人生に必要な知恵の半分は病室のベッドで学んだ

 幼少期は何度も入院していたので、いわゆる原風景のひとつが病室になっているわけだが、その病棟も何年も前に老朽化のため取り壊されてしまって、なんだか寂しい限りである。幼少期の私が、入院に限らず何度も通ったあのちょっと古い病院は、今は立派なものに生まれ変わり、周囲の景色もかなり変わってしまったので、当時の面影はほんの僅かしか残っていない(病院に対して、こんな感傷に浸るのもなんだが……)。

 病気自体への恐怖は人一倍強いくせに、入院することに関してはまったく抵抗がないというのは、幼少時に入院慣れしたせいだろう。入院慣れというより、むしろ入院してホッとする、ヘタすりゃちょっと嬉しいくらいの感覚だった。入院時に叱られるようなことは基本的にない(叱られるようなことをする元気もないから入院しているわけだが、それでも他の子に比べ、私は病院でおとなしかったようだ)。幼少期ゆえに、ほぼ母は一緒にいてくれるし、祖父母や親戚がお見舞いに来てくれたりもする。寂しいのは、仕事のある父とほとんど会えないことだが(父も結構来てくれていたのだが、父が来れる時間には、大抵私はもう寝ていた)、元々幼少期の私は「早く寝る子」だったので、父との交流時間が極端に減ったわけではなかったようだ。

 最も社交的だったのも、入院時だったかもしれない。幼稚園でも小学校でも、中学も高校も専門学校も、自らクラスメイトに話しかけることなどほぼ皆無だった私が、同じ病室の子供たちとは、よくお話していた。他の子供たちの親族とも話したし、医者や看護婦ともたくさん話した。悲しいことに入院時が一番幸せだったのかもしれない。
 
 私が長い時間を過ごした、あの病院の小児病棟は、静かだった。子供がたくさんいるところは大抵うるさいものだが、さすがに病院であるため、注射など痛い思いをする時以外は静かなものだ。うるさくする元気がないから入院しているわけだから、当然である。それでも、笑いがないかと言えば、ちゃんとあるし、調子がちょっと良ければ間食にフルーツゼリーなんかをいただけたりもするわけで、入院が辛く悲しいものだったという記憶はひとつもない。当時は病室にテレビもなかったが、不自由はしなかった。病院に常備してあった絵本なんかを読んで楽しんでいた(私は、自分の家でほとんど絵本というものを読まなかったし、買ってもらったこともないのだが、たぶんそれは、病院でたくさん読んでいたからだろう)。以前、ちょっと書いた気もするが、病院でクリスマスパーティーなんかも経験した(いまだに、同じ体験をした人に会ったことがない。テレビでも、絶食ブラザーズのドキュメンタリーでしか見たことがない)。
 
 病気は怖い。死にたくない。できることなら、病院のお世話にはなりたくない。だが、「入院」となると、なにか懐かしい景色と出会えるような気分になってしまう。幼稚園での思い出を振り返っても、あまり良い気分になれないのに、入院の思い出を振り返ると、ちょっとあたたかい気持ちになる。まあ、良い先生と病院に恵まれていたのだろう(他の科についてはよく知らないが、私の通っていた病院は、小児科に関してはかなり評判が良かったらしい)。幼稚園の先生と再会しても、大して懐かしいあたたかい気持ちになったりはしなさそうなのだが、あの頃の私を診てくれた先生や看護婦さんと再会したら、滅多に泣くことのなくなった私でもちょっとやばいんじゃないかと思う。



人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ (河出文庫)

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