受験で大量の水を飲み、ほとんど入れた場所から出した

 受験シーズンなので、自分の受験に関する記憶を掘り起こしてみる。

 私はどうにも、大勢の人間が同じ部屋で同じ問題を同じ時間に解いていくあの環境が怖くてたまらなかった。そして、そんな恐ろしいイベントで今後の人生が大きく左右されてしまうということが、またとんでもなく恐怖だった。実際、高校受験の際は、試験中にストレスからか具合が悪くなり、それでも何とか問題は解こうと頑張った結果、挙動不審となり、休憩時間にカンニングを疑われたりした(明らかに具合の悪い顔をしていたためか、軽く注意されただけで済んだが)。正直、何故合格できたのか分からない。ゆえに、高校受験よりも人生への影響度が大きい大学受験というものを、何とかやり過ごせないものかとあれこれ考えていた。

 その結果が、専門学校への進学だったわけだが(大学というもの自体が怖かったというのもある)、私は推薦で受験をしたにも関わらず、一度日本映画学校に落ちている。軽い作文と面接だけだったのに、受験というプレッシャーに押しつぶされて、面接というより取り調べを受ける罪人のような気分になり、ほとんど何も喋れずに終わったからである。幸い、一年間は予備校およびコミュニケーションのリハビリ施設代わりにゲームプランニングの学校に潜りこむことが出来(こちらは、面接もなし、自己推薦の書類だけで合格できた)、リハビリの甲斐もあって翌年の試験では映画学校に合格するわけだが、いまだに私は、ああいった受験/面接というものが、まるで駄目である。映画学校の二度目の受験時には奇跡的に持つことのできた根拠のない自信も、その後の学校生活やプライベートでのあれやこれやで雲散霧消。そして、現在の残念すぎる腐れもやし野郎へと至る。

 経験を踏めば、緊張すること自体に慣れるというが、一向にそんな気配が見られない。むしろ、悪化している。今や、一部の腐れ縁と呼べる間柄の知人以外(つまり中学くらいから付き合いのある方以外)には、ちょっと話しかけるだけでも勇気がいる。たとえば、ツイッターでフォロワーさんにリプを飛ばす時、あるいはブログで中学以降の知り合いに関する話(まあ、ほぼ映画学校、それも『コズミックアライブ』の真子先生のことくらいだが……)をする時もかなり緊張しているのである。あまり緊張していることを悟られるような対応をしすぎると、かえって気を遣わせてしまうかもしれないし、かといってフランクにしょっちゅう関わろうとしすぎると鬱陶しいだろうし。よく分からないアカウントや、付き合いの浅いアカウントならともかく、一、二度仮にもやりとりのあった方が消えていたりすると、結構凹むので、日々恐怖である。そんな恐怖に耐えられなくなって、時折愛想を尽かされても文句の言えないようなことを口走るのだからどうしようもない。

 どうせ、誰も真剣に目を通しちゃいないのだから、ブログやツイッターくらいもっと気楽にやれと言ってくれる奴もいるが、それが出来んのである。まあ、ブログは本当に読み手などほぼいないだろうから、割と好き勝手書いてはいるのだけどね。