クマさんとサルマタケ

 松本零士が押入れに生えたキノコをちばてつやに食べさせたことがある(ラーメンの具にして出した)というのは『トリビアの泉』で知った話だが、食べさせたということよりも『男おいどん』に登場するサルマタケが実在したことに驚いたのを覚えている。サルマタケの正体は、どうやらヒトヨタケのようで、キノコ好きの間では、アルコールと共に食すと中毒症状を起こす場合があることで知られている。松本零士×ちばてつやという顔合わせでラーメンを食している場には、たぶんアルコール類も存在したと思うのだが、お二方が件の食事が原因で体調を崩したという話は聞いていない。

 得体の知れないキノコを他人にも食わせて健康被害まで起こしたのは、“ゲージツ家のクマさん”こと篠原勝之で、若き日の貧乏時代に、クマさんの部屋を訪ねてきた友人が「食い物の匂いがする」と何やらクマさん本人も存在を忘れていた鍋(だったと思う)を引っ張り出し、開けてみると出てきたのは大きなカビの塊のようなもので、水洗いするとそれは巨大なシイタケだった。栽培用のものをしまったまま忘れていたらしい。健康で文化的な最低限度の生活状態であれば、そんな危険なシイタケを口にすることはないだろうが、飢えていた二人は煮込んで食ったという。そして、クマさんの友人は飢えの解消と引き換えに重大な健康被害に見舞われた。

 これは、たしか『いつみても波瀾万丈』で紹介されていたエピソードだったと思うが、元々丈夫だったのか、不健康で非文化的な最低の生活によって何らかの耐性を得たのか、クマさんは無事だったらしい。シイタケの所有者はクマさんだったのだろうが、引っ張り出してきたのは友人なので、自業自得と言えなくもない。願わくば、自分が友人の家の謎の食材を引っ張り出して煮込んで食うほどの生活に陥らないまま生涯を終えたい。もっとも、まともな食材であっても勝手に引っ張り出せるほど気心の知れた友人が存在するのかどうかのほうが今の私には重大な問題だとも言える。

 

雀荘へ届くのは麦たちの声

 パチンコ店で新型コロナウイルスクラスターが発生しないのは、「喫煙率が高いので異常なほど換気がしっかりしている」、「黙って台に向かっているだけでは感染リスクは高くない」という2点が大きな理由らしいのだが、そこから考えると麻雀の感染リスクは少なくともパチンコより高いと言えるのだろう。どちらもやらないので、私個人にはあまり関係のない話だが。

 麻雀といえば、以前にもこのブログで少し触れた通り、父の知り合いに賭け麻雀での逮捕歴のある人がいるのだが、普段から良くも悪くも威勢の良い方で、逮捕時も主催者でも店の経営者でもないのに、どうやら人一倍激しくなさったせいで、その日のニュースにまるで主犯かのように顔写真込みで報道されてしまった。職場の食堂でたまたまニュースを目にした父は、思わず声をあげてしまったらしいが、この人がもし感染者だったなら、踏み込んだ警察関係者も含めたクラスターが発生していたことだろう。菅首相どころか、安倍前首相すら誰も特に気にとめていなかったであろう宮澤内閣時代の話なので、新型コロナウイルスなど本物の予言者でもない限り知り得なかったのが幸いだが、仮に同じような状況でクラスターが発生した場合、警察の感染者も「麻雀店でのクラスター」に含まれるのだろうか。感染が確認されるまでに少し時間を要するため、ニュースとしては「違法麻雀の摘発」が先に報道され、その後事件関係者の中でクラスターが発生した事実が付け加えられるのかもしれないが、そうなると「麻雀店でのクラスター」というより「この事件におけるクラスター」といった表現が使われるような気もする。だからなんだ、という話でもあるが、なんとなく気になってしまった。

 ところで、前科一犯のおじさんには、予知能力はないものの「小麦と会話できる」という特殊能力がある(と、本人が主張している)。新型コロナウイルスとは関係ないが、麦角アルカロイドとなら関係あるかもしれない(『X‐ファイル シーズン4 第13話「タトゥー」』は、腕に彫ったタトゥーの声に悩まされる男の話で、その原因として推察されていたのが麦角アルカロイドであった。劇中では、タトゥーの染料に含まれていたライ麦由来ではないかと考えられている。ちなみにタトゥーの声を演じたのはジョディ・フォスターである)。

 

