つぶやき散らかした無益なあれこれの保存(11月中旬 その1)

Q10

 『Q10』の事前情報番組観てたら、蓮沸美沙子がドラマ内で「愛し合ってるかーい!」って叫んでた。「野ブタ。」(脚本は同じく木皿泉)に出演してた忌野清志郎繋がりかな。まあ、大元はオーティス・レディングだけど。

 自分が映画学校の後半に書いていたものって、つくづく木皿泉の影響が強いなあと改めて思う。直接、引用したりパロディさせてもらったのは西尾維新とかアーサー・C・クラークとか西島大介とか古谷実なんだけど、テーマとか暗喩の手口なんかはあからさま。まあ私のは劣化版なんだけど。
 
 今回の校庭に机でSOSと書くシーンも、9の字机事件と大雪山SOS事件という、私がネタにしたくなる(というか、既にしました)事件の合わせ技(なのかどうかは知らないけど)だった。『野ブタ。』の都市伝説の扱いもそうだし。

 ちなみに、生徒みんなが授業そっちのけで校庭に出ていく「SOS」のシーン(学級崩壊ではない)。私も私立高校出身だけど、クラスのリーダー、お調子者、その他の生徒、そして担任教師のパワーバランスというか関係性が巧くいっていれば、あり得なくもないと思った。もちろん、しょっちゅうあるわけじゃないし、後にそれなりに注意されるだろうし、名簿から授業料を払えない生徒の名前が消されてるのにそっちはアリなのかという指摘ももっともなんだけど、クラスと担任の質によっては、やっぱりあり得なくはない(実際、似たようなことはあったし)。
 
 あと、ひどく個人的な感想は、忌野清志郎木皿泉を介してAKB48オーティス・レディングが繋がったのがなんか嬉しい(今回「愛し合ってるかーい」と叫んだのは、蓮沸美沙子だけど)。更に言えば、『Q10』のあとの『嵐にしやがれ』のゲスト・大泉洋は、主人公の声を担当した『茄子 アンダルシアの夏』の主題歌が「どうでしょう」で歌った「自動車ショー歌」の替え歌「自転車ショー歌」で、歌っていたのが清志郎さんだった。そして、『茄子』の原作は黒田硫黄。その黒田硫黄の『セクシーボイスアンドロボ』のドラマ版の脚本は木皿泉。いや、もちろん偶然なんだけど、ちょっと口元が緩むのね、こういうの。だから、大泉さんには是非木皿作品に出演してほしいの。

 これも、どうでもいい感想だけど、『Q10』の前田敦子を見てると、映画『ナック』(1965年/リチャード・レスター)のリタ・トゥシンハムを思い出した。同じことを思った人、他にいないかしら。



 『Q10』第2話。木皿さんの恋愛に関する考え方というか描き方に触れていたら、これに近い感覚を前に味わった気がするなあと思って、よく思い出してみたら、さまぁ〜ずがまだバカルディだった頃の長編コント『なまたまごかけ御飯』だ。というか、さまぁ〜ずがライヴでよくやる恋愛系コント全般に似た匂いがする。なんだろう、具体的にどこがどう似てるのかまだ分からないから、明日にでもバカルディ時代も含め、またさまぁ〜ずのライヴDVDを全部観直してみよう。それにしても、第2話良かったなあ。現時点でのお気に入りは影山君。いい奴だと思う。

 お調子者の影山君がからかわれキャラの河合さんに思いを寄せているのに、自分のキャラが崩れるのが嫌で誰にも打ち明けられないっていうのは、「野ブタ。」的な設定だし「りはめ」的でもあるんだけど、別にこれは恋愛に限らず、クラス内で認識されてるキャラが崩壊することの怖さってわけで、それは自分の中学〜高校時代でもそうだった(いや、それ以降だって基本的に変わらないのだけど)。

 オタクであることが問題というよりは「リーダーぶってるのに実はオタク」であることが問題、とでも言うのかな。河合さんの場合は、アイドル好きであることそのものが問題なのではなく、地味でドジでからかわれキャラである自分が実はアイドル好きである、ってことが問題(だと自分で考えている)わけ。

