早計な理想形

 細野辰興監督がツイッターで「立つ鳥跡を濁さず。と云う諺があるが実際は、立つ鳥は大概、跡を濁す。諺とは大概の場合、願望の裏返しではないのだろうか」と呟いていているのを見て、どんなに「うんうん」と思う内容でも、一度冷静になって考え直してみるクセをつけている私としては珍しく、すぐに「うんうん」と納得した(ちなみに、その後の「野球評論家は元選手が殆どだが映画評論家の殆どは元監督とかの作者達ではない。元選手でない野球評論家の言葉を誰も信用しないだろうが、映画界はそれが罷り通っている!?」という呟きには、あまり「うんうん」とは思わなかったのだが、それについては、別の機会にちょっとあれこれ考えてみようと思う)。
 
 私は、多くの諺に対して「うんうん」と納得することができないのだが、それは細野さんの仰る通り「願望の裏返し」であり、現実とはかけ離れているからなのだろうけど、それ以上に「間違った願望/叶えるべきではない願望」なのではないかと思うことも結構ある。

 「武士は食わねど高楊枝」なんて、そもそも気位を保てる程度の貧しさの話なわけで、わざわざ諺なんてものにして、バカがどんなときでもそうだと思い込むような重みをもたせるべきじゃなかったと思う。