美月さん、若干弱る

 美月さんは、酒も煙草もやらない。
 危険なので車の運転もしない。
 薬は、風邪などひいたときに、処方された合法医薬品をいやいや口にする程度である。粉薬はたいへん苦手である。
 はた迷惑な宗教活動は一切行っていないらしいが、お世話になった祖父の遺影には毎日手を合わせている。
 身体を清潔に保ち、家中の清掃を行い、朝早くに起き、必要最低限のものだけを食し、必要最低限の仕事をしながら、夜中遅くまで世の中にとって有益となりそうなことは何かと思索に耽っている。

 客観的に記せば、なんと立派な人なのだろう。
 全世界の人間たちは、ニーチェよりも美月さんを見るべきである。
 なのに、どうして良き目に遭わないのだろう。

 もっとも、夜中遅くまで世の中にとって有益となりそうなことを考えてはいるが、実際に有益となることを考え付いたためしはない。ただ、ひたすら「有益となりそうなことはないか」と考えているだけである。ひょっとしたら、考えてすらいないのかもしれない。なにか、いろいろどうでもよくなっているのかもしれない。

 大したことはしていないくせに、美月さんは、たいへんお疲れの様子である。
 それでも、やらねばならぬ事くらいはするつもりである。
 また、やらなくてもいいが、自分で自分に「やるべきだろう」と申し付けた事に関しても、やり遂げる意志くらいはまだ持っているようだ。
 頼まれていない事とか、美月さん自身「なにそれ、やんなきゃダメ?」と思うような事とか、実際やらんくても良い事などは、基本的に手をつけないと思われる。

 酒も煙草もやらず、危険物である車の使用もせず、疲れ切りながらも、美月さんは日々世界にとって有益となりそうなことを考えているか、考えているふりをしている。それと併行して、やらんといけない事をこなしている。
 ゆえに、酒を飲み、煙草を吸い、車を乗り回し、身体の衛生を疎かにしているような人々は、美月さんの500倍は頑張ってもらわなければ困る、と考えたくなるが、決して口に出すことはしない。せいぜい、こっそりブログに書き散らかす程度である。

 「酒という逃げ道を使用している方は、せめて美月さんの40倍くらいは苦労してください」
 このくらいなら口に出しても、許されるのではないかと思うので、大声で言ってみました。
 ただし、美月さんのほかに誰もいない、北海道のド田舎にたたずむ自宅にて。
 人間は、若干弱ると、こういう無益な行為を行う生き物であるらしい。