ここ数年の平熱は36度2分ほどでした。

 前回の日記は2度目の新型コロナウイルス予防接種当日の夜に記したのだが、「2度目の接種のほうが副反応は出易い」という情報に気をとられすぎて「翌日に副反応が出易い」という点を失念していた。起きたらしっかり発熱していました。

 とは言っても、なんとなくだるい感じがして、念の為体温を計ってみた結果も37度4分。風邪をひけば頻繁に38度後半や40度近い発熱でぐったりしていた病弱な幼少期(今も大して変わりはないが)と比べれば、なんのことはない。一応、よく効く市販の解熱剤を飲んでゆっくり休んでいれば、辛いと呼べるほどのものではなかった。

 しかし、不思議なもので、最初は「なんとなくだるい」程度の自覚症状であったのに、発熱を確認すると、より自身の体調に敏感になってしまうのか、心なしか症状が悪化したように感じてしまう。そして、横になりながら、今以上に病弱だった頃のことを思い出したりもする。病院慣れ、入院慣れした結果、ちょっと具合が悪くなると、親に「入院したい」と自ら希望するような幼児だった頃の記憶である。まあ、あまり楽しい思い出というわけにはいかないので、ワクチンの副反応はともかく、うつ症状にとっては好ましくない。いっそ、処方されている導眠剤で強制的に眠ってしまおうかとも思ったが、解熱剤と併用して良いものかどうか怪しかったのでやめておいた。無駄に症状を悪化させて、ただでさえワクチンの副反応に怯えている人たちの不安を助長するようなニュースの種になってはいけない。

 それにしても、接種部分を中心とした筋肉痛だけは、やはり前回の方が痛かったように思う。もちろん、もっと痛んでくれたほうが良いなどとは思っていないけれど。

 

それでも大事をとっておとなしくしています

 2度目の新型コロナウイルス予防接種を受けた。副反応の強さはワクチンの種類にもよるだろうが、個人差もあるということは理解していたものの、基本的には2度目の接種の方が起きやすいと聞いていたのに、どちらかといえば今回の方が影響が小さいように感じている。1回目の際も、2日半ほどの筋肉痛程度で済んだのだが、今回はその筋肉痛自体が非常に弱いもので、「まさか、ただ針を刺しただけでは」と疑おうと思えば疑えそうだが、反ワクチンを唱えるような医者(そんな者を医者と呼ぶべきかどうか迷うが)が担当だったならばともかく、細かいアレルギーの有無や副反応への対処法なども丁寧に説明してくれた病院に対してそれは不義理と言うべきだろう。

 では、副反応が起き易いといわれる2度目の接種のほうが小さい影響で済んだのは何故だろう。もちろん、専門家に話を伺えば良いのだが、あえて素人が想像してみると、ひょっとして緊張感の差だったりするのかしらとは思う。いくら病院慣れ、注射慣れしている私とはいえ、新型コロナウイルスに対するワクチンは初めてなわけで、おそらく1度目の接種の際は筋肉に多少の強張りがあったように思う。そもそもの副反応が筋肉痛程度しかなかったのだから、手順や注射自体の痛みの強さも理解した2度目の接種のほうが、私の左上腕二頭筋付近もリラックスしていたのだろう。諸事情で1度目よりも寝不足気味ではあったものの、あくまで「気味」程度のもので、緊張感のほうが大きく影響していたのかもしれない。

 なにはともあれ、(今のところは)無事にワクチン接種を終えることが出来たと言えるわけで、あとは(極少数ではあるものの)親しいと呼べる人たちのうちでまだ接種できていない人たちや、いわゆる自分の〈推し〉たちが大きな副反応もなく、無事にワクチンを接種し終えることを祈るばかりである。

 

対話の不可能性

 オリンピックがようやく終わったが、パラリンピックも強行される様子だし(もっとも、あれだけの反対意見のなかオリンピックは強行したのに、あっさりパラリンピックだけは中止というのも、それはそれでパラリンピックに対する差別意識を指摘されそうではある)、コロナ禍でなくとも問題だらけのまま適切と言い難い対応で延々と開催され続けてきた高校野球は現在も関係者の考える程度の感染対策を徹底しつつ当たり前のように熱気と飛沫を撒き散らし、うんざりして鬱症状が悪化して頓服薬を多めにもらったほうがいいかしらなどと考えながら通院していると、県外ナンバー狩りが発生していないのが不思議なほど地元ナンバー以外の車が目につき、そりゃあこのド田舎でも感染者が減らないわけだよなと脳内でマラソンの沿道に詰めかけた愚か者共を虐殺する妄想をしてなんとか気を鎮めていた。

