今夜、町は僕らのものだ――バンクシー『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

「私もあなたの数多くの作品の一つです」(赤塚不二夫の葬儀でのタモリの弔辞)


 バンクシーが死んだ時、ミスター・ブレインウォッシュことティエリー・グエッタは、タモリさんの弔辞ほど感動的にはならないだろうが、しかし同様のことを言うかもしれない。「私もあなた(バンクシー)の数多くの作品の一つです」と(もっとも、正体のよくわからないバンクシーは、たとえ死んだところでミスター・ブレインウォッシュに弔辞を読ませる場など用意しないかもしれないけど)。

 バンクシーの初監督作品『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』の内容は、おおまかに言えば(表面的なとても分かり易いストーリーを紹介すれば)、単純な好奇心からバンクシーをはじめとするグラフィティアーティストたちを記録していたカメラオタクのティエリー・グエッタが、自らもアーティスト「ミスター・ブレインウォッシュ」に変貌する物語であり、そしてその物語は(大半の観客が気づくと思うが)バンクシーというスターが関わったというだけの理由で、二番煎じどころではない薄っぺらなミスター・ブレインウォッシュの作品を多くの人々が有難がって絶賛し購入していく様を皮肉ったものでもある。実際、バンクシーはインタビューで「最初は『クソのような作品をバカに売りつける方法』というタイトルにしたかったんだ」と語っている。

 しかし、バンクシー自身がどのように考えていようと、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』が「クソのような作品をバカに売りつける方法」を皮肉たっぷりに描いただけの映画だったのなら(そのような映画にしか見えなかったのなら)、私はこの映画のDVDを買うことはなかったと思う(映画館で一回観て、そこそこ楽しんでそれで終わりだったことだろう)。

 芸術テロリストと呼ばれたバンクシーの作品とその発表の仕方(端的に言ってしまえば落書きとして違法に町に残される「真っ当なグラフィティ」から、美術館の空きスペースに自身の作品をこっそり展示してくるといった「真っ当なグラフィティの数歩先」な方法まで)は、作品そのものの魅力や政治的スタンスとはまた別のベクトルで人を惹きつける。実際、私はバンクシーの特に「政治的なスタンス」に関しては、少々安易であると感じる部分、または首肯しかねる部分が少なからずある。主題歌としてオープニングとエンディングを彩るRichard Hawleyの「Tonight The Streets Are Ours」の一節「あの人たちにはわからない テレビは僕らの目を曇らせる」というのも、ガチで選んだのだとしたらベタで安易な発想に感じてしまう。

 イスラエルが建設した隔離壁に作品を残した際、通りかかったパレスチナ人の老人の言葉には、私がバンクシーの思想に「全面的に賛成」できない理由の一端が見えてくる。

 老人:壁をペイントして、美しくしているな。
 バンクシー:ありがとう。
 老人:わしらはこの壁を憎んでいるから、美しくしてもらいたくないんじゃ。家にお帰り。

 隔離壁へのペイントのニュースを最初に聞いた時は、ベルリンの壁に登って「バンバンバン」を唄ったムッシュかまやつのことも思い出して、ちょっと興奮したのだが、この老人とのエピソードを知ると、単純に面白がってるわけにもいかないなという気分になる。おそらく、こういった批判パフォーマンスが、更に当事者の現状や感情を無視した独りよがりの正義感によって駆動されはじめると、現在の山本太郎のような事になるのではないかと思う。バンクシーのファンとしては、その一線を越えぬよう祈っているが……。

 では、そういった不安要素を抱きつつも、私がなぜ『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』、ないしバンクシーというアーティストに強く惹かれているのかと言えば、その匿名性に基づいた発表方法が、必然的に本人の意志とは遠く離れたところで変貌してゆく現象そのものへの興味からである。ミスター・ブレインウォッシュというバンクシーの「作品」は、「クソのような作品をバカに売りつける方法」を表した、いかにもバンクシー的なブラックユーモアであると同時に、バンクシーやその他あらゆるグラフィティの「無限の拡張性」を象徴するものでもあると思う。私がより興味を持っているのは後者なのだ。

 そもそも、絵画にせよ文学にせよ音楽にせよ映画にせよ、あらゆる芸術作品は、時代を経るほどにその解釈や魅力も変貌していく(魅力が増すものもあれば、賞味期限切れになってしまうこともある)ことは珍しくない。ミスター・ブレインウォッシュという「作品」は「あらかじめその価値が変貌していくことを想定された作品」なのだろう。そのことについて、バンクシーはひょっとしたら少しの面白さも認めず、完全に否定的であるのかもしれない。私だって「ミスター・ブレインウォッシュ」というアーティスト個人を評価する気にはならない。しかし、めぐりめぐって単なる勘違いではない、まったく異なる価値が生まれていくのなら、それは魅力的な現象だと私は思う。『クソのような作品をバカに売りつける方法』というあからさまなタイトルを避けたバンクシーも、多少そのように考えてくれているのなら、個人的にはとても嬉しい。不必要なほどクラシックに美しい「Tonight The Streets Are Ours」も批評とガチの入り混じったバンクシー流のジョークなのだと信じたいところだ。

「感じるだろう? わき上がる思い 恐れずに――自分を信じろ/君は自由だ さあ踏み出そう 今夜――街は僕らのものだ」(Richard Hawley 「Tonight The Streets Are Ours」)


イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ [DVD]

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Wall and Piece

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