 最初から自分の好きなものがクラスに認知されていれば、そういうキャラとしてからかわれつづけることはあっても(度を越していない限りは)引かれたり、白い目で見られたりすることは、そうそうないと思うんだよね。その辺りのさりげない描き方が、さすが木皿泉のシナリオだなあと感じる。切実なんだけど、からっとしてる。真剣だけど、深刻じゃない、みたいな。でも、そういったことを感じることのできる大多数の高校生って、なんだかんだ言ってバカじゃないから、みんなそれぞれカミングアウトしちゃったら現在のキャラが崩壊してしまうような秘密を一つや二つ抱えてることを分かりつつ、お互い踏み込み過ぎないように学園生活を送っていたりするんだと思う。少なくとも私のクラスはそうだったし、別の高校に行った小〜中学時代の同級生もそう言ってた。

 「アイドル好きであることそのものが問題なのではなく、現在のクラスで認知されている自分のキャラがアイドル好きであることが問題であるということ問題」について(ややこしいネーミング)補足すると、現在アニメ版が放送されている『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は、まさにこの問題が主題になってる。

 これはアイドルとかアニメとか関係なく(実際にカミングアウトした時に、クラスメイトが本当に離れてしまうかは別として)、自分の趣味がクラスで認知されているキャラにふさわしくない場合に生じる。だから、「アイドル好き」であること「オタクであること」そのものが問題なのではなく、自分のキャラにその要素が加わっても、今まで通りのキャラで生きていけるかどうかが問題。

 逆に、キャラにふさわしかったり、大して問題がなければ、「あ、私けっこうアイドルとかアニメとかも好きなんだよねえ」みたいにすんなりカミングアウトできると思うわけ(まあ、18禁とか過激なおっかけとか、度をこしたものだとハードルが上がるだろうけど)。

 『Q10』の河合さんの場合は、成績優秀だけどドジで地味ないじられキャラ(ドラマ内では、「ブス」とも言われてるみたい)なわけで、そういったキャラが流行りのアイドルの熱狂的なファンだというのは(少なくとも河合さん自身は)マズイと思われてるということだ。

 また、そんな河合さんのことが好きな影山君は、クラスのお調子者+中心人物的なキャラだから、河合さんが好きだということがバレてしまうと、彼にくっついていた準お調子者な連中が離れてしまう危険性がある(「え、影山、あんなブスが好みなの?マジ、ありえねえんだけど(笑)みたいな)。
 
 こういった、他者が認知してる自分のキャラと自分自身の趣味/性質の問題って、ようは清楚系で売ってたアイドルの喫煙写真が流出してファンが幻滅しちゃうのと同じことで、傍から見れば「勝手に期待しといて、裏切られたとか言ってんじゃねよ」とも思うのだけど、コミュニティの中では結構切実な問題なんだと思う。思うというか、私自身も現在進行形で切実だったりするのだけれどね。

 そういえば、『クレヨンしんちゃん』の風間くんは、この問題に関わるエピソードが多かった。風間くんは、親の英才教育の影響もあって、幼稚園児にしては博学(?)で、自分もそういうキャラで友達や先生たちに接していて、「(アニメとか特撮とか)そんな子供っぽいものぼくは見てないけどね」なんてこともしょっちゅう口にしてるのだけど、実際は「アクション仮面」も見てるし、「アクション仮面」カードも集めてる。でも、キャラが壊れちゃうから、みんなには見てないことにしてる。背伸びして「コーヒーが好き」と言っていたのもそうだし(本当はココアだった)、特に必死で隠していたのが魔女っこモノのアニメの大ファンだということ。抽選で当たったキーホルダーを落としてしまうエピソードでは「万が一他人に拾われて、ぼくのものだと知られたら、ぼくの評判が、将来が!」とか言って焦ってた。

 『Q10』の河合さんや、影山君の問題も、基本的には風間くんの悩みと同じであって、キャラさえ違えば、アイドルだろうが魔女っ子アニメだろうが平気でカミングアウトできるはず(『クレしん』では、怖い顔の園長先生が、実は宝塚のファンだったってエピソードもあったなあ)。



