(三題噺 テーマ【DVD】【モノクロ】【口紅】)
『星子さんの口紅』
星子さんから呼び出しをされるのは、これで5度目になる。
きっと、また星子さんなりのお悩みをわたしに打ち明けるつもりなのだろうと思う。
頼りにしてくれるのはうれしいが、星子さんのお悩みは、やはりあの星子さんが悩むだけのことはあるもので、わたしなどには解決できそうもない。
それでも、星子さんが、これまでもわたしの解決とは言いがたい解決策に、表情ひとつ変えずに納得してくださるのだから、ひょっとしてわたしはそういった相談事を仕事にできるのではないかしらと思ったりもする。 思ったりもするだけだけれど。
ところで、星子さんはわたしにカメラなど持たせて何をさせるつもりなのだろう。
いつものように寿司屋にわたしを呼び出した星子さんは、これまたいつものように自分の寿司のうちから、わさびのない寿司をわたしに譲り、そして今度はいつもとは違う動きで鞄の中からカメラを取り出してわたしに預けた。
「ビデオカメラですか?」
わたしが尋ねると、星子さんは表情を変えずに「DVDです」と答えた。
「正しい名称は存じませんが、ビデオではなくDVDで撮影できるのです」
星子さんは、いつものようにあなごを摘みながら答えた。
「それで、私を撮影していてください」
わたしは、星子さんから譲り受けた寿司を摘みつつ、言われるがままに星子さんを撮影する。
カメラの中の星子さんは、いつもと同じ無表情なのだが、どこかいつもと違うような印象で、わたしは少しどきどきする。
「もう、よろしいですよ」
どれだけの時間、星子さんの姿を撮影していたかはわからないけど、星子さんの寿司はもうなくなっていて、おそらくそれだけの時間を撮影に費やしていたのだとわたしは理解する。
「ありがとうございました」
星子さんが、表情を変えずに「カメラを渡してください」という空気を醸し出されたので、わたしは醸し出された空気に従う。
「実は、表情を変化させる方法を思いついたのです」
星子さんは表情を変えずにそう言った。
たしか、先日、呼びだされたときの星子さんのお悩みは「表情を変化させる方法を教えてほしい」というものだった。わたしはそれに対して、「きっと星子さんは、まだ表情をお変えになるような事態に出くわしておられないだけなのですよ」というような答えをしたはずである。
そして、星子さんはその間に、「表情を変化させる方法」を思いついたらしいのだ。
「実はこのカメラはとても多機能なのです」
星子さんはそう言って、カメラに付属されたディスプレイと呼ばれるらしいものをわたしに見せた。
「先ほどあなたが撮ってくださった私の映像は、すぐにここで見ることができます」
星子さんが、再生ボタンを押すと、先ほどわたしが撮影した、いつもとは少し違った感じの星子さんの姿が映される。
「さきほど、わたしが撮ったものですね」
当たり前のことを言うと星子さんも「そうです」と当たり前の返事をした。
「ここでこのカメラの多機能ぶりなのですが、実はこのスイッチを押すと、映像がモノクロになります」
そう言って星子さんは、先ほどわたしが撮ったいつもとは少し違った感じの星子さんの映像をモノクロに変化させる。いつもとは少し違った感じの星子さんは、更にいつもとは違った感じになった。
「どうでしょうか」
星子さんは、いつもとは少し違った感じの星子さんを更にいつもとは違った感じにした映像を見つめるわたしに尋ねる。
わたしは「そうですね。なんだか、いつもの星子さんとは二段階ほど違って見えます」と答える。
星子さんは、その後しばらくの間、自分で二段階ほどいつもとは違った感じになった自分の姿を見つめていた。
そして、ふと「モノクロでは口紅はあまり目立ちませんね」と言った。
その言葉でわたしは、今日の星子さんが目立たない口紅を塗っていることに気付いたのだった。しかし、「お化粧で誤魔化すのは、表情を変えるとは違うことだと思いますよ」などと言っては、星子さんの表情が変わってしまいそうだったので、黙っておくことにした。