改めて考えてみれば、関わると不幸になるというのは本当だったのかもしれない(2016年5月)

 twitterで、ある方から『聲の形』に関するブログを読んでいるとリプを頂いた。私があまりに「原画展行けなくて悲しい」だの「でも、元々そういうファンの集いに入れてもらえるような人間でもないし」だのと構ってちゃん発言と思われても仕方のない呟きをするものだから、鬱陶しく感じられてしまったのかもしれない。

 しかしながら、呟いていることは基本的に本心であり、以前も述べた通り、そういう精神状態で生きているからこそ『聲の形』にハマったわけでもある。ついでに言えば、だからこそ、将也のもがきぶりや硝子が処世術だの何だのと言われても作り笑顔でやりすごすしかなかった境遇に心を打たれたのだ。植野寄りなファンの人からは、きっと「キモッ」という視線を送られるだろうし、同じように硝子や将也を愛するファンの集いからさえも、あまり快くは思われないはずだ。でも、これは、もうしょうがないのではないかと思う。諦める勇気。

 さて、仮に「この構ってちゃんうざったいから、軽くコメントしてやれば、しばらく大人しくするんじゃないかな」的な意味が込められていたのだとしても、「本心ではない誉め言葉」すら、なかなかかけてもらう機会に恵まれていない為、嬉しくないかと問われれば、そりゃあ少しは嬉しい。しかし、リプをくれた人が、私が特にこの漫画に関して、いろいろと嫌な気分にもなっている原因でもあるようなタイプの方々とも交流があるらしいことを知ると、ただでさえ「少しは嬉しい」くらいでしかない気持ちが、さらにしぼんでいってしまう。

 いつだったか、「公式イベントには参加せず、グッズもほぼ買わず、同人イベントやオフ会には参加するようなファンとは分かり合えそうにない」という呟きを見たことがある。私も単行本以外のグッズは(イベントに行っていないので)ほぼ持っていないし、こうやって「公式サイドに金が入らない」勝手な考察ばかりしているのだから、この呟き主の言うところの「分かり合えないファン」に入りそうだ。

 私が原画展に行けなかった/行かなかった理由は、散々書いてきたが、こういうことを言われそうだから余計に公式イベントに参加しにくい、というのも正直ある。言いそうな人は、何度だって同じイベントに足を運ぶだろうから、遭遇して嫌な目で見られる危険性も高いわけで、だったらお互い嫌な思いをしない為にも、私はそういった公式の場へはなるべく顔を出さないようにしているのだから、これ以上肩身が狭くなるようなことは言わないでくれませんかとも思う。ただ、そんな思いをこのように公にしたら、今度は「本当のファンなら云々」とか言われてしまいそうで、だったらもう黙った方が良いのかなと思う。幸い、まだ直接批判されたりはしていないし、それほど注目されているブログでもないのが救いだろうか。

 『聲の形』に限らずだが、私みたいな面倒臭いタイプの人間でも足を運びやすいイベントを、期間中の半日くらいでもいいから、儲けてくれたら嬉しいなと思う。

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