祭りのあとのちょっと前

「祭りの前の楽しさが いやだからどこか出かけよう 浮かれる理由を他に求めた 愚かと笑えば己を笑う」(所ジョージ「祭りの前」)



 W杯に関しては、ニュースで自然に耳に入ってくるだけの情報しか取り入れていないのだが、敬愛すべきフランスの偉大なるイタズラ男、レミ・ガイヤール氏のこの動画は、繰り返し見ている。


World Cup - Foot 2014 (Remi Gaillard)

 この動画だけ見ると、まるでレミさんが、ただのすごい人(妙な言い方だが)のように思えてくるが、この愛すべき男性の本領は次の動画の方である。


Mario Kart (Remi Gaillard)

 ちなみに、レミさんに関しては、以前にも記事を書いた。→ http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20100613 (2010.6.13/私達はレミを非難できるか?)

 私は、基本的に「お祭り騒ぎ」は苦手で、特に「一体感」といったものは、大嫌いである。音楽は好きだし、生の演奏を聴くのは、もちろん感動するのだけれど、しかしライブというものが苦手な理由もそのあたりにある。大好きではあるけれど、矢沢永吉のライブとか、正直怖い。AKBも基本的に好きだし、握手会というイベントにも否定的な思いはないけれど、私自身が握手会に行くことはないだろう。

 W杯に関しても、私自身は興味はないが、多少(たとえ、サッカーに関してほぼ知識のないにわかな人たちがほとんどだとしても)お祭り騒ぎ的な空気がこちらに浸食してきても我慢はできる。ツイッターのタイムラインがちょっと騒々しくても許せる。スポーツバーで大騒ぎするくらいなら、近所にそんな場所がないから関係ないし、たとえ近くても、近所で工事が始まってしまったと思えば諦められる。スポーツバーに集うというのは、そこに仲間がいるから、というのも大きな理由であろうが、おそらく「そこなら騒いでも大丈夫」=「他で騒ぐのはさすがに迷惑かも」という意識も見えてくるから、どちらかといえばスポーツに否定的な私のような人間も「まあ、いいだろう。楽しんでください」という気分になれるのだろう。

 だが、これが、そういった「設けられた場」ではなかったらどうか。たとえば、家電売り場のテレビの前で、通路を塞ぐほど集まって観戦する行為。広くない歩道で、下手をすれば横断歩道の手前なんかで立ち止まり、スマホやらなにやらで観戦する行為。

 もちろん、上記のような迷惑行為は、W杯やオリンピックといったスポーツの祭典以外でも見られることだが、理由がこれらのことになると、急に報道のされ方や人々の捉え方が容認的になるのは不快である。「報道の偏向」というものは、私はこういう場面の方に強く感じてしまう。

LIVE 絶滅の危機

LIVE 絶滅の危機

元気です。

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 「SMAPが好き」だと他人に言うと、「へえ、なんだか意外」とよく言われるのだが、「稲垣吾郎が好き」と言うと、割とすんなり納得される。