私達はレミを非難できるか?

 その昔、と言ってもそれほど昔じゃない。私の故郷・北海道の某高校が甲子園で大活躍したのだが、その際、地元の暇な方々が市役所等のテレビ前で熱狂的な応援をしていて、普通に市役所を利用しに来た方々に多大な迷惑をかけて、新聞の投書欄で批判されていたことがある。ついこの間のオリンピックでも、デパートの家電売り場のテレビ前に大量の暇人たちが溜まっていて、非常に邪魔臭かった。

 応援するなとは言わないし、応援している選手やチームが勝って嬉しくなったり、負けて悔しくなるのも分からないでもない。しかし、そんな「一所懸命」な応援によって、迷惑を被る人もまた少なくない。感情論じゃなく、実際に。

 フランスのイタズラ男として有名なレミさん(私は彼のファン)がワールドカップを意識したのか、サッカーに関する新作イタズラ動画を公開し話題になっている(mixiニュースにもなっている。文章を引用すると“「The Stupid Cup」と名付けられたこの動画では、コメディアンが大型バス十数台分ものサポーターを引き連れ、突如アマチュアサッカーの試合会場に来襲。今回の作品もこれまでと同様に大暴れする内容で、仕掛けられた選手たちも唖然とするしかなかったようだ”)。

 勿論、「一生懸命やっている人を茶化して笑いをとるのは許せない」とか色々と批判も多い。しかし、ひねくれた言い方をすれば「一生懸命やっていればそれでいいのか?」とも思う。「一生懸命」という言葉が免罪符になっていることって、結構あると思う。一生懸命やっているのは、レミさんだって同じことだ(じゃないと、これだけ金かけないだろう)。

 大議論的な話をすれば、そもそもサッカーなんて、人間には必要ない。もっと言えばスポーツにしろ、芸術にしろ、究極的には必要ないことだ。だから、一生懸命やるな、ということではないが、サッカーが「馬鹿にすることは許されない、とても素晴らしいものだ」というのは、サッカーファンだけの定義であり(いや、別にサッカーが素晴らしいものであるという主張それ自体に問題はないけれど)、そこから独立して尚崇高であるとは言い難い。応援等の騒々しさ、渋滞、興味のない人間が中継によって好きな番組を潰される等の迷惑がかかっていることも事実だし(そもそも、なんであれ生きていれば、人は他人に迷惑をかけるものだ)、ならばイタズラによって多くの人を楽しませているレミさんとサッカーの間に明確な差なんてないのではないか。

 それにしても、一番不可解なのは「他人に迷惑をかけるイタズラはイタズラ以下」という批判で、イタズラなんてものは、事の大小はあれ、他人に迷惑がかかるものであり、その次元で批判するのなら、どんな些細なイタズラだって例外なく批判すべきだろう。

 まあ、大迷惑なイタズラであることは、間違いない。でも、実際の馬鹿なサッカーファンは、正にこのような騒ぎ方をするわけで、「ファンなんてこんなものさ」的な批評性があると指摘することもできる。