『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(71)

 失った前髪を隠すように一日中耳あてを着け続けたマサ君に珍しくも同情していた日、西の畑に竜巻が発生しているのが見えた。すぐに自転車で逃げることにしたが、上級生は今さら遅いと笑った。そもそも、彼らは竜巻が成長することを知らず、今まさに成長し始めていることにも気づいていないようだった。しかし、竜巻が二つに増え、太さも勢いも増してくると、後ろに迫る大型トラックもお構いなしに道路を飛ばしはじめた。彼らが言った通り、今さら遅い予感が私にも押し寄せてきたが、自宅の地下収納に身を押し込めることさえできれば、この不愉快な上級生たちの破片を拾ってやろうとも考えていた。

 上級生たちは私を追い越し、大型トラックによる一人の仲間の犠牲に目もくれず、東の山に向かって逃げていく。私は横目で竜巻の成長具合を確認しつつ、急いで自宅の鍵を取り出し開錠すると、靴を履いたまま地下収納に潜り込み息を潜めた。連中と違い、農家ではない私の両親は街にいるので心配いらない。

 竜巻の進路は、私の希望に沿ってくれたかのように、憎むべき者たちの住まいへと向かっている。呆れるほど綺麗な畑を熱心に手入れしているヘフナーさんの家の辺りは青空さえのぞき、タッちゃんの家は進路上ではあるものの、辿り着く頃には、せいぜい家が弱震程度に揺れるだけで済むことだろう。ジーニアの町のように、上級生たちが空を舞い、電線に引っかかる様子を眺めておきたいとも思ったが、我が家の地下収納はタップダンスができるほど広くはないので、とりあえず想像だけにとどめておいた。「散らばった身体を見れば充分理解できるだろ」と、いつの間にかキックからのメールも届いていた。

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『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(70)

 しかし、ある意味では猫肉買取店があった方が良かったとも言えるだろう。ヤスヒロは2歳の春まで住んでいた家で撮られた唯一の写真を見るたびに、喉の奥が詰まる思いに苛まれているからだ。夜中、まだ眠そうな母親を起こして、件の手押し車の玩具を押して遊ぶヤスヒロの姿を捉えた写真である。「幼い子供が我儘なのは、“いつか”も“また今度”も決して有り得ないことを知っているからだ」と敬愛する作家が講演会で述べていたが、たしかに幼い頃のチャボに母親が「また今度ね」と約束したフルーツパフェの店はもう存在せず、仮に店があっても母親との外出を無邪気に楽しめる時期は過ぎていた。オヴァリベリーとも呼ばれた街は、必要以上の理容室とラーメン店ばかりが増え、パフェの店があった場所も、寿命を縮めそうなほど脂ぎったスープを強要するラーメン屋になっていた。理容室の増加は、人生の全てをサッカーで説明しようとする高校教師が、生徒の髪を短くするのに好都合なだけだった。

 その教師・オモイヅカも眼球を強引に鍵穴に見立ててやってからは影響力も失い、私は周りを恐れることなく母親とも買物に出かけられた頃から通い続ける知り合いの美容室で、年に二回だけ髪を整えてもらえば済むようになっていた。髪の短さが限度を超すと、全員が私を見下していた教室を思い出してしまう。マサ君でさえ、あの担任に前髪を切られた時は、無神経なままで居られなくなったのだ。小学生時代の短さに揃えてしまえば、連中がサトウキビの入った私のランドセルを回転させながら蹴り続けていたことを常に脳裏に映写し続けねばならなくなるだろう。担任の娘の太い首を裂き切らずにいる自信もない。

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(69)

