不幸せな結末

 今回もまた『聲の形』の話から。


 どうしても植野が好きになれない私は、当然「植野の将也への思いが成就する」という結末には賛成できないのだが、仮にそういう結末を迎えるとして、どのような過程が描かれれば納得できるかを考えてみた。

 まず、第一に「西宮さんがいなければみんなハッピーだった」という植野(硝子自身もそう考えているのだが)の意見がしっかり否定された上でなければ無理だろう。否定されないにしても、読者が納得できる形で折り合いはつけてほしい。また、将也を思うがあまりの行動として一部読者からはどうやら許されているらしい硝子への暴行や病室の占拠といったものの暴力性の問題もある。

 ただ、それらの問題とは別に、「硝子派」「植野派」といったいわゆる「キャラ語り」的な観点で言えば双方共に納得などできないものではあろうが、ある種、筋としては納得できる結末というのがあって、それは「将也が自身への罰のために植野の思いを受け入れる」というものだ。つまり、結局「自分は幸せになるべきではない/笑ってはいけない」という思いから抜け出せない(どころか、こじらせた)将也が、(どうやら硝子への好意は自覚したようなので)思い人である硝子と自分が結ばれることなど許されない、自分は嫌いな相手とくっついて罰を受け続けると決断するラストである。これなら、上記の問題は未解決でも構わなくなる。むしろ、未解決の方が、罰としては好ましいということになる。ドラマ『時効警察』第3話「百万人に無視されても、一人振りむいてくれれば人はしあわせ…じゃない?」における田中哲司のような立場である。しかしながら、これはもう植野が罰ゲーム扱いなわけで、さすがに私でさえ彼女が哀れになってくるので、そんなラストが見たいわけではない。

 しかし、一途であればそれで良し、とでも言わんばかりの意見には、どうにも同意しがたい。一途であるということは、暴力的でもある。


【手描きMAD】 Eine kleine Form von Stimme 【&cover】 (short)

 この動画はちょっとうるっと。柄にもなく。


聲の形』に関することをメインにしたエントリの目次ページ。
 http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20150208/1423380709

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 そろそろモンティ・パイソン再結成ショーが放送されるな(BSプレミアム、8月24日、31日)。この動画でミック・ジャガーが言っていたことが正しいのかどうかみんなで見極めよう。


Mick Jagger introduces the Monty Python Live (mostly) Press Conference



Ministry of Silly Walks - Monty Python's The Flying Circus



聲の形(4) (講談社コミックス)

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YANKEE (通常盤)

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