仮にただの事故だったら西宮さんと石田くんはダーウィン賞候補

 前回の記事(http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20140709)を上げた後、あらためてネット上での『聲の形』の最近の展開についての意見を眺めていたら、やっぱりまだ硝子の自殺という行為に対して過剰とも思える非難が根強くあって、だんだんうんざりした気分にもなってきたのだが、あえて「ここは、ちょっとそういった意見に可能な限り寄り添って考えてみよう」とも思い、色々となぜそこまで否定的な意見を述べたくなるのか思いを巡らせていたら、ひょっとして、たとえば本気で死ぬ気もないのにしょっちゅう「死にたい」などと言ってきたりメールしてきたり、実際に軽く手首を切ってみたり、暗いポエムのような日記をネットに上げているわりに、いざ気を遣ってデートとか誘ってみたら、やたらとワガママだったり、平気で集合時間を破ったりして、そのくせ大して反省もせず、さすがにちょっと怒ったら、また急に死にたいモードに入ってみたり……というような「クソメンヘラ女」と呼ばれていてもちょっと擁護しきれないレベルの異性に引っかかって痛い目に遭った人が、私が想像している以上に大勢存在しているのでは?……という疑念が頭をよぎり、『聲の形』の内容や、それに対する意見から感じるものとはまた違った意味で気持ちが沈みこんでしまった(以下、今回も『聲の形』に関するネタバレになるような内容なので注意)。

 ところで、『聲の形』における硝子の自殺理由は、前回の記事にも書いたように、少なくとも私には理解できないものではないし、そう考えている人も実際たくさんいて、ゆえに硝子を「断罪」するには、思い詰めた理由そのものを無効にするだけの説明が必要なわけだが、この場合、最大の理由と推察される「自分は他人を不幸にしてしまう存在(呪いをかけられているようなもの)」を無効にするには、単純に(とは言っても難しいことではあるが)「そんなことないよ」と実感させてあげることだし、そもそもこの「自殺理由」は、本人が確信してしまっているうえに、そうなっても仕方のないような人生のめぐり合わせだったわけで、「自殺という行為そのもの」を断罪できるようなものではないだろう。逃避というよりは自己犠牲によって周りの人を救おうとしているわけで、「呪い」が事実だとしても、その犠牲に感謝(この場合だと、かなり厭な言い方になるが)こそすれ、責めることはできない(そう考えると、硝子を救った石田の行為に対して「余計なことすんなよ」という意見の方が、まだ理屈として分からないでもない気がしてくる)。

 また、仮に単純にその境遇に耐えられなくなったことからの逃避だとしても、それを他人が「最低の状況ではない気がする」「もっと立ち向かうべきだ」と批判するのも、なにか違う気がする。体罰問題で「自分はねちねちと説教されるより一発殴られる方がマシだ」とか「いや、自分はやはり殴られるのは嫌だ」といった意見が堂々巡りしているのを見かけたが、誰にとってどんな事例が耐えられないほど辛いものなのかは、個人によって違ってくるし、少なくとも、この『聲の形』における硝子の境遇は、はっきりとクロ(この場合のクロは、耐えられるレベルの境遇であるということ)だと断じることは出来ないと思う。単行本にして2巻〜3巻あたりまでは、実際にこの呪いから逃れられるのではと思うほど「前を向いて」いたわけであるし、その挙げ句、またしてもここ最近のような展開に発展してしまったのだから、心が早く折れすぎだとは思えない。結局のところ、硝子を自殺に追い込んだのは、この行為に対する過剰な非難そのものだと言えるのだろう。


 まあ、もし硝子が自殺ではなく、花火をもっとよく見ようとしてベランダの淵に立ち、バランスを崩して落ちたのだとしたら、それは確かに責められるべきと言えるかもしれない。というか、それで本当に転落死していたら、ダーウィン賞候補である(ダーウィン賞とは→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E8%B3%9E )。「呪いとか関係なく、あの子、アホだったんだね」で終わってしまう可能性が出てくる。植野にボコられても本当に文句は言えない。打ち切りエンドとして、こんなラストが採用されていたとしたら、作者と編集者の人間性を本気で疑う。将也は完全にアホ行為に巻き込まれた人になってるし(もっとも、この場合、将也だけが死んでしまうにしても、ダーウィン賞の受賞条件はおそらく満たされる。将也だけが死んでしまった場合、おそらく硝子はその後、他の男とくっつくことはないだろうから、花火見たさにベランダの淵に立つような劣悪遺伝子を後世に残すことにはなるまい。また、将也は将也で、身を呈してそんな遺伝子を残さないようにするために遺伝子プールから退場したとも言えるわけで……って、この妄想、本当にイヤな話である。冗談ぬきで、ダーウィン賞を絡めるなりして笑い飛ばして終わるしかあるまい)。



 
 追記

 ダーウィン賞といえば、映画『バニシング・ポイント』の主人公コワルスキーさんも、実在していたらきっとダーウィン賞候補になれたであろう。



Always Look on the Bright Side of Life - Monty Python's Life of Brian

 仮に悲劇的な結末になっても、これくらいの救いは欲しいよね。まあ、この名曲のような価値観を持てていれば、そもそもこんな展開にはならなかったのだろうけど。



聲の形』に関することをメインにしたエントリの目次ページ。
 http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20150208/1423380709

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 ところで、『聲の形』の大今先生は、子供の頃『クロノトリガー』の漫画を描いていたらしいが、おそらく大今先生の描くマールは、ポ二宮(ポニーテール時の硝子)にまともな時の植野の顔を張り付けた感じなのではないかと想像。将也のツンツンヘアーもクロノっぽい。あと、たぶんカエルは永束君っぽかったんじゃないかと。

 そういえば『クロノトリガー』は、途中で主人公が死ぬんだよなあ……まあ、すぐに生き返るのだけど。で、主人公(クロノ君)を復活させる直前に仲間になるのが魔王。もしかすると『聲の形』も将也が目覚める直前に魔王っぽいヤツが味方に……島田という説は見かけるけど、まさか竹内先生?

 また、『クロノトリガー』はマルチエンディング仕様で、ゲームオーバー時のバッドエンディングも含めると、たしか15パターンあったはず。中には、女性キャラによる「男キャラ品評会」というエンディングもあった(なぜか、このエンディングでゲーム中唯一クロノがしゃべる)。『聲の形』がもし中途半端なところで打ち切りになってしまっていたら、完結後のオマケとして硝子・植野・川井による男品評会なんてものがあったかもと妄想。竹内とか父宮とか散々な言われぶりなんだろう、きっと。「クロノ」におけるベンゴシのピエール的な……。

聲の形(3) (講談社コミックス)

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