 ところで、オリンピックの開催自体に賛否があるのは仕方ないとしても、閉幕後に賛成派・反対派がそれぞれ「賛成してた奴、今の感染状況を見てどんな気持ち?」だの「反対派やボランティア辞退した奴、悔しがってない?」だのと、似たような挑発をしているのが見苦しい。開催の是非自体がどちらにあったとしても、大半の人間は自分の立場にとって都合の良い情報しか信じないであろうことくらい想像できそうなものだが、それでなおこのような低俗な煽り発言を行うのは、結局議論でも批評でもなく、相手を馬鹿にして溜飲を下げたいだけのことだろう。まあ、これは新型コロナウイルスをめぐる対立に限った話ではないけれど。実際、私自身も上記の「低俗な」連中に対しての怒りのなかに、「見苦しいと感じた相手を見下して溜飲を下げる」という気持ちが欠片もないと言えるほど、自分の思考の正当性に自信があるわけではないのである(ただ、ひとつ自信を持って言えるのは、私の最大の憎悪対象はスポーツおよび体育会系であって、おそらくコロナ禍における大規模イベントであってもスポーツ以外であれば、それを推進するのが右寄りであれ左寄りであれ何であれ、これほどの嫌悪感を抱かなかったことだろう)。

 

こんにさわ!!キャシィ先生

 東京五輪が招致できるかどうかと騒がれていた、今となっては当時から五輪反対派であった私さえ「何と平和だったのだろう」と思ってしまう懐かしきあの頃、たしかアスリートや芸能人が東京開催が決定したらこんなことをすると公約を掲げる「TOKYO2020 楽しい公約」とかいう企画が催されていた。

 もっとも、スポーツへの憎悪が深い人間なので、そんな公約の羅列を見てしまえば、それはすぐに「ぶっとばすリスト」(@スマイリーキクチ)へと変貌してしまうし、なにより私自身の精神衛生に多大な悪影響を及ぼすので、なるべく五輪関連の話題からは距離をとっており、当初はそんな企画があったことすら知らなかった。宇野常寛さんが「はっきり言って、サムかった」と書いているのを読んで、はじめて企画の存在に気づいたのだが、想像以上の残念さと醜悪さにまみれつつもどうにか閉幕した今、ふと「あの公約はどうなったのだろう」と思い出してしまい、改めて当時掲げられた公約を眺めてみたのだけれど、実行されたと思われるものがほとんど見つからなかった。

 コロナ禍の影響等で実現不可能となったであろう公約もあるにはあるのだが、宇野さんに「僕は彼女が何者なのかも分からなかった」と書かれていたタレントのホラン千秋による「ちょっとの間、ゴリン千秋に改名する(2020年、つまり当初の開催予定年に実行予定とされていた)」などは、サムいかどうは別としても、御自身が勝手に名乗れば良いだけのことなのでいくらでも実行可能だったはずだが、どうにもされた様子がない。まあ、2020年は周知のとおり既にコロナ禍であり、最後まで中止を求める声も多かったなか、このような浮かれた一時改名を実行できるほど恥知らずではなかったのだろう。公約そのものが恥ずかしい気もするけれど。

 しかし、「開会式のどこかのシーンで必ず見切れます」というダウンタウン浜田雅功の公約が実行できなかった(はず。見ていないの確証はない)のは仕方ないにしても、五輪の話題ばかりツイッターで呟く東野幸治を「ブロックしたろうかと思った」と語った松本人志に開会式出演疑惑(あくまで疑惑)が浮上していたのは、いったい何の因果か。いっそ、キャシィ塚本といった危険なキャラクターに扮していた頃の松っちゃんが、式も競技も全て破壊してくれたほうが、少しは私の溜飲も下がったことだろう。

 

 

 

夢の終わり、悪夢の終わり、そして暗い現実の始まり

 ただでさえ暑さに弱くて生きづらいというのにね。

 いっそ水を差してくれたほうが生き易くなることだらけでどうにも。まあ、打ち水でどうにかできる話ではなかったけれど。

 涼しげなものしか見たくないし聞きたくない。

 短い愚痴を書き散らかすくらい許しておくれ。