机上の空論、現場の幻想

 今は日本映画大学の相談役という役職(なのかどうかは知らないが)に就いているらしい武重邦男さんが、ブログで「21世紀に入るや日本の男が劣化してきた気がしてなりません」と嘆いていた。しかし、男が劣化してきたことの例として「たとえば僕らの映画の学校でも、最高峰の今村賞を女性が2年連続で受賞しています。以前は考えられなかったことです。プロの職場でも女性のプロデューサーがどんどん出てきて活躍してます」と書いているのだが、これでは証明にはならないし、この事例だけで「映画学校でも男が劣化してきている気がする」と感じたのなら、それはあまりに短絡的すぎるだろう。

 「昔はよかった」的な考えに基づく文化論というのは、基本的に個人の印象に過ぎない。または、階層や土地柄の問題を考慮していない。ちゃんと調べれば、今と同じくらい、下手をすれば今以上にダメな男は昔からたくさんいる。

 だいたい、社会調査でちゃんと証明されているか否か以前に、「女性が最高賞をとる=男が劣化している」という言い方は、なんだか女性蔑視のように思える。劣化さえしていなければ、男が女に負けるわけがないと言っているようではないか。

 ところで、「駄目な若者」や「駄目な男」などに対し「想像力がない」という批判があるが、「女性が最高賞をとる=男が劣化している」という考えの中に潜む女性蔑視的なものに気づいていなかったり、本当に昔は自分が思うほど良いものだったのかと少しも考えないような人に「想像力がない」などとは言われたくない。

 こういう芸術家の短絡的な言葉を目にすると、有名な数学ジョーク「黒い羊のお話」を思い出す。



「黒い羊のお話」

 ある国を数学者と物理学者と詩人が一緒に電車で旅行していた。
 すると、窓から牧場が見え、そこには1匹の黒い毛の羊がいた。
 詩人:この国の羊の毛は黒いんですね。
 物理学者:いえ、この国には黒い毛の羊が少なくとも1匹いるということしかわかりません。
 数学者:いえ、この国には身体の少なくとも片側の毛が黒い羊が少なくとも1匹いるということしかわかりません。



 物理学者と数学者に諭されて、自身の思考の短絡さに反省する詩人なら良いのだが、自分の誤りを認めず「理屈っぽい」だの「心がない」だのと文句を言い、果ては「直感が大事だ」などと言って、インチキ話を耳触りの良い語り口で説いてまわる詩人もいるだろう。

 それが「詩人」「芸術家」というものであるならば、感じるだけで考えなくていいということだから、ずいぶんと楽な生き方だとは思う。まあ、芸術に関してのみならば、生みの苦しみとかもあるし、それはそれでいいと思うが、詩人はあくまで詩人なのであり、国中の羊がすべて黒であるなどという馬鹿な結論を肯定していいわけじゃない。



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前ブログからのコメントの転載


ペギモン2012年03月22日 00:45

失礼な(?)。映画学校は、ちゃんと女性も劣化してたぞ

てか、男は馬力が落ちてるけど、女は質が落ちてると思う(-.-;)

男の質は元々、大した事ないと思うけど、女は馬力がない分、質は良かったんじゃないかと。最近は、質はないけど(むしろ「だから」か?)、馬力だけ飛ばす女が多いから、馬力のない男の質も落としてるんじゃないかとね。

まぁ、個人的には、どっちでも良いけど、したたかなイイ女と出会いは減る一方だし、腹の括りが良い本当の意味でイイ男に出会いたいと、最近はよく思う。



美月雨竜2012年03月22日 09:31
> ペギモン氏

だいたい、今時映画なんかやりたがる奇特な人間の集まりでしかない映画学校の例を社会全体の縮図であるかのように語るのがどうかしてると思う。

まあ、映画学校の講師の想像力なんてその程度のものってことかもしれないけどね(←これもまた短絡的な印象論の一例)。