 爪に葉の欠片が詰まるほど強い力で地面をむしり、怨み言の後に必ずやってくる幼少期に迷子になったような寂しさはいくら頭を強く振っても打ち消すことができないとわかっていたので、祖母の土地で最も綺麗で控えめで郷愁を誘った苺畑のような景色を求め、現実にないことを前提に書物を漁り始めた。ストロベリー・フィールドは地名であり、決して苺畑そのものではないと既に理解していたが、あの曲が似合う景色に立つことが出来さえすれば死への恐怖も和らぐだろうと信じていたので、たとえ生涯の大半を棒に振ろうと諦めるわけにはいかなかった。タッちゃんの返答より前から気づいていたのだろう。しかし、都市計画を盛大に失敗した地元では、今や苺畑はもちろん、木の下に置かれたオルガンなど片鱗を探す気すら起こさせてくれず、そもそも味気のある木が見当たらなくなり、猫カフェの向かいの国道でリスが轢死しているのも無理のない話だ。猫は嫌いではないが、街は猫にしか優しくないのである。

 記憶もおぼろげなほど前に亡くなったヤスヒロの家の猫は、幼児向けの手押し車を押して歩くのが好きだったが、幼いヤスヒロは猫に自分の玩具が舐められることを嫌っていた。伯母は玩具を押す茶虎の猫の写真を見せては「ティコはこれが好きだったのに、ヤスが嫌がるから……」と罪悪感を植え込み続けた。「毒餌を撒いたり、水の溜まったドラム缶に猫を沈めたりしなかったのは奇跡的」とお嬢は評したが、オハイオ州ジーニアのように猫肉を裏で買い取る店がここには存在しなかったのが幸いだったのだろう。1995年頃までは、実験用のネズミを病院に売ることくらいしか子供が小遣いを稼ぐ方法はなかったのだ。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(68)

 医者の娘が趣味で作ったプレートを金槌で砕き、不燃ごみに変えて正しく処理した日、豚とモロヘイヤの掛け合わせに成功した地元高校の敷地内で毛色の変わったムササビの親子が無人電動車椅子に轢き殺されたという小さな新聞記事をみつけた。喫茶店の看板犬の死を悼む記事の半分以下の大きさである。自他共に認める犬型の数字の若者にいたっては、卒業した専門学校の学生たちでもないのに、瞳の生い茂った集まりから出入り禁止を言い渡され、それでもなお今日に至るまで、あわよくばと主催者に平静を装った便りを定期的に送り続けているらしいことを投書欄の片隅から読み取ることができた。

 集いの場となっていた空地には、雑草に混じって点々と眼球が散らばっており、それらは待ちぼうけをくらったせいで寝不足となった私の充血した眼球によく似た姿をしていた。連中が気にもとめずに踏み潰していたのかと思うと、更なる不幸を願わずにはおれず、目の端に捉えたパセリ畑へ走り出していた。かつては祖母もパセリを栽培していたが、丁寧に育てられていたため、味は良いものの、私が期待した効果は得られなかった。踏み潰された眼球たちを栄養とした眼の端の先のパセリたちならば、ひょっとすれば期待以上の効果が得られるかもしれない。私にも一度くらい期待以上があっても良いだろう。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(67)

 上映されたドキュメンタリー作品には、キネマユリイカ駅近くの厚い顔の店で生計をたてていた同期生も参加しており、在学中から顕著だった思い込みの激しさに拍車がかかっているようだった。論理性のなさを詩的と勘違いした文章は、駅周辺のみに置かれるフリーペーパーにすら掲載を断られたという。講師は従順な学生に対しては手当たり次第に将来性を匂わせ、そのうちの数人の小さな活躍を自身の才覚の後ろ盾にして安い居酒屋の空気を汚していた。しかし、元々が淀みきった居酒屋でしかないため、後ろの席のサラリーマンが酒をこぼさずとも、私ですら店側に同情しようとは思えなかった。

