きっこなんて、震災前からほぼただのデマゴーグだったのに、なぜいまだにそんな奴の呟きをリツイートするのだろう。リツイートしたのは、映画監督の細野辰興(日本映画学校(現・日本映画大学)の講師でもある)だが、細野さんの監督としての力はともかく、社会問題に対する姿勢というか知識というか見識は、結局この程度のものなのだろうか(批判するためにリツイートしたのかと思って、その後の呟きを期待したのだが、なんにもなかった)。
問題のきっこの呟きは以下のようなもの。
「危険デマは騒乱罪ですが、安全デマは殺人罪です。」(5月20日)
危険デマだって、結果的に人の命を奪いかねないということは散々言われていることで、この発言はきっこによる「危険デマ」に対する「安全デマ」みたいなものだ。なにより、これは「自分が散々まき散らしてきた危険デマは、せいぜい騒乱罪程度のものですよ」という開き直りでしかなく、たいへん見苦しいし腹立たしい。
そして、人間の内面がどうだの、大人の鑑賞に耐えうる作品がどうだの言ってる映画監督が、こんなバカな呟きをリツイートしているのが悲しい。
映画作家に限らず、文化系/芸術系の人間は「想像力」という言葉を好んで使う者が結構いるが、大抵の場合、それは自身の所属する文化圏にとって都合のいい範囲での「想像力」である。
たとえば、映画製作において要求される想像力というのは、たとえばシナリオの読解力とか構築力とか、撮影/準備における手際の良さとか、言ってしまえばその程度である。ロケ地候補として、撮影できないような場所を挙げたりすると「想像力が足りない」などと言われる。
もちろん、映画製作においては大事なことである。だが、一歩映画界から離れてみれば、「なんでそんなことも想像できないの?」と言われても仕方のないことが平然とまかり通っていたり、下手をすれば美談として語られたりしている。
黒澤明の有名なエピソードの一つに『天国と地獄』の撮影中、電車の窓から見える民家の二階が邪魔だと言って取り壊させた(後に元通りにした)というのがある。
巨匠のこだわりという意味で、映画人は美談/武勇伝的に語るが、民家の持主の許可も得て元通りにしたとはいっても、迷惑このうえない話だ。
たとえば、この時、巨匠・黒澤明は「決して元通りにはできない思い出などが、あの家にもあるのではないか」という「想像」はしたのだろうか。もし、そういった事を理由に家主から断られたらどうしていたのだろうか。
三池崇史も、助監督時代、監督の要求を実現するために、駐車されていた車の屋根を凹ませた(アングルに車が入ってしまうから、どうにかしろと言われたらしい)というエピソードが武勇伝的に本で紹介されていたのだが(三池崇史の自伝ではなく、三池崇史について映画ライターが書いた文章)、たしかにその時の三池崇史は助監督として冷徹に仕事に徹しただけと言えるかもしれない。しかし、それを映画人の美談/武勇伝とするのは、なんだか浅ましい。自転車を盗むバカ学生の「自転車くらいいいだろう」みたいな発想に通じる気がする(持主がその自転車に対して特別な思いを抱いているかもしれない、という想像力が一切働いていない。文化系って、そういうことを大事にするもんだと思ってたけど、違うのかしら)。
デニス・ホッパーが『イージー・ライダー』(1969)に続いて監督した『ラストムービー』(1971)は、そういった映画界の欺瞞的なものを告発する傑作なのだが、現在鑑賞が困難であるという理由を差し引いたとしても、映画学校的にはありがたくない内容なのか、ほとんど語られることはなかった。
また、映画人の「想像力」の底の浅さという点では、『相棒 Season7』の第16話「髪を切られた女」(2009年2月25日放送)も必見。
(以下、「髪を切られた女」の終盤の台詞。ネタバレが嫌な人は見ないように)
芹沢「……申し訳ない? ただ死んだ場所を変えただけ? あんたたちにとっちゃそうかもしれないけどな、身近な人間失った人の気持ち、考えたことあるのか!!?」
「髪を切られた女」の終盤に発せられる台詞である。この台詞にいたる流れは、一応ネタバレ防止ということで書かないが、脚本の徳永富彦さんは、映画製作の現場で嫌な思いでもしたんじゃないだろうか。映画人の「映画の外」への想像力のなさが引き起こしたとも言えるこの事件は、その辺りに自覚的、ないし経験がないと発想しづらい気がする。
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呟き散らかしたまとめ。
ピーター・ジャクソン監督、『撲殺天使ドクロちゃん』を実写化。「『バッド・テイスト』や『ブレインデッド』の頃の僕に戻ろうかと思うんだ」と語るピーター・ジャクソンがおかゆまさきの猟奇的萌えラノべを大胆に翻訳して映画化!(USOニュースより)…………信じるなよ。
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友人の友人(会ったことはありません)春日秋人氏の第二作目(というか、、ラノべ作家デビュー作の第二巻)『絶対服従カノジョ。 2 いいか、俺の布団には入ってくるなよ?』(富士見ファンタジア文庫)をようやく入手。サブタイトルが、近頃のラノべにありがちな「それ、作者の願望じゃねえの?」系になっている(笑)。
作者の願望がそのままタイトルになるのが最近のラノべなのだとしたら、もし私がラノべ作家デビューしたら、タイトルは『愚民ども、臓物くらえ』とか『高校球児、お前らには豚の臓物がお似合いだ!』とかになるのだろうか。
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オウム事件か…。麻原彰晃がメロン好きだって話が出た時、胡坐をかいた麻原彰晃の顔の両サイドでメロンが上下運動してる映像が忘れられない。あと、拘置所で「自弁(弁当)」を喰っているという話が出た時、弁当を食すイメージ映像のバックで「弁当食うぞ弁当食うぞ」というナレーションが響いていたことも…。ワイドショー、明らかに面白がっていたよなあ…。
オウム事件の頃、私は小学校低学年から中学年くらいだったけど、周りのみんなも結構「あの歌」を歌っていた。小室サウンドと麻原サウンドが混在する不思議な空気。逮捕時に笑みを浮かべていた新実智光の物真似がやたらうまかった一級上のN澤君。色々思い出すなあ…。
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昔『カメラが捉えた決定的瞬間』でアメリカ/メーン州での銃撃の映像が紹介されていたのだけど、それが隣家の庭先で起った銃撃をホームビデオで撮影したものでNAが「アメリカはやっぱり物騒な国です」と語っていたけど、うちの隣家もよくカラス除けに猟銃をぶっ放してるので物騒といえば物騒。