津田寛治みたいな感じ

 ルミネの炎上CMに登場する、あの男。本来は、『スカッとジャパン』あたりで津田寛治が演じるべき存在だと思うのだが(そして、あの後に「スカッと」するやられ方をされるべき)、どうやら予定されていた第2話以降でも、そんな展開にはならないようで、問題点をちゃんと理解しているかどうかは別としても、謝罪のタイミングが早すぎたわけではないようだ。

 ところで、『スカッとジャパン』において、津田寛治や木下ほうかが演じる「クズ」たちに対し、よく「こんなヤツ、実際にいるか?」というコメントがあるのだが、確かに名バイプレイヤーたちが演じるあの「クズども」は、よりクズさを強調され、ある種「魅力的」なまでのクズっぷりではある。だが、ルミネのCMの何が問題なのか分からないという人も実際にわらわらと出てきいるわけで、なら、あのレベルの嫌な奴が存在していたとしても不思議ではないだろうと思う。むしろ、憎まれることを目的とした津田寛治や木下ほうから以上に、ハラワタの煮えくりかえるような奴らが平気な顔をして生きているのだろう。

 余談だが、ツイッターで、今も過去もフォローしていないし、されてもいないから良いのだが、「あんたって、スカッとジャパンで津田寛治が演じてそうなタイプだね」と言いたくなる人がいる。いや、俳優としての津田さんは大好きなのだけどね。あの、クズ男を演じる時の、粘着質でチャラうざい喋り方がたまらない。

バイプレーヤー読本 (洋泉社MOOK)

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 呟き散らかしたこと。



 『ダ・ヴィンチ』の宇野常寛さんの連載。今月号は、吉田尚記『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』評なのだが、読みながら泣いている。「いつか、空気を読まないために」というタイトルだけで泣かされている。勿論、嫌な気持になって泣いたんじゃない。感動してるんだよ。

 「そりゃ、僕だって語り合いたいさ。でも、空気を読むことに神経を使いながら語り合いたいわけじゃないんだ。特に僕は、読まなきゃ排除され易い人間だから。仕方なく諦めたり、黙っていたら、相手の話がつまらないからそうしているのに「君は聞き上手だね」なんて言われて、ウンザリなんだよ」……なんてことは言えないから、黙って嫌な気分を味わわされないために、あらかじめ諦めて交わらないように生きているわけでね。

 今更だけども、バレンタインとホワイトデーの度に驚くのは、「お返しが面倒だからお断りしてる」ということを実際に公言する人が存在しているってことなんだよ。

 「人間は基本的に弱い生き物で、それでも生きていくために、ここまで文明を発達させてきたわけで、なら弱さにはもっと寛容であってもいいはずだと思うのだけど、自分より弱い者のことを考えると疲れてダメになってしまうほど弱い人間がたくさんいるみたいでね」

 ミニ四駆って車もラジコンもプラモも嫌いな私はともかく、なぜか小学校の時、世間ではブームだったのに周りでハマってる奴が誰もいなくて、理由がずっと謎だったのだけど、この土地の農家の子供たちは、私有地で合法的に本物の自動車や重機を乗り回してる奴が多かったからではと最近になって気づいた。

 伊藤剛さんが、ツイッターで「90年代文化としてのエヴァと並ぶのは、やはりエイフェックス・ツインだと思うております。この曲はいまも「私的エヴァのテーマ」です」と「Girl/Boy」を挙げていた。西島大介先生の『アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥ』が映画化されれば、エヴァ×エイフェックス・ツイン(あとYOSHIKI)が実現するはず……。ただし、私は以前も絡めて呟いたけれど、95年よりも、その翌年から始まった『水曜どうでしょう』で90年代後半を楽しんだ人です。
 庵野秀明でもリチャード・D・ジェイムスでもYOSHIKIでもなく、岡崎京子でもよしもとよしともでも小沢健二でもなく、オウムや阪神大震災やフランスの核実験を経てなお「あ、世界終わんねえな」と思わせたのが、北の大地のあのバカなテレビ。「世紀末大革命恋愛大皿左巻き(世界は終わらない)」

 “90年代にはまま見られた「アニオタの洋楽嫌い」”という話も流れてきた。90年代、終末感、アニメ、洋楽、アニオタの洋楽嫌い……こういったキーワードからなんとなく思い浮かんでしまうのは、レディオヘッドよりも『凹村戦争』でも引用されたこの曲かな。

Blur - The Universal

 「泣ける映画」「笑える映画」であれば「良い映画」だとは、確かに思わないが、お前の映画に泣く者も笑う者もいない理由が、「高尚であるから」「観客の理解が足りないから」だということにはならない。

 今回の件において、確かに国籍のことはどうでもいいのだけど、仮に安倍首相があの人達が言うレベル、あるいはそれ以上の極悪人だったとしても、「酔って他人に暴力をふるった」ということが「他の巨悪と比べればどうだっていいこと」だとは思わないよ(とある俳優の事件に関して)。そういうことを言う人も、あるいは国籍のことばかりにこだわる人も、今回はっきりしている「酔って暴力をふるった」という点を甘く見すぎだと思う。

 #フォロワーさんと仲良くなりたいので色んな質問に答えてみる
 というタグがTLに数件ほど現われたので、「たとえツイッター上とはいえ、私みたいなフォロワーとも仲良くなりたいと思いますか?」という痛々しい質問をしてみようかと迷ったが、さすがに哀しくなるのでやめておいた。

 「#RTした人のイメージ曲とか勝手に決める」というタグを見て中学の頃、こっそり周囲の人間に対し、有吉弘行のあだ名並みに悪意のこもったテーマ曲を考えていたことを思い出す。私のことを切るきっかけが欲しい方はRTすると良いかも。まあ、悪意を込めたくなる人をフォローしてないけれど。

 ジェイムス・ブレイクがイメージ曲として浮かぶような人が家族に欲しい。

James Blake/Lindisfarne

 『聲の形』のテーマ曲は? という話に関して、結構激しい書き方で、挙がっていた意見に対する反対の意をブログ等で表したこともあったけど、テーマ曲とか主題歌とかイメージ曲という話になると、私は「うるさく」なりがち。

Richard D James Album

Richard D James Album

I Care Because You Do

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結局、どうして面白いのか ──「水曜どうでしょう」のしくみ

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Great Escape

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ジェイムス・ブレイク

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