。

「なんだ? 通報したほうが良かったか?」

 勝也さんが笑いながらそう言うと、塔子さんは「あのこと、言っちゃっていいの?」といつもの意地悪そうな笑みを浮かべた。

「いや……冗談だよ」

 勝也さんの笑顔が苦笑いに変わる。どうやら、なにか弱みを握られているらしい。

「あ、そうだ。アユム君」

 塔子さんから逃げるように、勝也さんは僕に話しかけてきた。

「なんですか?」

「ダイチがイヌフラシの名づけ親を調べてるだろ? 俺さ、その名付け親と知り合いなんだけど、紹介してほしい?」

『空にかたつむりを見たかい?』 第30回

「よーし、じゃあ行くぞ」

 阪市さんがベサメ・ムーチョ号のエンジンをかけた。

「ばっちり撮っておけよ」

 カメラを回すダイチに向かって阪市さんが大声で叫ぶと、ベサメ・ムーチョ号は桑窪家の畑から尻悦部の空へと飛びたった。点々としか建造物のない尻悦部地区だからできることである。

「親父、本当に大丈夫かな。こっちに突っ込んで来たりしないだろうな」

「トウモロコシ畑がないから逃げられないね」

 僕からは少し離れた場所で不安そうにベサメ・ムーチョ号の行方を見守る勝也さんに、土佐先生が言った。

「なんだっけ、それ」

「『北北西に進路をとれ』」

 上空を大きく旋回するベサメ・ムーチョ号。勝也さんは、酔っているんじゃないかと心配していたけれど、阪市さんは、ちゃんと安全な範囲内を選んで飛行しているようだ。

 桑窪家への入り口から東側の方向へ向かってしまうと、大きな山が連なっている。一番近くの低めの山は桑窪家のものだけれど、その他の大半の地平線を塞ぐ山々は、個人所有というわけではない。いずれにしても、ベサメ・ムーチョ号でその上を飛ぶのは危険だ。それこそ北北西なら問題はない。阪市さんは、しっかり危険な場所を避けて飛んでいる。

「心配いらないみたいだね」

 ベサメ・ムーチョ号を見上げている僕に、塔子さんが言った。

「そうですね」

 僕も安心し、塔子さんの方を向く。

「ねえ、あゆむん。ゆいっぴを撮影した時にした話、覚えてる?」

「小さな子供がなぜワガママかって話ですか?」

 小さな子供がワガママなのは、次なんてないことを知っているから。また今度、なんてないって分かっているから。塔子さんは、あの時そう言っていた。

「そう。その話の続きっていうか、関連するお話。聞いてくれる?」

 塔子さんに「聞いてくれる?」なんて言われて断れるはずもないし、断りたい理由もなかった。

「どんな話ですか?」

「あたしの知り合いの話なんだけどね。小さい時、遊びに来てた青森のおじさんを夜中に空港まで家族みんなで送っていったんだって。その帰り、車がレストランの前を通ったの。ウィンドーに大きなフルーツパフェの食品サンプルがあってね。食べたいって、ねだったんだって。でも、もう遅いし、また今度ねって母親は諭したの。でも、どうしてもその時に食べたくて、すごく不機嫌になって、家に着くまでずっとふさぎこんでたんだって。母親は、なだめようとして、何度も『また、今度ね』って。でも、『また、今度』なんて来ないまま、そのレストランは閉店しちゃったんだって」

 人によっては、どうってことのない話かもしれない。でも、なんだか僕には、少々喉の奥がしめつけられるような気分にさせられる話だった。あまり思い出したくはないけれど、中学二年の僕にも、似たような思い出はいくつかある。きっと、小さいころのことをよく覚えている人なら、同じような気分にさせられるのではないかと思う。

「Someday Never Comes」

「え?」

「あたしの好きな歌。クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル」

「ああ、CCRですか」

 CCRは知っている。でも、その歌は知らなかった。

「いつかなんて決して来ない。そういう歌なの。ほら、これに入ってる」

 CDを受け取ると、塔子さんは、その『Someday Never Comes』を口ずさみはじめた。

「First thing I remember was askin’ papa…」

 僕は訳詞に目を移す。

『空にかたつむりを見たかい?』 第29回

 かたつむりの謎も、「絵」の謎も、イヌフラシの謎も解明できないまま、夏休みは中盤を迎えつつある。閉校記念式典用の映像だけは、順調に撮影できていた。昨日も、同窓会会長の笠井さんへのインタビューを終えたところだ。

 そして今日は、阪市さんの久しぶりのフライトを撮影することになっている。

 さすがに阪市さんにカメラを渡したり、無理矢理二人乗りまでして空撮を行うのは危険だし、空からの画が欲しいわけでもないけれど、知悦部の空を飛ぶ阪市さんとベサメ・ムーチョ号の画は魅力的だった。

自衛隊に入るなら海上自衛隊だ。食い物美味いし、ウィスキーあるし」

 久しぶりにベサメ・ムーチョ号に乗ることになった阪市さんは上機嫌だ。今はなぜかダイチに、自衛隊員だったころのことを話している。

「社会をサバイバルっておかしな話だろ。サバイバルってジャングルとか戦場でするものだろ。サバイバルしなきゃいけない社会ってのは、その時点でおかしいんだよ。そこに生きる人を強くしようとか考える前に、社会を変えろっていうんだよ」

