夢日記・私は素敵な非常階段

 小学校の非常階段は、非常用と呼ぶには素敵な外観をしていたので、私たちは「非常階段」という言葉は使わずに、ただ「外階段」と呼んでいた。今から考えれば、さほど素敵な外観ではなかったかもしれないが、非常用というイメージを持たせるものではなかった。

 ある日、同級生たちと教室から外に出て、外階段の方へ歩いていくと、シンゴが踊り場から垂れさがるように首を吊っていた。私たちは小学生なので、中学の同級生であるシンゴがここで首を吊っているはずはないのだが、シンゴとはここでも同級生であるらしい。シンゴは土気色の顔で僕らに目をやり「あー、やっちゃたよ」と言った。

 そのままにしておくわけにはいかないで、タツヤと私で協力してロープをほどき、マサオとシンスケがシンゴの体を支えた。シンゴの体は驚くほど軽かった。体重はほとんど消えているらしい。シンゴは「悪いなあ」と言いながら、マサオとシンスケにかつがれていった。

 私とタツヤは、いい加減この外観も変えないと、同じことの繰り返しだなあと考え、傍に落ちていたバットで階段を殴り続けた。その事で、放課後、担任の桑井から注意を受けたが、そもそもあの外観にしたのは桑井なのであり、シンゴの体重が消えてしまった事の責任をとるべきではないかと思ったが、私もタツヤも面倒なので桑井とはそれ以上関わらないようにした。

 シンゴの体重は戻らなかったが、6年生になる頃には、卒業を祝う会の出し物で、むささびと蝙蝠をハサミで生きたまま解体できるほどに回復した。桑井はシンゴの出し物を快く思っていないようだったが、それは単に蝙蝠の肉を粗末にすることが許せなかっただけである。ハサミで解体してしまっては、食用に回すことはできない。むささびは、元々食用にはできないので、誰も文句は言わないのだ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 呟き散らかしたことと、呟き散らかそうと思ったことのまとめ


 『日本ロック&ブルース大全』(http://www.u-canshop.jp/rock/ )をようやく購入。村八分裸のラリーズが、バンド側のスタンス的な問題で収録されてないのは、まあしょうがないけど、あんぜんバンド、イエロー、愛奴、非常階段、コクシネル、AUTO‐MOD、SADIE SADS、などなどどうして収録されてないのかしら、というアーティストも結構ある。それでも、ここまで集めたのは凄い。スカイドッグ・ブルース・バンドとか、ちゃんと音源あったんだなあ…。ただ、90年代以降のものは収録されてなくて、それは「商業主義的な要素が強い」という理由らしいのだけど、私としては90年代以降のものっていうのは、それまでインディーズでしかできなかったことが平然とメジャーシーンにも現れるようになって(たまの「さよなら人類」がオリコン1位という衝撃とか)、商業主義とかアングラとかの垣根が融解しただけのことだと思う。たとえば、小室哲哉奥田民生はヒットメーカーなのだけど、むしろ70年代では骨太なロックだと思われてたハリマオやカルメン・マキ&OZの方がドメスティックな歌謡曲性は強い。正直、OZは演歌っぽい。