SOME DAY,THAT PLACE IN TIME(さよなら、2020)

 みうらじゅん先生の「みうらじゅん賞」に倣って、私を楽しませてくれた人・ものなどを勝手に称える「みづきうりゅう賞」。令和に入り本家「みうらじゅん賞」は“権威・濃すぎ”になった(?)授賞式を改め、原点回帰的な発表になっておりましたが、こちらは権威が苔ほども付着しそうにない賞なので、これまで通りブログでこっそりと発表します。2020年のみうらじゅん賞は枠が拡大されておりましたが、みづきうりゅう賞はこれまでの通りの5席。

 また、例年同様、音楽アルバム、映画、小説、漫画、テレビドラマなどの作品は「みづきうりゅう賞」とは別に、それぞれ特に面白かったと思うものを20〜30作品くらい挙げようと思います。とりあえず、ツイッターで20選、ないし30選を挙げておきます。私のことを多少気にしてくれている物好きな人がおられましたら、なにかの参考にでもしてください(ここまでは、ほぼ例年通りのコピペです)。

 

 

 というわけで、栄えある2020年みづきうりゅう賞の発表です。今年の受賞者(?)は、こちら(敬称略)。

 

・『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(テレビドラマ)

・『あのちゃんねる』

・一方通行(小樽堺町通り商店街)

真空ジェシカ

・ADの飯田さん

 

 

「『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(テレビドラマ)」 監督に酒井麻衣、井樫彩(第6話のみ水波圭太)の気鋭両名を迎えたテレビドラマ版。作品自体の出来はもちろんのこと、原作とアニメの時点で菅原氏&もーちんを激推ししていた私ですが、ドラマ版ではその二人を玉城ティナ畑芽育が演じるものだから尊さ振り切れ、メーターぐるんぐるん大回転の永久運動状態で、もうなんでもいいからこの二人の姿をずっと見せてくれないかななどと考えました。

 

「『あのちゃんねる』」 企画内容や共演者の選定的に今ひとつ乗りきれない回もあったものの、あの「あのちゃん」の冠番組が放送されているのだから受賞は当然だと判断致します。現時点では、くっきー!との絡みが良きです。

 

「一方通行」 北海道小樽堺町通り商店街を活性化させるためのアイドルグループ。まあ、ただの3人組のおじさんなのですが、応援したくなる何かがあるような気がしないでもない。悲愴感と空回りぶりを見事に表現したグループ名も素敵、と言っても罰は当たらない気がしないでもない。

 

真空ジェシカ」 優しく楽しいぺこぱとは対照的などうしようもない闇の香り。つまはじきにされがちな美月雨竜氏は、これからも大衆受けを放棄したような方々を熱心に応援していきます。

 

「ADの飯田さん」 さまぁ~ずのYouTubeチャンネル『さまぁ~ずチャンネル』の新人AD。『あのちゃんねる』同様、企画として少々残念に感じる回もありはしたものの、そこは鳩よりも平和の象徴にふさわしい仲良しおじさん・さまぁ~ず、なんだかんだ欠かさず視聴しています。そして、そんなさまぁ~ずの神経質おじさま・大竹一樹氏を小学生のころから「男として好き」と語る飯田さん。基本的に私は「さまぁ~ずが好きな女性」が好きです。

 

 

 

 

 

 コロナとかいう招かれざる客によって荒らされ放題な一年でしたが、元来他人との接触の少ない私にはあまり大きな影響を及ぼしていない気もします。もちろん、どれほど社会から断絶していたとしても、社会自体に与えられた大きなダメージは、いずれ巡り巡って個人にも影響を与えてくるはずなので、いい加減、歓迎されていないことに気付いて消え去ってほしいものです。そんなわけで、コロナと共にさようなら2020(まだ1日あるけれど)。

 

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僕たち、一方通行  ~チャンネル登録1000人の軌跡~

 


真空ジェシカ「グラデーション転校」

 

【告白】美人AD飯田、まさかのカミングアウト!実は私…〇〇です♡

うさぎは可愛いものだ

 天才に努力されると凡人は敵わないので「うさぎとかめ」みたいな話を有り難がるのである。あれは結局、やっかみによる勝手な憶測の話だ。だいたい、うさぎを悪者のように描いている時点で好きにはなれない(かめが嫌いなわけではないけれど)。

 たびたび目撃情報が寄せられる近所のうさぎたちであるが、その数は増加傾向にあるらしい。ベルリンの壁のはざまでユートピアを形成していたドイツのうさぎたちのように、ぬくぬくと平和に暮らしていってほしい。この土地の景観がピーターラビット風になったりすればなお良い。人間はこれ以上増えなくてよい。

 きつねやリスを目にする機会はこれまで通りといった感じだが、うさぎとは対照的に一時はうるさいほどにゲロゲロ鳴いていたカエルくんたちは姿を見せなくなった。うるさいほどだと少し困るが、私はあのユーモラスな姿も嫌いではないので、ちょっと寂しい。数年前に飛来しはじめた鷺たちによって食い尽くされてしまったのかもしれない。カエルを見かけなくなった途端、鷺も同じように見かけなくなったことであるし。

