親愛なるフルバヤシスギノスケ氏(仮名)の近況について

 フルバヤシスギノスケ氏(仮名)は、御年七十四歳となる。コロナ禍に置かれてもいまだ身も心も健康で、しかし丈夫さを過信して不要不急の外出に明け暮れるなどということもしない。分別のある立派な人生の先輩である。

 そんなフルバヤシスギノスケ氏(仮名)から、私は少々変わった依頼を受けた。氏いわく「自分も今日までは運良く健康でいられたが、この先どうなるかわからない。首から下の病や老いであれば、自分の意志を伝えることもできるが、問題は首から上のことだ。たとえば認知症になってしまった時、自分に良くしてくれた知人たちに余計な気苦労をさせたくない。今のうちに、少しでも笑い飛ばせてしまえるような“その時のための挨拶文”を用意しておきたい」ということだった。

 モンティ・パイソンのファンであるフルバヤシスギノスケ氏(仮名)から「パイソンズが書きそうな文章で頼む」と依頼されてしまった私は、氏の監修のもと、“その時のための挨拶文”を書くこととなった。氏は「俺の知り合いは冗談が通じるから大丈夫だ」と言うが、“その時”が来て文章が公開され、あまりにも不謹慎だとの声が挙がった場合、非難されるのは私なのである。フルバヤシスギノスケ氏(仮名)の言葉を疑うのも気がひけるが、私としてもいくつかの予防策は立てておきたい。よって、氏の承諾を得たうえで、出来上がった“挨拶文”をここに公開する。実際の文章よりさらに毒気を盛ってあるので、これが炎上せずに済むのなら、然るべき時に実際の文章を公開しても大丈夫ということだろう。読者がいるのかどうかもわからないブログに事前公開したところで、どれだけの予防効果が得られるのかは甚だ疑わしいところだが、数ある予防策のうちの一つとして実施することとする。以下が、その“挨拶文”である。

 

 

親愛なるフルバヤシスギノスケ氏(仮名)の近況について

 

 我らが偉大なる老いぼれ、フルバヤシスギノスケ氏(仮名)はついに一人で靴下を履くこともままならない身となった。もはや彼が真面目なことを語ろうとふざけたことをぬかそうと、周りの者たちはただ暖かく見守るほかない。彼を愛する我々は食事の作法も忘れてしまった彼のため、一日三度彼の口に適当な食物を突っ込んで黙らせることに尽力している。しかし、やや時間はかかるものの苦手だったはずのチーズケーキを飲み込めるようになったのは吉報である。好物だったはずの白身魚も同じくらい時間がかかっているのが少々気になるが、これを成長と呼ばずしてなんと言おう。彼はもうじき言語すら放棄するだろうが、それは彼が高次元の存在になったことの証であり、諸君が悲しむ必要はない。残された我々も「明日は我が身」と心に刻み、より一層ケツの穴を固く引き締めることをここに誓おう。


Galaxy Song - Monty Python's The Meaning of Life

モンティ・パイソン/人生狂騒曲 [DVD]

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シンジ君も見ていない信じなくていい話

「なんか頭がブシャーッて爆発して、気持ち悪いって終わる」

 

 『スキャナーズ』の話ではなく、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の話である。「気持ち悪い」はともかく、ご覧になった方なら「頭がブシャーッて爆発」というのは間違いだと理解してくれるはずである。しかし、小学6年生の頃、レンタルビデオで鑑賞したばかりらしい『エヴァ』のことをクラスメイト達に話していたソガノスケウマタロウ君(仮名)の説明は上記の通りのものであった。解釈の違いなどではなく、描かれている事象を間違えている。

 小6時代のソガノスケウマタロウ君(仮名)に人類補完計画は少々難しかったのかもしれないが、このような「内容を間違えているネタバレ」は、その後も幾度となく目にすることになった。

 私は「ネタバレされて面白さが激減してしまうのなら、それは作品がその程度のものであるか、受け手の鑑賞能力が低いかのどちらか」と考えている節があるため、ネタバレされることに関しては基本的に抵抗がない(もちろん、わざわざ自分からネタバレを口にして無用の争いを誘い込むような真似もしない)。他人の感想どころか、詳細にも触れた本格的な批評を先に読むなんてこともあるため、必然的に「内容を間違えているネタバレ」を目にする機会も多くなるのだろう。

 しかし、一般の感想だけでなく、書籍化された批評家による文章にも解釈違いでは済まされないレベルの事実誤認が稀に見受けられる。まあ、このように「間違いが結構ある」という点も私がネタバレに触れることを恐れない理由かもしれない。

