大嫌いでも、それだけやらされれば、そりゃ人並み以上にはなるさ

 スキー場でスキーをやった回数は、今のところ13回である(夏のスキー場を眺めに行ったり、その他別の用事で何度か行く機会があったが、スキーをやりに行ったのは13回)。小学生の頃、年に二回スキー教室があったのと、高校1年時のスキー教室を合わせた数だ。家族や友人とレジャーとして行ったことはない。

 幸いなことに、この13回で、たとえば多少良いところを見せたい相手がいたとして、その人の前でも、さほど恥ずかしくないくらいには滑れるようになった。これも小学1年時の生まれて初めてのスキー場で、つきっきりで指導してくれた同級生のお父さんのおかげである(当時、経験の少ない子には、経験豊かで冬の間は割かし暇のできる農業を営む父兄が指導にあたってくれていた)。

 だが、不思議なことに、私の通っていた小学校で最も冬季に力を入れられていたスケートに関しては、6年間、ほぼ毎日のように暗くなるまで、ほぼ強制的な練習があったのに、ちっとも上達しなかった。楽しいと思ったことも一度もない。むしろ、指導する連中に心の中で呪いをかけていた(ちなみにスケートの指導は、ほとんどが児童の親ではなく青年団だった。こいつらが丁度現在の小学校の父兄になっているようなのだが、そのあたりから色々ダメになってるらしい)。

 スキーの才能があったわけではない。あったなら、もっと上達している。同様に、スポーツ全般に関して恵まれた才能や肉体を持っていたわけでもない。持っていたなら、面白さがわからなくとも、スケートだってもっと上達したはずだ。

 もっとも、さすがに他校の何倍もの練習を全く望んでいないのに無理矢理費やされてきたため、そんな上達しない私でも地区のスケート大会に出場させられると7位とか8位で軽く入賞したりしていた(私の小学校時代の同級生は、私を含めて6人であり、その中で私がスケートの最下位。つまり地区大会の上位はほぼ私の学校で独占されていたわけだ)。違う学年でも、基本的にそうである。しかし、中学校に進んで、スケート部に入った者は、私の小学校の卒業生の中で今なお一人もいないらしい。

 日本スケート界で真面目に頑張っている人たちは、私の通った小学校のスケート教育に長年関わっているであろう、あやつらを何とかするべきである。いったい、何人のひょっとしたらスケートを好きになり、日本のスケート界の大スターになったかもしれない子供たちを抹殺してきたことか。

 このブログでも、日常の会話でも、私は何度も「あいつら」の罪を告発し続けるつもりだ。今、この時間も、私の部屋の窓から見える小学校では、スケートのために煌々と灯りがともっている。