2018-01-01から1年間の記事一覧
溶けたアイスクリームが再び冷えて固まると、水分と脂肪分が分離し、種類にもよるらしいけれど、まあなんとも美味しくない食べ物が出来上がってしまうようで、北海道とはいえ、まだまだこの時期は暑くなる日も多く、冷凍庫にアイスクリームを常備している家…
地震の影響で各家庭にも節電が求められており、ネットの世界を覗くのも、朝のメールチェックのついでに少々といったところ。もっとも、私の場合はどんな場所でも他人と関わるのは上手ではなく、必然的に頻繁に交流する相手などというのもごく僅かとなり、メ…
「北海道地震」「震度7」といった文字が様々なメディアで打ち出されているものの、北海道という土地は広いので、私の在住地域の震度は4に届くか届かないか程度。棚から物が落ちたりすることもなく、ガスや水道も影響なし。停電には見舞われたものの深夜だっ…
その場その場の思いつきだけで改行もせずに書き続けてみた結果。 もっとも、タイトルからも分かる人には分かる通り、ロバート・ネルソンの『この西瓜野郎』から着想は得ています。 『この西瓜ころがし野郎』(目次)(1) https://uryuu1969.hatenablog.com/…
サトリの妻と少女による「舞い戻りの舞」は陽が沈み、やがてまた陽が現れる頃まで続き、舞い終えた頃にはサトリの妻も少女も取り囲んでいた者もすべて憑き物が落ちたようにつやつやした表情となり、つづいて眺めていた者たちの中からすぐに美しく「舞い戻り…
元々用意してあった西瓜や飛び跳ねまわるうちに運悪くこの土地へ舞い戻って来てしまった西瓜も含め、サトリの妻と少女は西瓜たちの事情などおかまいなしに蹴り飛ばし続けており、その姿はなにか美しい舞のようで、思わず詩人が「舞い戻りの舞」と呟いたのに…
西瓜の血汁にまみれて転がりながらも悪態を喚き続ける西瓜ころがしの姿を最初に目にした余所の土地の者は、西瓜知りたがりのスプーキーの四散した身体から7度目の復活を遂げた小鬼のような化け物を背負ったグランゼニアという国の詩人で、詩人にありがちな放…
西瓜の尻尾のごとく激しく振り回され続けた西瓜知りたがりのスプーキーの身体は、西瓜が西瓜知りたがりのスプーキーの家から西瓜ころがしが転げ落ちているこの土地まで飛んでくるまで至る所でちぎれ飛び、ちぎれ飛んだ身体の一部もまたちぎれ四散し、西瓜に…
各地の西瓜たちの西瓜ころがしへの憎悪の叫びが少しばかりも西瓜ころがし本人の耳に届いていないと知るや、西瓜たちは西瓜たちなりの伝達手段によってあっという間に西瓜ころがしの転げ落ちているこの土地の位置を把握し、それぞれがそれぞれの形でこの土地…
いくら西瓜がへばるほど中身がほじくり出されていたからといって、頭を突っ込んでみれば食えるだけの中身はそれなりに残っており、しかも西瓜知りたがりのスプーキーは皮まで食い破らんとする勢いで中身に齧りついており、この場に西瓜知りたがりのスプーキ…
そんな新鮮町の住人のなかに西瓜の中身について調べたくなった者がおり、それまでは周りから珍しもの好きのスプーキーと呼ばれていたが、西瓜ころがしの野郎のせいで西瓜知りたがりのスプーキーと呼ばれるようになってしまい、幸いにもスプーキーな彼はなん…
ラカンバのお百姓さんが腹いせに蹴とばした小ぶりの西瓜は上空を飛んでいたペリカンの口にがぽっとはまり、あわてたペリカンは羽ばたくのを忘れて顎をがっこがっこと揺さぶりながらお百姓さんの頭の上に落下、ペリカン嫌いのお百姓さんは体中を掻きむしりな…
西瓜ころがしはかたくなに西瓜は我が国だけの作物だと言い張るのだが、それはもちろん西瓜ころがしの無知ゆえに成せる業であり、リプトニアやラカンバの者たちは、皆それぞれの言語で「この西瓜野郎、この西瓜野郎」と跳ね交う西瓜ともみあいへしあいしてい…
全身を西瓜で紅く染めた店主の妻がやみくもに鉈を振り回すものだから、店の中は西瓜以外の赤い色まで混じって大変な騒ぎで、この期に乗じて気に入らぬ者の頭と西瓜を見紛う振りをする者も続出、悲鳴と歓声も混ざり合うなか、基本的には性善説が信じられてい…
西瓜は山を登り海を飛び越え、手始めに隣国の王様の盃にぼこんと乗っかり、意外に丈夫な盃に驚いてみせたのを王様が気に入り、ぺちんと褒めるために叩いてやったら、西瓜もまた上機嫌で弾んでゆき、段々畑で農民を追いかけつつ跳ね落ちていくと、そのままア…