 しかし、『Q10』が自身の脳内にある「感動しました」スイッチを叩き割るような勢いで押してくるので、このままでは本当に叩き割られて内部に隠してある「もう、好きにしてください」スイッチまで叩き割られてしまうという危機感を感じ、愛川欣也の「死ね死ねブルース」を大音量で聴いたりして、気持ちを落ち着かせたりしている。しかし、野球がまだ放送されていることを知って一気に不機嫌になったので(別に『バブルへGO』が観たかったわけではないけど)、わざわざ「死ね死ねブルース」に頼ることはなかったかもしれないとも思っている。まあ、野球に対しては「死ね死ねブルース」気分。

 それにしても、月子(福田麻由子)がなんか未来の予言っぽいことを言っていたのが気になる。思わず、暗黒物質のこと調べちったよ。そういえば、「いつかは全てなくなる」ってこと、3〜6歳くらいの頃によく考えたなあ。

 木皿泉作品って、なんかそういう幼少期の記憶をくすぐられる。評価しているポイントはちょっと異なるけど、清水マリコの作品も幼少期の記憶をくすぐられるので、もし映像化されるなら、脚本は木皿泉に担当してほしい。


『Q10』DVD-BOX

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 『モリのアサガオ 新人刑務官と或る死刑囚“絆”の物語』は、傑作を超えて名作の予感。テーマ、演出は勿論、とにかく役者が良い。しかし、ARATAは囚人/悪人役が多いなあ。『ピンポン』のスマイルの頃が懐かしい。

 『モリのアサガオ』第2話。大倉孝ニに泣かされかける。それにしても、まだ2週目なのに、かなり踏み込んでると思う。ひょっとしたら「裁判員に選ばれた人を混乱させる」とかいうアホなクレームがくるかもね。『相棒』の裁判員エピソードを併せて観ると、より良いと思う。

 ところで、『モリのアサガオ』に釘付けで、まったく気付かなかったのだけど、『SMAP×SMAP』にデイビー・ジョーンズモンキーズ)が出ていたのね。ちょうど、歌い終わったところだったけど、さすがに老けたなあ(まあ、リアルタイムでモンキーズを観た世代ではないけど。86年生まれだし)

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 前回放送された「バカデミービデオ大賞」。ザック君とかJBデストニーとかジェリー見てると、まだ私大丈夫だなって思う。JBだって元気に生きてるんだ、前を向いて生きようって思う。世界中のバカが、みんな彼らのような愛すべきおバカさんだったらいいのに。

 以前、成馬零一さんがブログで「意味もなく仲が良い「嵐」放課後ティータイムと、意味もなく(内部で)戦っているAKB48(『マジすか学園』)と『戦国BASARA』という構図が今の日本の表現の極北みたいになっている」と仰っているのを読んでから、では「意味もなく仲が良い連中が同時に意味もなく戦っていて、その状況を楽しんでるような作品」ってなんだろうなあと考えていたのだけど、たぶんそれは、『水曜どうでしょう』とか、『バカデミービデオ大賞』で紹介された、同じ寮の中でイタズラ合戦をしていたおバカなロシアの学生たちじゃないかと思う。「バカデミー」で言えば前回放送された、ペンシルバニアの歴代おバカ大賞3人組(ザック・ゴードン、JBデストニー、ジェリー)がカメラ前で一番目立とうと争っていた夢の3ショットもそれに近いのかもしれない。「誰得全損」の話にも繋がるかもしれないけど、少なくとも今挙げた作品(?)を観ると、私は幸せな気分になる。

 『水曜どうでしょうClassic』。「アラスカ半島620マイル、第5夜。何度観ても思うんだけど、たとえいくら不味かったとしても、「スープ」として出されたものを「鍋」とは言わんよなあ。こういう雑な感想を平気で漏らしちゃう藤村Dは、やっぱりある意味天才だと思う。もちろん、無用なフランベで火災報知器を鳴らしたり、フルーツの盛り合わせにいらん小細工をしたりするシェフ大泉にも問題はあるんだけどね。しかし、この人たちは羨ましくなるくらい楽しそうだな。 

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