「親父、酔ってないよな? 本当に酔ってないよな?」

 勝也さんが怒ったような顔で阪市さんを問い詰める。怒ったような顔というか、怒っているのだろう。

「心配するな」

「見物人が多いからって、無茶するなよ」

 今日のフライトには、土佐先生や塔子さん、それに出演を依頼してから、いつも以上にまとわりついてくるようになったユイも見学に来ている。桑窪家の面々も、仕事のある僕の母さんと農協のパートに出ているダイチの母さん以外はせいぞろいだ。こんな状況で墜落されたら、いろんな意味で地獄絵図だろう。

「ナスレディンも、今日は低みの見物だね」

 塔子さんが、マリサの足もとでじっとしているナスレディンを見て言った。

 いつもは高い屋根や木に登ってばかりのナスレディンだが、なぜか今日は、マリサのそばから離れない。神を見たい犬のはずなのに、ベサメ・ムーチョ号に乗りたがるような素振りはまったく見せない。神を見たいだけで、神になりたくはないのかもしれない。

 

 ♪勝て、勝て、家庭科教師

 負け、負け、マケドニア

 噛め、噛め、カステラ小町

 待て、待て、マッケンロー

 

 ユイは、またヘンテコな歌をうたいながらナスレディンにじゃれつこうとしているようだけれど、ナスレディンのほうは少し迷惑そうだ。ナスレディンもユイのテンションにはついていけないらしい。

『空にかたつむりを見たかい?』 第28回

知悦部小学校同窓会会長 笠井康博   ――知悦部地区小学校と地域を語る

 

 どうも。知悦部で農業をしている笠井康博です。

 あ、そうか。そうだね。知ってるよね。ははは。笑われてるかな、今。

 真面目な感じが出ていい? そう? じゃあ、ちょっと固めにいこうか。

 うちがここで農業をはじめて、もう八十年近くになります。もちろん、僕が八十年やってるわけではありません。そこまでのじいさんじゃないです。ああ、言わなくても分かるか。どうも、固くっていうのも難しいね。意識すると駄目だね。

 僕が生まれる前は、酪農もやっていましたが、現在は畑作専業。小麦、ビート、豆……僕の代からはブロッコリーも始めました。

 同窓会会長として? うーん。これでも、もう六十近いからね。あまり自分が小学生だったころのことは覚えてないんだよね。結構、父親になってからの記憶の方が濃くてね。そんなもんじゃないかな。いや、他の人のことまで分からないけど。

 一番活気があったのは、そりゃ一番人が多い頃なんだろうけど、でも、個人個人の熱気みたいなものでいったら、二十年くらい前あたりじゃないかな。自分が元気だったってだけかもしれないけどね。息子が小学校に通ってた時期でもあるし。結局、自分がよく関わった時期が一番記憶に残るものね。

 あ、バンドやってたんだよ。そんな上手じゃないけどね。うん。僕もメンバーだったんだ。運動会の後にね、結構夜中まで。お祭りだよね。

 これからの知悦部? どうかな。小学校がなくなると、さすがにね。色々、考えていかなきゃいけないよね。まあ、本当は日本の農業の行く末の方が心配なんだけどね。ここは、なんか大丈夫な気がするけどさ。いや、根拠はないよ。

 ドローン? ああ、買ってみたんだけどね、操縦失敗して畑に落ちて壊れちゃったよ。高かったんだけどねえ。

 そうだ。僕が撮った昔のビデオは役に立ってるかい? そう? そりゃ、よかった。

 ここのよくないところ? うーん、なかなか言いにくいことを聞いてくるね。

 どこか別の田舎じゃ、引っ越してきた人に酒を用意させるなんて話があったけど、あれはどうかと思うね。いや、ちょっと前まで似たようなことはあったか。先生の家に押しかけて、飲み明かすっていうのがね。でも、先生に酒を用意させたって話は聞かないな。赴任してきた先生方の家にあがりこんで飲み明かしてコミュニケーションしようとする乱暴さはあったけど、新入りが酒を持ってきて挨拶しろなんて横暴さはなかったと思うよ。

 ああ、これは本当に言いにくいことだけど、ちょっと前までは、飲酒運転をする人が多かったね。悪運の強い人が多いから、たまたま大きな事件や事故にならなかっただけだね。スピードの出し過ぎで事故った人はいたけどね。まあ、でも捕まった奴も何人かいるかな。ただ、そのうちみんな外で飲むのをやめるか、酒そのものをやめるかにしだしてね。大抵は、外で飲むのをやめたんだ。車ごとやめた人もいるね。

 ちょっと心配なのは、今の三十代か四十代くらいの人たちに車好きが多くてね。ほら、たまに結構やかましくエンジンを鳴らしてる人がいるでしょ。たいがい、その世代の奴なんだよねえ。彼らが心配だな。たとえ飲んでなくてもね。

 ひょっとして、知悦部に新しく誰かが引っ越してきたら、さっき言ったように「新参者は酒を持ってこい」なんて言いだす人が出てくるのかな。嫌だなあ、そんなの。来る人なんていないだろうから、分からないけどね。

 別に勝手に来て勝手に住んでほしいね。こっちも何も言わないから、僕らのこともほっておいてくれればいい。ならず者の集落だね。ははは。