部屋の窓から見える景色は、とても野球ができるような景色ではない。まだ雪あるし…

 今朝の『ごちそうさん』を見ていたら、GHQが甲子園を「一年に二度もあるのがそもそもおかしい。そんなにやってたらバカになる」と言って中止しようとするのに対し、「日本には文武両道という言葉がありまして」と反論すると、腕立て伏せをしながら数式を解かされて、後になって「一番の問題は言葉の壁だ」と反省するというシーンがあった。

 確かに「文武両道」の意味が正しく伝わっていないからこその「腕立て数式」なわけだが、しかし、文武両道という言葉があるということと、それが実際に出来ているかは別の話であり、そのことが理解できていない時点で、彼らの言う「文武両道」にはあまり説得力が感じられない(勿論、両道できている凄い奴も世の中には沢山いるのだが、残念ながら私が出会った野球部員には皆無で、それはつまり、部活動としての野球というシステムが必ずしも文武両道を成立させているわけではないということになるはず)。やっぱり単純思考の脳味噌筋肉野郎じゃねえかと、意地悪く思ってしまう。まあ、何度も述べているように、私は日本の野球、特に高校野球というものに対して、人一倍憎悪を抱いているため、何がどうあろうと心情的には、GHQに全面同意してしまいそうなのだが、しかし、たとえ言葉の壁を乗り越えたところで、主張自体が変わらないのなら、無理なんじゃないかと思う。

 ところで、甲子園と言えば、私は1994年を思い出す。この年は、大変な猛暑とそれに伴う水不足の年で、高校野球の会場も乾ききり、砂嵐状態の場所もあった。球児の姿が消えてしまうような砂煙の映像をニュースで見た時、さすがの私も「何とかしてやれよ」と思ったのを覚えている。

 しかし、私が強い憎悪を抱くほど、高校野球というものを世の中が神聖化しているくせに、こういった事態の時「なんともしてやらない」というところに、すごく嫌なものを感じる。