 鷺が原因なら諦めもつくが、いかにも頭の悪そうなエンジン音とタイヤ音を轟かせて走り去っていく2台ほどの車によって動物さんたちが姿を消すようなことになれば、車の破壊を本気で計画せねばならなくなる。さすがに近所でドリフト遊びなどするほどの阿呆ではないようだが、奴らの音が聞こえるたびに殺意は沸々と湧き上がっている。ドライバーの見当はついているので、私に陰惨な事件を起こさせないよう、2021年はおとなしくしていてほしい。

 

今年も皮膚の出血大サービス

 60歳くらいになったら好かれるようになるんじゃないんですかと言われたことがあるが60歳まで元気でいられる自信がないし、ひょっとしたら死ねば好かれるということの婉曲表現かもしれない。しかし、死んだら好かれるという自信もない。すっきりされる可能性はあるかもしれないが。

 沈みがちな性分は処方薬で一時的に抑え込む他ないので、せめて居住空間だけでもすっきりさせようと毎年大掃除には人並みより少し上くらいの心構えで挑んでいるのだけれど、体力や気力よりも先に皮膚が限界を迎えてしまう。清掃用の手袋を用いてもすぐにひび割れて足りない血を外に逃がしてしまう。この貧弱過ぎる皮膚はいったいなんなのだろう。かといって、中途半端でやめることができないので、すぐに何の為かわからない苦行と化す。こうしてまたユースキンの売り上げに貢献する。

 掃除ついでに、少し前から気になりはじめた自室のすきま風の発生箇所を探したのだが、どうにも見つからない。発生箇所が特定できないので、結局は「すきま風が吹く気がする」としか言えない。本当に気がするだけで、なんらかの超常現象なのだろうか。しかし、霊感はないし、霊感があると思い込んでいるわけでもない。そもそも、超常現象だったとしても対処のしようがない。ひょっとしたら、体が冷え易くなっただけなのかもしれない。血も失いがちなので、可能性は低くないだろう。大勢の人間にすっきりしてもらえる日も遠くないかもしれない。

 

「僕が小学生のころ偶然に知り合ったある担任は僕に向って偉そうに言ったとか言わなかったとか」

「完璧な教師などといったものは存在しない。完璧な生徒が存在しないようにね。」

 

 僕が小学生のころ偶然に知り合ったある担任は僕に向って偉そうもなにもそもそもこのような言葉をかけたりはせず、他のクラスメイトたちと流行りのゲームと流行りの音楽の話ばかりしていて、そうでないときは自分の貧乏学生時代のエピソードを授業中に語り出す程度であり、彼との偶然の出会いによって僕が文学や哲学に目覚めたり学者を目指したりするなんてことにはならなかった。とはいえ、嫌いな人間というわけでもなかった。

 

 なにか珍しい体験はないかと尋ねられた時、小学生の時に担任が一時的に行方不明になった話をした。幸い、若人あきら(現・我修院達也)より早く見つかった。そして、若人あきらが見つかったのと同じくらい(つまり、失踪から3日目)には、何事もなかったかのように教壇に立っていた。後に伝聞的に知ることになった失踪の原因から考えると、行方不明になったことよりも3日目には職場復帰できていたことのほうがよほど珍しい体験だったといえる。

 現在も教員を続けているらしい若人先生(仮名)の名誉のため詳細は伏せるが、理由がどうあれ小学校で担任を持つ教師が失踪したとなれば大事であるし、たとえ本人を責められるような理由ではなかったとしても、保守的なタイプの保護者などから反発の声があがっても不思議ではない。実際、別件でそのような騒動もあったと聞く。しかし、若人先生(仮)は3日後には復帰し、2020年12月現在も教員を続けている。この土地の少々いびつな寛容さゆえの結末だったのかもしれない。

 いま思えば、捨て犬や野良犬が代わる代わる小学校に住みつき、特に係が設けられるわけでもなく、なんとなく全員で世話をするというのが半ば伝統のように続いていたのも、こうしたいびつな寛容さを示す一端だったように感じる。犬たちは近所の家や教員にもらわれていくか、学校の敷地に住みついたまま生涯を終えるかのどちからであったが、せっかく村上春樹の『風の歌を聴け』を模して文章で書き始めた日記なので、今も残る犬の墓前に次のような言葉を添えておこうかと思う。

 

「夜の闇の深さに触れた者は、昼の光の陰にも深い闇を勘繰りだす。」

風の歌を聴け (講談社文庫)

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チップス先生、さようなら (新潮文庫)

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海の向こうで先公が恥じらう

 教師に対する侮辱的表現である「先公(センコー)」という言葉。どうやら明治時代には既に生まれていたようで、なかなか歴史ある侮蔑表現らしいのだが、創作物などを除くと、実際に教師を「先公」呼ばわりしている児童・学生を見たのは一度だけである。