 数軒の飲食店は学生の出入を禁じていたらしいが、そもそも外食を好まない私にはあまり関係のないことだった。一度だけ駅二階のチェーン店へ連れて行かれたが、何度も店員に「あの時計は正しいのですか?」と店の掛け時計を指して尋ねる男性客が近くにいたため、入院時代を思い出して胸が苦しくなった。ナイトウセイイチ氏は「医者の娘にろくな人間はいない」と言い、さすがに私も偏見でしかないだろうと思ったのだが、その後、初めて知り合った医者の娘がろくな人間でなかったため、驚くほど簡単に偏見の沼へと一歩踏み込んでしまい、きっかけとなったナイトウ氏と通話相手の痕跡を可能な限り削除した。催促された地元の銘菓を手切れ金代りに送ったものの、約束の時間を連絡もなしに潰された際の反省から対人関係が全般的に捻じ曲がり、親しくしてくれた後輩の漫画家とも疎遠になってしまったのは無念である。しかし、私などと関わり続けるほうが相手の不幸だと考え、なんとか気持ちの整理をつけた。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(66)

 痛快と言って良い景色は、お嬢のスマートフォンから動画で送られてきたが、すぐに喜びを共有できる者が近くに居なかったのが残念だ。共に胸のすく思いになれたであろう級友たちの大半はすでに疎遠であり、それは少々悔しいことに担任の責任ではなく、私や級友たちの側の問題であることは明らかだった。私は早くから別れを見越して取り返しのつかない嘘を散りばめ過ぎていたし、麦畑のお祭り男は中学で流行りのいきりに身を落とし、36号の弟は滅多に姿すら現さなくなっていた。他の面々も似たようなもので、しかし、いずれも何らかの方法でスクラップ置場の湯かいな景色を知るであろうとも考えられた。

 私が知ったのは、ナイトウセイイチ氏が隣町で新作映画を撮影していることだったが、幸いにも氏からの連絡はなかった。主演俳優が演技以外の点で評判を落としている最中のことであったが、それが映画そのものに傷をつけたかどうかは分からない。地元ですら話題にのぼることがなかったからである。一年間だけ軽い手伝いをしていたミニシアターであれば、めざとく情報を嗅ぎつけて仰々しく特別上映などと謳ったかもしれないが、私が夜の住人の多いアパートから引っ越す頃には、底の浅い正義感と思慮の浅い推測で塗り固められたドキュメンタリー作品に手を出すような団体に成り下がっていた。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(65)

 鍵穴に詰め込まれた金魚煎餅の粉は、キーによって更に車の内部に注ぎ込まれ、排ガスと共に赤錆の混じった愛車の臓物が吐き出された。焦げた金属片に引きずり出されたばかりの豚の腸を乱暴に絡ませたような愛車の臓物は、泥水溜まりにぶちまけられ、担任が耳障りな悲鳴をあげるほど悶え震えていた。鴉が腸の切れ端を啄もうと寄ってきたが、消化に悪いだけでは済まなそうなので、なるべく優しい目で遠ざけてやった。小学生の頃から周りの幾人かよりはるかに話の通じた鴉は察するのも早く、焼却炉の風上に育ったグスベリーの実を子供の食事分も含めて集めはじめた。担任の爪には赤錆が溜まっていた。曾祖母の左手薬指の爪には、薄い黒曜石が挟まっていて、亡くなる日まで気圧が崩れると鈍痛に見舞われていた。赤錆だけでなく、腸のような愛車の臓物まで爪の間に押し込んでしまったのなら、曾祖母以上の重傷となるであろう。爪を剥がして、しっかり消毒すれば良いだろうが、麻酔を打つ猶予はないのだ。

 日本で2番目か3番目の熱気球の名所近くにある雑な管理のスクラップ置場で担任の愛車と担任は錆と同化しはじめているらしいことを上磯瀬の魚屋が地元新聞に投書していたが、地域の抱える最大の問題は交通マナーの悪さだったので大きな話題にはならなかった。土壌汚染も今さらの話で滑稽でさえある。投書による影響といえば、担任の娘が引退を表明したことくらいで、潤一だけでなく数多く存在する教え子たちの怨みとは、とても釣り合うものではない。お嬢はスクラップの一部と化した頭部を見つけると、顎だった部分から首の付け根だった部分を貫通させるように腐りきった渦状の鉄を刺し込んでいた。