速めた足がぷるぷると震えはじめる者もいるにはいたが、皆それぞれ西瓜ころがしに対しては足の震えのことなどお構いなしに振る舞えるくらいの憤りは持っていたので、川魚の急坂から西瓜ころがしの西瓜を蹴落とすのは、私や和尚が思っていた以上に盛況で、噂…
もちろん、番台の女の笑い声が常に鈴蛆の湧いたような声であることは理解できるのだが、理解できないのは、どのような生活を送れば笑い声が常に鈴蛆の湧いたような声になるのかであって、おそらくそれを注意する者も傍にはおらず、大口を開けて笑うものだか…
鈴蛆など最近では見かけることすら少なくなり、ゆえに耳に鈴蛆が湧くなどというのは、遠い昔のはやり病のように思われるかもしれないが、もちろん、この土地がいくら野良うずみがうろつく土地であるからといって、いまどき鈴蛆が頻繁に湧いたりすることなど…
川魚の急坂から西瓜ころがしの西瓜を蹴落とすことは、つまりは鐘爺に飼われていた哀れな老犬を弔うことでもあり、もっとも弔うというのは多分に弔う側の気持ちを満足させるものであり、それは和尚もかねてから説いている話で、大事なのは弔う側がそれを忘れ…
野良うずみというやつは、口にできるものが目に入れば躊躇うことなくもしゃもしゃとやりはじめるので、鐘爺の犬の餌に限らず、ひびの入った西瓜なんかにも顔を突っ込むものだから、西瓜ころがしにとっても厄介な存在で、仮に野良うずみの毛皮が高く売れるの…
皆の足が速まったからといって空山のふもとまでにはまだそれなりの距離があり、ぷくろうちを作るほど容易いものではなく、案の定、ラリゲの奴が軟弱なところを見せはじめ、大量に背負ってきた桃を齧り出したあたりでようやく鐘爺の飼っていた犬の墓が見えて…
西瓜ころがしの老人が鐘爺という綽名で呼ばれるようになった頃、すでに鐘爺のことを知る者は少なくなっており、結果として西瓜ころがしの老人は鐘爺の悪名を再燃させる役割を果たしたわけで、その一点のみにおいて西瓜ころがしの老人にも価値があったといえ…
和尚はすでに和尚ではなくその呼称は和尚時代の名残であり和尚という綽名と化しているだけなのだが今の和尚よりも和尚はよっぽど和尚なのでこの土地の人間はみな和尚を今なお和尚と呼んでいるわけで、和尚を和尚と呼ばぬ西瓜ころがしの老人が土地の鼻つまみ…
伸びた爪が土地鴉(とちがらす)の餌になると知ってからは、庭の隙間に指を突っ込むことが日課となり、すっかり指先は土地の栄養を吸ってしなやかになったのだが、いかんせん用済みになった爪切りのやつの愚痴が鬱陶しいので馬を飼い始めるも、馬の爪を削っ…
「他人からもらったものを売る者よりは自分の金で買ったものを転売する者のほうがわかる」とする人がいたのだが、非常に気持ちの悪い倫理観だと感じる。他人の厚意を無下にしてはいけない、といったことなのかもしれないが、厚意や善意というのは、あくまで…
ツイッターなどで体験や主張をラフな漫画やイラストで呟くタイプのものが結構あるが、ためになったりするものも多いけれど、つっこみどころの多いものもたくさんあって、あれはたぶん「絵にしたほうがわかりやすい」と安易に考えて挙げたものなのだろうけれ…
『ズートピア』のテレビ初放送で世間が盛り上がるなか、我が家近辺ではカラスとキツネの縄張り争いらしき騒ぎが続いている。幸い、餌付けも攻撃もしていないためか、両者とも人間に立ち向かってくることはないのだけれども、当然ながら前触れなどなしに突然…
昨日、アスファルトの上を移動するミミズを久しぶりに見た。別の場所で目にすることはあるのだが、アスファルトの上のミミズは久しく死骸すら見ていなかった。定期検診のため歯医者に行く途中、バスの窓から強い雨の降る景色を眺めていたところ、信号に捕ま…
寒暖の差が激しく身体も心もついていかない。4日ほど前は、可能なことなら全裸で生活したいと感じるほど暑かったはずなのに、なぜ昨日の晩はストーブまで使っていたのだろう。今年初の素麺を食べた2日後に、なぜほかほかの鍋を囲んでいたのだろう。そして、…
Google ストリートビューで我が家近辺の画像を眺めると、映り込んでいる資料庫の窓が整理前の状態なので、どこの誰が気にするわけでもないはずなのに、妙な歯痒さを感じてしまう。最新の画像に更新されるのを心待ちにしている。 日本映画学校に通っていた頃…