 使っていたのは高校時代の別のクラスの男子で、いつもへらへらした様子のいわゆる「いきがった」風の奴だった。関わりたくなかったので会話したこともなく、名前も思い出せないが、卒業アルバムのどこを探しても顔が見当たらないので、おそらくどこかのタイミングで何かやらかし退学処分になったものと思われる。素行の良くない者は男女問わず他にも見受けられたが、さすがに退学処分になった者は私の知る限りそう多くない。ろくでもなさが他の者より抜きん出ていたのだろう。

 陰で特定の教師を呼び捨てにして悪口を言っている者の姿はよく見かけたし、素行不良というわけではなくとも教師を快く思っていなかった者は他にもいたはずである。私自身、幼稚園から専門学校時代まで含め、「先生」と呼ばれる者たちの中には、いまだに強い怨みを抱き続けている奴が大勢いる。しかし、「先公」という言葉を使っていたのは、先述の男のみである。そこそこの歴史ある言葉ゆえに、私の世代ではすでに古い言葉という印象があった。ありていに言えば「ダサい」言葉と思われていたふしもあり、古風な不良というわけでもないのに、わざわざ「先公」を使ってみせたあの男は、素行不良な者たちのなかでも、やはりとりわけ頭の悪さが露わになっていたように思う。大人になってその恥ずかしさに気づいていればざまあみろだが、おそらく忘れているか、なんとも思っていないかだろう。

 なんだかんだで私よりは幸せに生きていそうな気もするので、たいへん不愉快ではある。確認のしようもないけれど。

海の向こうで戦争が始まる

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先公 (ジェッツコミックス)

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ハマちゃんとスーさんが「景色」に変わる時

 「途中で眠ってしまっても目覚めた時に目に映るのは、眠る前と同じような水びたしの場面」という点だけで言えばアンドレイ・タルコフスキーの映画と『釣りバカ日誌』は共通しているのではないかと考え、ではタルコフスキーが『釣りバカ日誌』を撮ったらどんな映画になっていただろうと思いを巡らせると、どうしても『水曜どうでしょう 激闘!西表島』での伝説の寝釣り場面が邪魔をしてくる。まあ、嬉野さんは「どうでしょう」でカメラを回すにあたって、小津安二郎を参考にしていたという驚きの事実もあるので、やっぱりこれらの作品はそう遠くない位置にあるんじゃないかと。思えば、バスの車内で鑑賞した『釣りバカ日誌』によって「逆浦島現象」を観測(?)したのも『水曜どうでしょう』であった。

 タルコフスキーの名作『ノスタルジア』の主人公が「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される」と聞かされ実行したのに対し、私が閉校した母校の野ざらしになっているプールの中で蝋燭に火を灯し、三往復できたら小学校時代の怨みを晴らせるという謎の妄想を抱いている話は以前ブログに記した。いまだに実行していないし、怨みも晴らせていない。しかし、それで怨みを晴らすことができたとしても、その後の世界は他人も自分も含めた全てがただの「景色」になっているような気もして、少々恐ろしくもある。それはそれでタルコフスキー的な光景が広がるわけだから、見てみたいという願望もあるのだけれど、同じ終末感に満ちた映像美ならば、デレク・ジャーマンの『ザ・ラスト・オブ・イングランド』により惹かれるので、野ざらしプールに忍び込むことはまだなさそうだ。

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悪くも恥ずかしくもないけれど言えない事情なんていくらでもある

 たとえば隣の家が火事になったり、あるいはアパート等で別の部屋から出火したりすると自分の住まいにも多かれ少なかれ影響はあるわけで、ほぼ無事に済んだとしても不審火だったりすれば事情聴取なんかに協力することになるかもしれない。そうなれば当然、その日の予定も変更せざるを得なくなったりする。もちろん、自分が放火犯人でない限り、罪もなければ恥ずかしがる理由もないし、それによって仕事を休むことになっても責められる理由はない。説明すれば、よほど酷い職場でないかぎり、責められるどころか心配してもらえるはずだ。

 ただ、これが著名人となると少々厄介な問題があって、自分にまったく非がなくとも、この件を公に説明してしまうと、どうしても不特定多数の人間に住所等を探られてしまう危険性が出てくる。今の時代、該当する火災の情報を調べれば、おのずと住まいが特定されてしまうだろう。ゆえに、連載に穴があいたり、出演作品をキャンセルしなくてはならなくなっても「諸事情」としか説明できなくなるかもしれない。 

 さほど深く考えることもなく、こういった「諸事情」案件というのは他にも色々と理由が想像できる。気にはなってしまうが、「そういうこともあるのだろう」と詮索せずにおくのが正しい対応だと思う。探るのであれば、日頃から下世話で無神経な勘繰りばかり書き散らかしている匿名アカウントや筆名すら記さぬ覆面ライターたちを葬る手段を探ったほうが良い。そのほうが世の中のためになる。アイカンスピーク、ファッキンジャパニーズ。

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