いじめに対して浅い考えの持主をいじめてみる

 昨夜、つぶやいていたことを簡単にまとめる。

 映画学校の講師だった武重邦夫さんが運営(?)に関わっていたことで知った会員制のSNS的なコミュニティメディア(日刊ブログ新聞「ぶらっと!」)の中のブログで、「中学生の女の子が、同じ中学の女子生徒に裸でイスに縛りつけられて、動画を撮られて、友人のケータイに送られたというイジメ」について書かれていたのだけど、そのブログ主は「私たちの頃にもいじめはあったが、今のように陰湿ではなかった」「いじめを無くすには、まずお笑い番組からだと思います」と続ける。

 お笑い番組の悪影響なんて話は、昔から言われていることだけど、私にはあまり理解できない。だいたい、この人はこんなことが言えるほどお笑い番組を観てるのだろうか。仮に、悪影響があるのだとしても、「中学生女子が、同じ学校の女子を裸で椅子に縛りつけ、動画を撮って友人のケータイに送る」ようないじめを助長させるようなお笑い番組ってどんなものなのだろう。そんな鬼畜AVみたいな内容のお笑い番組があるなら教えてほしい。

 もし、そんないじめを助長させるような内容のお笑い番組があったとしても、そのレベルのいじめは、現代にしかないものなのだろうか。件のブログ主の年齢は不明なのだが(公開されていなかった)、昔だって陰湿ないじめはあっただろう。1991年の「同窓会大量殺人未遂事件」(詳しくは、調べればすぐに分かる。調べなさい)の犯人(当時27歳)の犯行理由は、中学時代に受けたいじめが動機だった。いじめの内容は「ヘッドロックをかけられたり、頭にパンチをされたり、プロレスごっこをやって頭を椅子に叩きつけられ、何針か縫った」「女の子の前でズボンを脱がされて、裸にされた」など、充分に「陰湿」で「凶悪」なものだ。1991年当時27歳なのだから、犯人は1964年頃の生まれで、完全に「今の若者」ではない。現在はもう40代後半だろう。犯人の行為を擁護するわけではないけど、仕返しに殺してやりたくなるのも分からなくないような酷いいじめじゃないか(ちなみに、後の取材によると、標的にされた元クラスメイトの大半は、いじめていたことを覚えていない、または昔のことじゃないか的な発言をしている)。

 女子同士のいじめでも、「茶巾縛り」なんてのは、かなり昔からあったわけで、ブログ主が知っているかどうかは分からないが、知っていてなお「今のように陰湿ではない」と言うのだとしたら、どういう感覚なのだろう。少なくとも、私には「茶巾縛り」が「椅子に裸で縛り付けて動画を撮る」よりは陰湿ではない、とは思えない(「茶巾縛り」を知らない人は、自分で調べてください。あんまり私は説明したくない)。

 もっと言えば、昭和初期なんて、名誉毀損とかプライバシーなんて概念が稀薄だったから、普通の人のちょっとした「よろしくないこと」まで堂々と新聞に書かれ、書かれた人が世間から陰湿ないじめを受けていたのだ。ネットの悪口と大して変わらない。どこが「昔は良かった」なのだ。

 意地悪な見方をすれば、自分の生きた時代は良い時代だったことにして、「今」を批判する権利のある人間なんだと思いたいがための発言のようにさえ思える。そんな考えで、根拠もなく無責任に「今は酷すぎる」とか「お笑い番組のせい」とか言うのは、「今の子」や芸人に対するいじめじゃないのか。

 そもそも、陰湿でなければいじめはあっても良いのか? 「今ほど陰湿じゃない」、そんな言い草の方がいじめを助長させてるようにも思える。

 やっぱり、このブログ主、現代社会をいじめたいだけじゃないのかな?

いじめを考える (岩波ジュニア新書)

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