アトミック・シスターズ

「災害に物語を見出そうとするのは、所詮は他人事だからに違いない。自覚のない「他人事」は、かなりたちが悪い。当事者ではないという自覚と、だからこそそこに過剰な物語を見出そうとしないことには、常に注意し続けなくてはならないと思う」(菊池誠



 日本映画大学となった現在はどうか知らないが、専門学校時代(日本映画学校時代)は、一年時に映像科の学生には200枚シナリオという課題があった。ペラ200枚のシナリオを夏休み中に執筆し、休み明けに学内シナリオコンクールというのがあって、最優秀作やら入選作やらが決まっり、中には、そのまま城戸賞までいった学生もいたらしい。

 私のいた代は不作の年で、最優秀どころか佳作も入選もなく、一応最終選考に残った4作ほどの粗筋と講評が学内の冊子に掲載されただけであったのだが、夏休み前にプロットを練る段階で、私が提出した初期プロット(結局、シナリオにはしなかった。そもそも、あの時の私は、一年時の目玉と言われていたカリキュラム「人間研究」におけるあれこれの問題で、200枚のシナリオを書けるような精神状態ではなかった。まあ、それでも、一応提出はしたが)を最近になって思い出し、もしあれをちゃんとシナリオにして提出していたら、技術的な上手い下手はともかく、ちょうど今頃になって「そういえば、あの年、こんな問題作があったなあ」などと当時の講師が噂していたかもしれないと思った。一方で、あのプロットを見た数少ない同期生や講師陣の中には、「美月の奴は今頃、とんでもなくトンデモな放射脳になっているのでは?」と予想されているのでは、とも思う。……いや、むしろその逆かもしれない。まあ、そういう内容のプロットだった。東日本大震災とそれに伴う原子力発電所をめぐるあれこれが起こるなどと、おそらくまだ誰も、本気では考えていなかった2006年の夏ごろの話である。どんな内容かというと、以下のようなものである(当時のアイデアメモから抜粋)。


[ チェルノブイリ原発事故発生から約十月十日後に生まれた双子の日本人姉妹。二人は、母親の子宮内にいたころからゆっくりと放射能を浴び慣らされた結果、自分たちは放射能に耐性を持った新人類として誕生したと信じて疑わない。耐性が実際にあるかどうかともかく、彼女たちには、確かに通常とは異なる点が見られた。当初、過激な原発反対派が彼女たちをPRの材料に使おうとするが、二人は逆に原子力産業推進のパフォーマンスを行い始める… ]


 学内シナリオコンクール総評の中で最終候補作(私は候補に残っていない。そもそも、クラスの代表にさえ選ばれていない)に関して荒井晴彦が「上手いとか下手とかの問題ではなく、書いちゃいけないシナリオ、許せないシナリオってあると思った。シナリオは映画の「思想」だ。技術の前に思想がある」と書いていて、実際そうだと思うし、そのような理由で私自身、この封印されたプロットを今さらカタチにしようとも思わないのだけれど、しかし、私があの年に思いついたプロットより酷い妄想のようなデマを現実の話として公に呟いたりしている映画関係者や当時の同期生を見ると、なんだか複雑な気分になる。

 そもそも、このプロットに関しても、長谷川和彦の映画『太陽を盗んだ男』、あるいは阿部和重の小説『ニッポニアニッポン』のような、単純に何かちょっとインパクトのあることは思いつけないものかとぼんやり考えていて、ふと浮かんだだけのことである(『太陽〜』や『ニッポニア〜』が単純な話だと思っているわけではないが、粗筋を聞いた時のインパクトという意味で。主人公が双子の姉妹なのも、当時、ピーター・グリーナウェイの『ZOO』をちょうど再鑑賞していたり、ブラザーズ・クウェイの作品群にはまっていたりしたことが原因だし、過激なパフォーマンスを行うという点もマリーナ・アブラモヴィッチにパフォーマンスに関してあれこれ考えていたせいだろう)。

 そして、今も当時も、原発に対して否定的ではあるものの、描きたかったのは、むしろ原発に限らず、大きな社会問題になるような事態に対して、大抵の人間は、賛成派/反対派に限らず、ちゃんとした専門家を除いては、しっかりとシステムを理解などしていないのだろうということであって(原発に関して言えば、推進派/反対派ではなく、容認派/慎重派でなければ議論が成立しない、という話にも繋がってくる)、主人公の姉妹が基本的に「妄想」に囚われているだけという設定も、そこに絡んできている。

 それにしても残念なのは、当時の担当講師が、このプロットに対してどんな意見を述べてくれたのかが、どうしても思い出せないことである。このプロットに限らず、この200枚シナリオに関しては、講師にせよ同期生にせよ、色々意見を述べ合ったはずなのだが、ほとんど思い出せない。まあ、それだけ精神的にアカン状態だったのだろう。私個人に関して言えば、映画学校での生活が、人生においておそらく最も多大な健康被害を与えていたのだろう。



「「疑うことが重要」と主張するひとが、陰謀論はやすやすと信じてしまう。つまり「疑う」という態度は徹底されていない。いやむしろ、そのひとにとって「疑う」とはあるものを信じるのを止め、別のものを信じることなのだ」(伊藤剛




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「ほとんどの物を押入れに押し込んで終わらせるのと、ほとんどの物をゴミとして捨てて終わらせるのは、基本的に同じことよ。いかに捨てずに整理するか。もっと考えなさいな」

「普段、道を歩く時は、行き交う車に細心の注意を払っているし、そもそも我が身を脅かす車という存在に対して、激しい憎悪を抱いているのに、ヨーロッパラリーの沿道で命がけの観戦はしてみたいとも思う、この精神構造というのは、マゾの一言で片づけて良いものかどうか」

「大は小を兼ねる」なんていうのは、雑な人間の間違った考え方よ。

「大議論は小議論を兼ねない。無視しているだけ」


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