私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがないなんて言えないよ絶対

 「私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない」というのは、故・淀川長治の口癖であり、著作のタイトルでもあるのだが、不勉強な編集者に腹が立ったという発言もあるので、たぶんその人のことは嫌いだったんじゃないかと思う。まあ、「嫌な人」はいても「嫌いな人」はいなかったのかもしれないし、本当のところはどうだか知らない。

 しかし、本当に「嫌いな人に逢ったことがない」なら、それは凄く幸せだ。嫌いになってしまった人に会わないように気をつけて生きる必要もないし、嫌いな人と特徴が似た人(小説や映画や漫画などの登場人物も含む)に対する嫌悪感というのも感じることがない。
 嫌いな人と特徴が似た人問題というのは、私は結構悩んでいて、今も大好きな西尾維新の某シリーズ作品の中に、嫌いな奴の愛称と同じ名前のキャラがいて、読んでいても心の底から楽しむことができなくなっている。

 また、テレビなどでよく見る芸能人が、嫌いな人に似た顔だったりすると、テレビを点けるのも憂鬱になる。私は、AKBは嫌いではないし、むしろかなり気にしている方なのだけど、大島優子渡辺麻友が嫌いな奴に似ていて困る。お笑いコンビ、ウエストランドの井口浩之も、地域の嫌われ者に似ていて、井口さんそのものに恨みはないのだが、顔を見ると怒りが沸いてきてしまう。まあ、髪を切り、ヒゲを剃った佐村河内守氏が嫌いな某教師に似ていたのは、特に問題はない。

 私の父は、不仲だった兄(私にとっては伯父)と口元が似ているがゆえに、タモリさんのことを好きなのに好きになれない状態が何十年も続き、伯父の死後数年経って、ようやく気持ち良くタモリさんを見ることができるようになったらしい。そして、定年も迎え、ようやく心おきなく『笑っていいとも!』を楽しんでいたその矢先に、「いいとも」は終了したわけだ。不幸な話である。