友がみな我より偉く見ゆる日よ

 微細なる運動の積み重ねによって、誰がどう贔屓目に見ても貧弱なもやしの妖怪に映る肉体から、美月雨竜氏とたいへん親しく、毎日のように顔を合わせ、氏の尊厳を貶めるような事を一切しない人なら、「どうです、さすがに貧弱ではなくなったでしょう?」と問いかければ「ああ、そうかもしれませんね」と言ってもらえる程度の肉体に見事に変貌してみせたわけだが、氏の内面から滲み出る貧弱さは隠しきれないようで、そういった面で頼りにされるようなことはない。どころか、ちょっとした事で肉体も精神も悲鳴をあげる。

 小学校からの同級生のほとんどは、(笑)をつけたくなるようなスローライフ信者たちが想像もしていないであろう、過酷な農作業に日々従事していて(それでも機械化された現代農業は、この地の開拓者たちが従事していた「こいつらは、底抜けの阿呆なのだろうか」と思いたくなるような作業とは雲泥の差であろう)、彼らの猛々しい活躍を伝え聞くたびに、美月雨竜氏は石川啄木のような心境に陥り、書斎からムツカシイ本を引っ張り出して読み耽っては、なんとか自身の存在価値を保とうとするのだが、知識は増えても金や名誉は増えず、戯る蟹もおらず、結局心がぽっきり折れて、しばらくいじけてしまう。

 ジャッキー・チェンは、身体のほぼすべての部位を骨折したことがあるらしいが、美月雨竜氏の心も、もう折れたことのない場所はないほど折れまくっている。一度折れた骨は、同じ力で折れることはないらしいが、不思議なことに、一度折れた心は、更に弱い力で簡単に折れてしまうのである。今もまた、『1×8いこうよ!』の放送が、美月雨竜氏にとっては一体何が面白いのかさっぱりわからない、憎むべき野球とかいうスポーツの中継によって勝手に潰されるようだと知り、氏の心は折れているのだ。

 何も考えないあっぱらぱーになってしまえば、心が折れる心配もないのだが、あっぱらぱーになっても生きていくには、体力というものが必要で、それが残念ながらない。上記のように、ごくわずかな人が「貧弱ではなくなった」程度の評価しかしてくれない。
 結局、毎日心をぽきぽきぼきぼき折りながら、あれこれ考えつづけるしかないのだろう。


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呟き散らかしたこと


 「マジシャンにとって、科学者ほど騙しやすい人間はいない」とよく聞くけど、デマに一番騙されやすいのは、たぶん芸術家だと思う。良くも悪くも「理屈じゃない」人が多いからね。
 あと、「発見」が得意な人も騙されやすいんじゃないかと。騙されやすいというよりは、思い込みが激しいと言った方が良いかもしれないけど(これは、芸術家にも言えそう)。

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 「ダメになってしまった人が、ダメになる前に作った/関わった作品は、その後ダメになってしまったこととは、とりあえず関係はないのだと割り切って鑑賞する」という能力を、この2年ほどで培いました(「ダメになった」というのは、単純につまらなくなったということ以上に、言動がおかしくなったことを意味します)。

 いつもここからの「悲しいとき」でネタにされてしまった「大人になったフィンガー5」ですが、だからといって全盛期の音源、映像までもが価値を失ったわけではないわけで。

 これは前田敦子の「私のことは嫌いでも、AKBを嫌いにはならないでください」みたいな話でもあって、逆にAKBというシステムがダメになっても、推している個人にそれほど非がないなら、そのまま好きでいればいいし、もっとさっきの話に近づけると、「ヘビーローテーション」という曲が好きなだけなら、AKBがどうなってしまおうと、あまり関係はない。「マイケル・ジャクソンは嫌いだけど、『スリラー』は好き」みたいなことがあっても良い。

 さて、作り手や演じ手のスキャンダル等によって作品まで傷ついてしまうことは多々あるわけだけど、さよならポニーテールって、そういう事態が起きにくいよなあ…。中の人が本当にいるのかどうかさえ、こちらには不確かなわけだし。
 しかし、リスナーのラジオネームもステキなのが多い『さよポニLOCKS!』。さよならポニーテールのファンは、素敵なセンスの方が多い印象。いや、もう、そういうことにしておこう。

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 自分の本当の長所を見つける方法がある。とにかく自分の短所だと思うことをありったけ書き出す。で、それらを無理矢理、良い言い方に書き直す。例えば「忘れっぽい」→「細かいことにこだわらない」とか、「優柔不断」→「慎重派」など。こうして書き直した中で一番ダブる要素が本当の長所らしい。

 片岡Kさんが「自分の本当の長所を見つける方法」として「短所だと思うことを書き出し、それらを良い言い方に書き換える。その中で一番ダブる要素が本当の長所」というのを呟いていた(もっとも、どこかで聞いたような話だし、最後に「らしい」と書いているので、そもそも片岡さん自身がどこかで聞いた話として呟いていたのだろう)。
 ただ、この話自体は別にいいのだけど、短所を良い言い方に直す例として「忘れっぽい」→「細かいことにこだわらない」というのが挙げられていた。もうひとつの例の「優柔不断」→「慎重派」はともかく、私はどうしても「細かいことにこだわらない」というのが「良い言い方」だと思えない。深刻で複雑な問題について考えるとき、「細かいことにはこだわらず」ではダメだろう。

 「細かいことにこだわらない」と言われる人で、あまり悪い印象を他人に抱かせない、どころか「たいした奴だ」と評価されてる人は、おそらく「細かいことにこだわらない」のではなく「(その対象が)考えなくても良いことだと本能的に理解できる人」だろう。
 また、「細かいことにこだわらない」し「考えるべきことを本当に考えてない」タイプで、それでも悪い印象を抱かせないのは、たぶんお馬鹿チャレンジに人生を賭けてる人。ザック・ゴードン的な。

 何も考えずに、フィーリングだけで選んだ、農薬容認派も否定派も揃って眉を顰めそうな謎のクスリを撒いて、作物どころか畑をおじゃんにした人が知り合いにいる。
 もちろん、考え過ぎて失敗してしまうこともあるわけだけど、じゃあ何も考えない方が良かったかと言うと、きっとそうではない。何も考えずに成功した場合、それが野生の勘的なものであるなら、そういう能力のある人じゃないと駄目だし、ただの運だとしたら危ない橋を渡りすぎである。まあ、失敗しても本人、あるいは理解ある家族や知人が損をするだけなら、そういう賭けに出ても良いのだろうけど。

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 作曲家のブログが話題:あまちゃんテーマ曲を選挙カーで流して良いの? JASRACに聞いてみた - ねとらぼ
 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1306/14/news109.html

 →まあ、票を投じるべきではない奴を選ぶ試金石にはなったろう。

悲しいとき

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魔法のメロディ

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