 ゆえに、現在公開中の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』も未見であるが、感想や批評は何も恐れずに読みまくっている。そして、『バトル・ロワイアル』でも『アルマゲドン』でも事実誤認な感想を述べていたソガノスケウマタロウ君(仮名)は、きっと『シン・エヴァ』でも描かれてもいないことを友人に語っているのではないかと思う。

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

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スキャナーズ DVD-BOX デジタルニューマスター版

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バトル・ロワイアル

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僕らが石を拾う理由

 『よつばと!』の最新巻(15巻)を読んでいたら、ふと映画学校卒業直後に結婚し、お子もできた同期生が「よつばみたいな娘ができたらいいなあ」と今や懐かしきmixiで綴っていたのを思い出した。しかし、その同期生はそれから2年ほど経った頃、風香の便り……ではなく風の便りによって「離婚したらしい」と聞かされた。お子さんがよつばのように育っているのかはわからない。

 さて、15巻に収録されている記念すべき第100話「よつばといし」(表紙に描かれているのも、この回の風景だろう)は、よつばたちが遠征までして石拾いに行く回だが、同じ「石を集める漫画の主人公」でも悲愴感溢れる『無能の人』の助川助三と違い、なんと幸せそうなことか。私も幼少期より石を集める癖があるが、どうしたわけか当時から既に『無能の人』的悲愴感が漂っていたという説がある。残念ながら、子供であれば無邪気に見えるというわけでもないようである。

 現在の私は、いよいよ掘立小屋に籠って「銘石フェア」などと謳い価値のなさそうな石を売るくらいしか道がないのではないかと指摘する声もあり、着々とつげ義春世界の住人になりつつある。今日も「赤色エレジー」など口ずさみながら、昔のガロの匂いを漂わせる。

よつばと!(15) (電撃コミックス)

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つげ義春: 「ガロ」時代

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Valentine’s Day Kids

 学校生活において、なぜバレンタインデーが異物入りのチョコレートを用いたいじめや憎い相手への報復等に利用されたという話をあまり聞かないのかと知人同士で話題になったことがある。たしかにバレンタインデーやホワイトデーは、差出人不明の贈り物が机や下駄箱に入っていても不信感が真っ先に現れにくい数少ない日である。浮かれて口にした相手が痛い目を見るというのもサディズムが高揚しそうな気がするし、報復の場合でも良い(?)シチュエーションかもしれない。

 しかし、よく考えるまでもなく、小・中学校には「給食」という制度があり、食品への異物混入という嫌がらせを行うのならば、別にバレンタインデーを待つまでもない。チャンスは、ほぼ毎日存在するのだ。実際、やんちゃ者同士のちょっとしたふざけ合いから深刻ないじめにいたるまで、給食に異物を混入させたという話はわりと見聞きする。常套手段といっても良いかもしれない。差出人不明のチョコレートなんかより、相手の油断も突き易い。小・中学生時代の私が自分に配膳されるまでの給食の流れを注意深く観察していたのも無理のない話である。モテる者もモテない者も、バレンタインデーより日々の給食に注意すべきだ。

 また、バレンタインデーのチョコレートは、必ずしも標的が口にするかどうかわからないという点も嫌がらせや報復に用いにくい要因だろう。感激し過ぎて食べずに冷凍保存する者もいるかもしれない(KinKi Kids堂本剛さんが、好きな子から貰ったくまのプーさんのチョコレートを冷凍したと話していたことがあった。しかし、ある日学校から帰ると、父親が酒のつまみにしていたらしい)。やはり、バレンタインチョコを報復等に用いるのはリスクが大きすぎるように思える。

 それでも、思慮の浅いBad Kidsによってバレンタインチョコが悪意の手先になることもあるだろう。だが、仮にそんな事があったとしても、被害者が泣き寝入りする可能性も高そうな気がする。

 バレンタインチョコを貰うこと自体、恥ずかしく感じてしまう者は少なくはないだろう。そのうえで意図的に混入された異物によって痛い目を見たとなれば、よほどの危険物が混入されていない限り、被害を公表することもためらってしまうかもしれない。加害者からすれば「モテないどころか嫌われたり憎まれたりしているくせに、差出人不明のチョコに浮かれて虫やゴミまで食った奴」なわけで、いくら「やる側が悪い」と言っても、自分で自分の尊厳を保つことが困難になりそうである。

 幸い、私は今日にいたるまで、バレンタインにおいて甘い経験も苦い経験もしたことがない。コロナ禍以前より人前で食事すること自体を極力避けている人間なので、食事に毒を盛られて殺される可能性は比較的低いといえそうだ。

