阿呆であるからには、その阿呆ぶりが他人を幸せにするようなものでなければならないと美月雨竜氏は考えている。他人を幸せにしない阿呆は、ゴミ屑としてちりとりでまとめて焼却炉に放り込んで排除すべきだとさえ考えることもしばしばである。
美月雨竜氏は、自分の阿呆さが、他人を幸せにするタイプのものであるかどうか、ひどく自信がない。自信がないどころか、いつゴミ屑としてちろとりでまとめられて焼却炉に放り込まれてしまうかと冷や冷やしている。真夏のうだるような暑さの中でも、身体で汗をかきながら、心は常に冷や冷やである。
なので、阿呆になってはいけない、ありったけの知識を蓄えるべきだ、機転の利く賢い人間を目指すべきだと、日々努力している。
しかし、どんな努力の仕方をすれば、効率よく知識を蓄え、どこへ出しても恥ずかしくないお利口さんになれるのか、さっぱりわからないままである。やっぱり阿呆なのかもしれない。
『上手な努力の仕方』といったような本を、まず読むべきなのかもしれない。そういうタイトルのハウツービデオでもいい。ないなら、誰か教えてほしい。教えるのが嫌なら、ヒントだけでも出してほしい。
上手な努力の仕方がわかれば、他人を幸せにする阿呆になるための努力だってできるかもしれない。才能ある者でさえ、その多くがそれなりの努力をしているのだから、才能なき者が努力するのは当然のことなのだろう。それが嫌なら、運に身を任せる他ないが、そんな度胸はない。
人は、才能ある者よりも、運の良い者よりも、努力している者を讃えがちだ。だが、讃えるべきかどうかはわからないが、我々が驚愕すべきなのは、才能ある者でも、運のある者でも、努力する者でもなく、才能も運もないのに努力しない者の勇気なのかもしれない。それでいて、他人に迷惑をかけるどころか、なぜか他人を幸せにしてしまう。そんな人物は、偉大である。この人を見よ、である。
そもそも、そうなったのはひとつの才能ではないのか? 運ではないのか? という疑問も頭をよぎるが、奇人研究の本を読みながら、美月雨竜氏は、こんな役に立つとは思えないことを考えつづけている。
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呟き散らかしたこと
「“さすが○○は変態だなあwww” “そうだろwww”とか言ってるあんたら。あんたらは「変態」じゃなく、ただ「下品」で「低俗」なだけのつまらない奴らだ。『HK/変態仮面』の安田顕を見よ。神々しく気高い、真正の変態の姿がそこにある」
かつて大泉洋大先生は「これ(安田顕)がウ○コだとしたら、ああた(鈴井貴之)ケ○の穴だよ」と言った。そう、神々しく気高い真正の変態・安田顕は、ミスターどうでしょうこと鈴井貴之から生まれた。『ドラバラ鈴井の巣』等のソフトで今も確認できるミスターの怪演を見れば、納得できるはずだ。
役者・鈴井貴之の怪演だと、個人的には木村ヨウジ第2回監督作品『続・キャッツ』を推したい。
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素敵。
「14歳まじ!?若き写真家が撮ったセルフ・ポートレイトが夢溢れまくり」
http://japan.digitaldj-network.com/articles/13261.html