東京バンビ『男子と女子と、ときどき鹿と』

 昨日、珍しく演劇鑑賞したのには色々と理由があって、もちろん興味のある作品でスケジュールの都合もついたからというのが最たる理由なのだけど、既に今年中には拠点を故郷・北海道に戻そうと決意している身としては、今の内に小劇場演劇を観ておかないと当分触れる機会がなくなるだろうなあ、という思いもあった。私はいまだに「北海道の演劇」をミスター(鈴井貴之)関連(つまりTEAM‐NACSとかイナダ組とか)以外に知らない。大抵のジャンルに手を出しているけれど、演劇に関しては完全なる門外漢である(しょっちゅう演劇鑑賞をしている映画学校時代の同期生の日記に、たびたび小劇場演劇の辛口感想が書かれてたのも、私が演劇から遠ざかっていた理由の一つでもある。氏曰く「小劇場は危険がいっぱい」「知り合い役者が出てる作品は大抵ハズレ」)。

 そんな私の、ほぼ初めての演劇感想。




東京バンビ『男子と女子と、ときどき鹿と』
(作・演出:稲葉信隆/下北沢楽園 5月11日、14日、各回19時30分〜 料金:2800円)


 作者自ら「とてつもなくアホらしいコント的な舞台」と語る通り、観劇中、さまぁ〜ずやはんにゃといったお笑い芸人、あるいはうすた京介や『魁!!クロマティ高校』といったギャグ漫画の名前が何度も浮かんだ。

 コント的な舞台だから、当然芝居もコント的なものであり、それは「人間芝居かキャラクター芝居か」で言えば圧倒的にキャラクター芝居で、むしろキャラクター芝居に徹していないと笑いに転化されにくい。その点は、全体としてはひたすら突拍子もない設定をキャラクター芝居でつっきっていて、小劇場演劇に関して多少「構えて」見ていた私でも、結構笑わせてもらえた。

 ただ、序盤の女性陣、特にボケ役の女優さんの演技に「人間臭さ」が残っており、「とてつもなくアホらしくコント的」な世界観にすんなり入りにくい面がある。高校の修学旅行が舞台で、女子部屋のシーンと男子部屋のシーンが登場するのだが、物語の構成上、女性部屋のシーンが先にあり、確かに物語的には女性部屋が先の方が良いのだけど、どうにも空回りしている印象になってしまう。女優さんの演技の質(巧い/下手というよりは、人間芝居派なのかキャラクター芝居派なのか、という意味)なのかもしれないけれど、いっそ最初の女子部屋のシーンは無理に「笑わせる」要素を詰め込まない方が良かったのかもしれない。

 登場人物の基本的な行動原理は「恋愛/色恋沙汰」であり、それは共感できずともコントの基本設定としては入りやすいもので、そのうえで伏線回収が笑いに転化する構成は、ある意味バカルディ時代のさまぁ〜ずの傑作『なまたまごかけ御飯』に似ている。より突拍子もなく、徹底的にくだらない物語なのは『男子と〜』だが、その分記憶に残りにくい面もある。中盤以降、観客自身がこの作品に「期待すべきもの」を概ね理解し、作品がその範疇で(つまり、「とてつもなくアホらしいコント」でひたすら笑わせてもらう)しっかり収まるため、満足はするが、想像を超える展開にはなりにくいのからだろう。

 演劇に何を求めるか、という問題にもなってくるけれど、とにかく楽しんでもらいたい/とにかく楽しみたい、という点では当たりだと思う。それは志の低いことでも、安易なことでもなく、むしろそれがみんな出来ないわけだし、無理に「大きな感動を与えよう/でかいことしてやろう」と考えて全てがくちゃくちゃになることの方が多いので、「とてつもなくアホらしいコント的な舞台」を作り上げた作者はかなりクレバーだとも思う。

 
 ここからは作品そのものと言うより、小劇場の在り方的な話になるのだけど、どうにも「小劇場ファン」の馴れ合い的な空気が、作品の質とは別のところで演劇にあまり触れてこなかった私には窮屈に感じてしまう。

 それは、たとえば、開演前に聞こえてくる別の客の「演劇観/演劇論」的な会話であったり、おそらく「知り合い役者」が出たと思われる際の「湧き方」であったり、本編前の役者さんによる前説的な客の「乗せ方」を通じて、演劇門外漢の人間に酷い居心地の悪さを与える。

 元々、演劇、とくに小劇場演劇は、下北沢という地理性に強く寄りかかっており、ゆえに「名も無き郊外の時代」となった現代においては、マイナス面が多い。「そこ」でしか感じられないものを享受するスノッブ感よりも、どこでも楽しめる/感動できるという感覚の方に時代は移って久しい。そういった想像力を早くから(90年代の半ばから00年代のはじめ頃)呈示してきたのは、奇しくも演劇畑の宮藤官九郎鈴井貴之だったが、それはとりわけ彼らの演劇外の活動が、圧倒的に特定の地理性と分断されていたからだと思う(たとえば、宮藤官九郎の『木更津キャッツアイ』における「木更津」は、木更津そのものというより「名も無き郊外」の代表としての木更津だったし、鈴井貴之が企画・出演する『水曜どうでしょう』は、どこへ旅に出ても同じように苦しみ、楽しんでいる姿が視聴者の支持を受けた番組だと言える)。

 小劇場そのものに新規の観客を集めるには、「小劇場ファンの馴れ合い的空気」の改善と地理性からの分断が必要だと思う。「面白ければジャンルや大きさは関係ないはず」と嘆いてみせるのは、結局「一般人の知らない面白いものを知ってる自分」に酔ってるだけではないかとすら感じてしまう。テレビ局映画しか観ない観客を攻撃する古株映画陣とか、「『ワンピース』程度で感動する一般人」などと嘲るマンガ読みなどと同様に、醜悪な自己満足の一例と言えそうだ。

 作品としては楽しめた『男子と女子と、ときどき鹿と』も、こういった問題からは免れていないように思えた(ちなみに今朝、東京バンビの主宰の方と小劇場のあり方をめぐって口論になる夢をみた。実際のところ、参加させてもらった初日飲み会では、口論どころか、私はほぼ黙ったままだったのだけど、あんな夢を見たのは、久しぶりに飲み会らしい飲み会に参加したことで、映画学校時代のドイヒーな飲み会を思い出したからだけでなく、私が鑑賞後に「小劇場の在り方」についてあれこれ一人で考えていたからでもあるのだろう)。
 

 しかし、下北沢楽園って初めて行ったけど、L字型の変わった劇場で、A側の席とB側の席とで見える景色がだいぶ違う。いっそ、この形を活かして、佐藤雅彦『kino』の「大人の領域、子供の領域」的な舞台をやったらどうだろう(既にあるのかもしれないけど)。見終わった後にA側の客とB側の客とが互いの見た景色を話し合ってはじめて物語の全体像が分かるような構成とか。なんか、寺山修司的な感じもするけど。




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前ブログからのコメントの転載


Commented by あきゃーん

ご来場ありがとうございました!
また機会があればいろいろなお芝居を見に来ていただきたいです。
北海道にかえられたらなかなか難しいとは思いますが。。

2011年05月15日 15:51


Commented by 美月雨竜

あきゃーんさん

 こちらこそ、打ち上げで場を盛り下げる神経質な妖怪の相手をしてくださいまして、ありがとうございました。
 そのうえ、偉そうに長々と感想など書いているのですから、本当に始末におえません……と、ひたすら卑屈なコメント返信をしてみました。
 関東在住中に、また機会があれば観劇しに参ります。

2011年05月15日 22:23