GOLDEN☆BEST/国生さゆり SINGLES
 

 

正義(であろうとする邪な心)の“見方”

 「やらずに後悔するよりやって後悔しろ」とはよく言うが、しかし自分が助けようとしたことでかえって相手を死なせてしまう場合でも「やって後悔する」ほうが良いと言えるのだろうか。もちろん、結果が先に分かるわけもないのだから、ドラえもんの道具でもないかぎり、その場で判断などできないし、そんな道具があるのなら相手の命を救える道具だってありそうである。しかし思考実験的な話として、「助けようとしたら、かえって死なせてしまう」と「助けずにいると結局相手は死んでしまう」の二つしか未来がない場合、それでも「やって後悔」を選ぶべきなのだろうか。その場合、「助けようとする気持ちが大事」なんて言葉だけで片付けて良いものかどうか。それこそただの自己満足ではないのか。

 もっとも、では手を出せばかえって死なせてしまうからと見殺しにするのもまた、直接手を下したくないだけではないのかと言われてしまえば否定はできない(というか、それ以外ない)。そうなると第三の選択肢として「楽に死なせる」という案が浮かぶが、それはれっきとした殺人であり、たとえ未来がわかる技術があったにせよ、無実というわけにはいかないだろう。結局、余裕のあるうちに、万が一の場合に備えて可能性の高そうな救命方法を色々と学んでおくことくらいしかない。せめて他人から見て「かえって死なせた」と捉えられてしまわないように。

 それでも、目の前の命を救うための緊急救命的な事態であれば、よほどの無知な行為でないかぎり、「てめえのせいでかえって死なせてるじゃねえか」という声が正当な批判として捉えられる可能性は低いだろう。周りに救命知識の高い者もいない状態で自分がどうにかしなければならない場合、焦って致命的なミスを犯したとしても、悲劇ではあるが救おうとした側への同情も得られそうだ。だが、これが外野と言っても差し支えない立場からの助言や情報提供だとすればどうだろう。震災等で見受けられたデマの問題である。

 デマによって苦しんだ人は数知れない。なんとか役立つ情報をという切迫感に駆られるのは、むしろデマを広めるのに役立ってしまう恐れも多い。真偽はともかくとしても、政府や公的機関からの情報は提供される(ひとつも提供されなくなったのなら、それは国が滅んだということだろう。だとすれば、もうどうしようもない)。不信感があるからといって、あやふやな話を流布させるのは混乱を招くだけだ。ならば非常時に沈黙を守るのは、別に逃げでも無責任でもないと思う。それに、人気商売の著名人であれば、ファンにとっては「推し」が存在してくれているだけで支えになり得るわけであり、ゆえに大事なのは自身が無事であることだ。慰めや励ましの言葉さえ時には逆効果になるのだから、適度な「自分さえ良ければいい」は、案外他人のためにもなるのではないかと思う。

 少なくとも、他人のためを思ってやったことで恨まれるのと、自分のためだけにやったことで感謝されるのとなら、大抵は後者を選ぶだろう。

THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 4 [DVD]

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デスノートすら緩くなった世界の片隅で愛なんか叫んでいられない

 2月14日の投稿で想像した通り、聖火ランナーを辞退した方々に対する知識と想像力の欠落した批判コメントが見受けられ、仮にオリンピックの開催を推進する者たちのなかに批判者たちのような思考回路の人間が多く存在するのだとしたら、いくら様々な兼ね合いも考慮したうえで現実的な開催方法を模索している推進派の方がいたところで、そりゃあ次から次に問題が発生するだろうなと思う(以前も記した通り、今回の東京五輪はコロナ禍以前から色々と問題が指摘されていた)。とりあえず、あまりに不快だったのでツイッターでは批判者を片っ端から予防ブロックしておいた。

 さて、小倉智昭さんは辞退する方の判断も認めたうえで「自分は死んでも走る」と述べたらしいけれど、確かにこの状況では小倉さんほどの覚悟がなければ辞退が賢明だと感じる。ただでさえコロナ対策に関係者が苦心しているのだから警備だって通常よりも困難だろう。そこにもし過激な反対派の襲撃なんかがあったらと考えると、自分ならどう思われようと辞退する(幸い平和な状態であってもスポーツの祭典に魅力をほぼ感じないので、はなから走る気もない。そもそも白羽の矢が立つほどの人気も人望も話題性もない)。

