何かするなら水曜日がいい

 何一つ誇れる活動などしていないのに、一年のうちに何度もすべてのやる気を失って、愚痴すら出なくなる期間が訪れるのだが、そのままぐうたらしていては、2015年が終わってしまうので、とりあえず日記を再開してみる。したくないけれど。放置しておきたいけれど。そもそも、いまさら更新されても、たまたま見てしまった人が困るだけだろうけれど。

 私の話を聞いたり読んだりしてくれたことのある奇特な方ならば、この現象のことも既に知っているかもしれないけれど、ここ数週間、ずっと「狂夢期」である。「狂夢期」とは「きょうむき」ではなく、「くるむき」と読み、おかしな夢ばかり見てしまって、眠っても疲れが思うようにとれず、そのとれない疲れのせいで、また更におかしな夢を見てしまって、結局また安眠することができずまた……という辛い日々が繰り返される状態を指す。

 見知らぬ男が目の前で巨大な竜巻に突っ込んで身体がバラバラに弾け飛ぶ夢(臓物を浴びた)。謎の小劇団の舞台(アルコール中毒の男が一人、部屋で酒を飲んでいる。その傍らには、鍋が火にかけられていて、沸騰し中身が吹きこぼれはじめる。それは男の脳内出血の比喩らしく、男は苦しみながら倒れ、動かなくなる)の夢。その舞台終了後、なぜか観客を巻き込んだ大喜利大会が始まり、面倒臭いので先に帰ろうとするも、まだ出られませんと席に戻され、劇団の女優に「何帰ろうとしてんですかー?」と鬱陶しく絡まれる夢(劇団の雰囲気は、吹原幸太さんの劇団・PMC野郎っぽい。あの女優さんも、たぶん小岩崎小恵さんだ。PMC野郎のHP→http://www.pmcyaro.com/)。路上でダダカン風の男が「生殖者と聖職者は同音対義語である」と演説するのを見る夢(明らかにダダカン風のその男のことを、夢の中の私は、なぜか小野大輔氏だと認識していた)。

 夢を見ると、内容を問わず、大抵、嫌な汗をかいている。嫌な汗をかくと、その分、朝のシャワー時間も長くなり、落ち着いていられる時間も減る。狂夢期からの脱出は困難だ。

 何に疲れているのだろう。思い当たる節は、ありすぎて困る。しかし、表明したところで、他者から同情されるような類のものでもないので、表明しようという気もあまり起きない。

 「言ってしまえば、少しはスーッとする」という、あまり信用できない、むしろそれをやったら更に深みにはまるのではないかとさえ感じる言葉に敢えて従って少しだけ口にするならば、色々と世界に対して腹を立てているからだろう。

 たとえば、つい最近、『聲の形』に関して、これまで散々「グッズを買ってない奴は云々」とか「公式に金の入らない同人活動ばっかりやってる奴は云々」とファンの広がりを狭めるような発言をしていた人が「聲の形に関するモノはコミュニティに広がりを持たせようという試みを感じる」と言っているのを見て、どの口がと思った。相手の喉に爪を立て、食道や頚動脈ごと引きちぎってやりたい衝動に駆られる。以前から不快な発言の多い人だが、RTやら「おすすめユーザー」やらで存在がこちらに流れてきて、気分が悪くなることが分かっていながら、つい発言を覗いてしまう(ひょっとしたら何かやらかして大炎上していたりしないだろうか、という黒い願望があることは否定できない)。「小さな価値観の押し付け合い」なんて発言もあったが、この人のそれまでの発言こそ、「小さな価値観の押し付け」だったように思う。指摘したら「押し付けにならないよう配慮している」と言いそうだが。

 原作を正規の方法で読んでいる、という以上のことを「ファンであることの義務」とする理由はなんなのだろう。作品やグッズを万引きしたとか、原作をまったく読まずに同人活動だけしているとかであれば、たしかにファンとしてどうかと思うが、それ以上のことを求め、そこに至らない人を見下すような発言をしておいて、何が「コミュニティに広がりを持たせようという試みを感じる」だ。それを妨害しているのは、あなただろう。この人は、たしか「どんな相手、場合でも見下すような行為はダメ」といったようなことも言っていたはずだ。しかし、平気で「マスゴミ」なんて言葉は使っている。「マスゴミ」が見下しの言葉でなくて何なのだろう。見下されても仕方のない相手だから良いということだろうか? それなら、大抵の「見下す者」は、その対象を「見下されても仕方のない存在」だと考えているから見下しているはずだ。

 何かを見下している、というだけなら、さほど批判しようという気にはならない。勿論、さすがに度を越しているだろうとか、公言してしまう神経ってどうなのとは思う。だが、「他人を見下すことはいけない」と言っておきながら、別の場面で見下すような言動を行い、見下していると気づいてすらいなさそうな人は、正直に言って「気持ち悪い」と思う。

 憎しみばかり抱えていては、幸せになれないなんてことは分かっている。だが、じゃあどうすれと言うのか。さらに不幸にならないよう、なるべく抑え込んで、心が静まるのを待つしかないのだが、それが出来なければ、どこでどう発散すればいいのか。書きたくないと言いつつ、日記を再開したのは、そういう理由だ。

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 「恨み言は私小説か、もしくは詩にせよ」というアドバイスをもらった。私小説となると、ちゃんと書きたくなって、それはそれでストレスが溜まってしまいそうなので、あまり好きではない「詩」であれば、「うわっ、痛々しい芸術家きどりのポエムブログみてえだwww」と自虐的に笑いながら書けるかもしれない。以前、そんな真似事をしたこともあるし。というわけで、上記とはまた別の恨み言を「痛々しい芸術家きどりのポエムブログ風」に。



 「高く見る猫を多角的に見るね。こう。」

 君は天才 使えるものをゴミにする天才
 ゴミだから美しいなんてこともない
 ただの本当の誰も見向きもしないゴミ
 君は天才 面白いものをつまらなくする天才
 君だけが面白がっている
 ひょっとしたら君すらも面白がっていない
 君は天才 そう信じているのは君と君の仲間だけだなんて
 ただの本当の誰も見向きもしないゴミ
 僕は本当は片付けたい
 僕の視界を掃除したい