 それにしても、森元会長の発言等を発端とした政治的/思想的な理由での辞退に対する批判が出てくることは(その批判に同意はしないものの)容易に予想することができたが、スケジュール的な理由に対して「1日の予定くらいどうにかしろ」「前々から決まっていたはずだ」などといった批判が少なくなかったのには驚いた。いくら走る距離がそう長くないからといって移動時間のこともあるし、なにより国家的催しとも言われるオリンピックの関係行事が(批判者の多くは、その点を重視しているはずなのに)1日や2日スケジュールを空ければ済むことだと考えてしまえることが不思議である。また、延期された日程自体はたしかに前々から決まっていたようだが、「ランナーには2週間前から当日まで、会食をしないことや密集する場所への外出を避けることを求める」といった内容が含まれたコロナ対策ガイドラインの発表は2月25日のことである。ガイドラインに盛り込まれそうな事案がランナーやその関係者に早めに通達されたのかどうかはわからないが、もし一般公表と同じであるのなら、3月3日現在に辞退を申し込んだところでドタキャンなどと言われる筋合いはないだろう。

 しかし、誹謗中傷の類がこれほど匿名的になってくると、相手の顔と名前の記憶が必要だという『デスノート』のルールですら緩く感じてしまう。今なら、アイコンとハンドルネームだけでも実行可能くらいでないと(恐怖政治ではあっても)抑止力としての魅力は薄いかもしれない。そういえば、酷く差別的で攻撃的なことばかり発信しているアカウントはいわゆる「捨て垢」が多く、少しすると消えたり使われなくなって放置されているのも目にするが、ひょっとしたらどこかにアップデート版デスノートを手にした者がいるのかもしれない……なんてことを妄想したりもする。

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鬼さんだって幸せになりたいけど頑張りたくない

 ある人のある場所でのとある投稿を見て、ひょっとして有永イネの『鬼さん、どちら』が映像化されるのではないかと思った。もし私の想像通り、ある場所である投稿をされたとある人が『鬼さん、どちら』の主演を務めるのなら、それはとても良いキャスティングだとも思う。

 『鬼さん、どちら』は、三千人に一人程の割合で存在する「鬼」に「先天性頭部突起症」という名前がつけられ、節分の風習もなくなった世界を描いた漫画だ。「鬼」といっても角があるだけの人間で、現実世界で言えば病気や障害の一種である。「鬼」には美男美女が多いらしいが虚弱体質の傾向もよく見られるらしく、そのせいで周囲から妙な気の遣われ方をされることも多い。こうして、おおまかな設定を振り返るだけでも、もし本当に映像化されるのなら、タイミングとしても申し分ないだろう。

 作品の「鬼」たちは、「鬼」であるがゆえに必要以上の努力を強要されることもあれば、逆に様々な面倒や努力を免除されてしまうようなこともある。そのために様々な軋轢も生じるわけだが、それはある種の「努力至上主義/苦労至上主義」的な価値観が大きな原因になっているように感じる。努力や苦労の大きさによって幸福であることの是非を判断するような思想。もちろん、真面目に努力している者より犯罪者が得をするような世の中が良いはずはないのだが、しかし、犯罪を成功させるのにも努力や苦労はつきものである。そうなると、犯罪者の苦労が真面目な努力家よりも大きいと判断されればそれまでだ。努力や苦労を過剰に評価するのは、合理性とは程遠いだろうし、幸福とも関係はなさそうである。

 オリンピック/パラリンピックのような催しは(感動的であるがゆえに)上記のような悪しき「努力至上主義/苦労至上主義」の温床ともなりえる。人種や性別における不平等と同様、それは是正されるべき問題だろうし、徐々に是正されつつある問題でもあったはずだ。「平和でよりよい世界の実現」を基本精神とするオリンピックで、そういった問題のバックラッシュが起きてしまうのなら、反発の声がより強いものとなるのも不自然なことではない。

 「負けないこと・投げ出さないこと・逃げ出さないこと・信じ抜くこと」と1991年のヒット曲「それが大事」で歌った大事MANブラザーズバンド立川俊之が「何が大事かわからなくなった」と語ったのは2015年のことである。負けそうになり、投げ出したくなり、逃げ出したくなり、何も信じられなくなった立川さんが、あの歌を歌詞通りの気持ちで歌うことはもうなさそうだが、それで良いと思うし、むしろその方が良い。『鬼さん、どちら』のラストに感じた開放感は、なんとなく『しくじり先生』ですべてぶっちゃけた立川さんの姿と重なった。「幸せになりたいけど、頑張りたくない」と歌ったのは忌野清志郎だが、それは少なくとも悪いことではないと思う。

鬼さん、どちら (ビッグコミックス)

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それが大事

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