アラン・ロベール氏はあんたたちじゃないからのぼるのぼる

 1999年10月4日に放送された『秋の新入荷㊙緊急放出 世界まる見え!テレビ特捜部!! 危険大来襲版』の録画VHSを久しぶりに観た。この回では、世界中の高層建築物を素手で登ることで有名なフランスのスパイダーマンことアラン・ロベール氏の特集が組まれていて、その映像の中で、アラン氏のまだおむつもとれていない娘が、才能を受け継いだのか、すいすいと自宅の壁を登っていく様子も紹介されていた(他の子供たちも「登り」に興味を持っているようだった)。

 この回の放送は、前述の通り1999年で、紹介されていたアラン氏のドキュメンタリー番組(一応説明しておくと、『世界まる見え』は、世界各国のテレビ番組を紹介する番組である)が制作されたのは、だいたいその一年前あたりだろう。もう15年以上も前のことになる。アラン氏の子供たちは、現在どう過ごしているのだろうか。もし、アラン氏と同じような道に進んでいるのだとしたら、クライミング界に詳しい人の話を聞いてみたくなる。

 ちなみに、この回では、アラン氏とは逆に「高い所を見ると、飛び降りずにはいられない」と語るプロベースジャンパーのデイブ・バーリア氏も紹介されていた。『VS嵐』で行われているゲーム「クリフクライム」をスケールアップ版を、是非ともアラン氏とデイブ氏のコンビでやってみてほしい。ああ、私は高所恐怖症なうえに貧弱なので、仮に有名人になっても通常の「クリフクライム」すらやりたくありません。

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 何度かここで批判している「誰かを見下したり馬鹿にする者はどこかで信用ならない」と言っておきながら「マスゴミ」という言葉を使う人がツイッターで、「マスゴミは事実いると思うし、良識を持つマスコミもいるだろう。どこにも良い者や悪い者がいる」などと呟いていた。私が何度も批判しているのを知ったのかどうかは分からないが、もし知ったうえでの反応だとしたら、まったく話が通じていないことになる。なにせ、私が批判しているのは、上記の通り“「誰かを見下したり馬鹿にする者はどこかで信用ならない」と言っておきながら「マスゴミ」という言葉を使っている”からであり、どこにだって良い者がいて悪い者がいるなんて当たり前の話は、どうだっていいのである。そんなことが理解できていないのだとしたら、余計に腹がたってくるので、私のブログなんて読んでいないのだと思いたい。

 以前にも書いたはずだが、見下したり馬鹿にしたりするのは、基本的に、する側がされる側を「そうされても仕方のない者」と判断しているからだ。そして、その判断が間違っていると感じた場合、見下したり馬鹿にしたりしている者に対して、理由を述べたうえで「それは見下したり馬鹿にしたりするようなものではない」と指摘するのが、正しい批判の方法だと思う。あるいは、見下す際の言動が、あまりに行きすぎていると感じたなら、それもまた批判理由になるだろう。

 だが、「見下したり馬鹿にしたりすること」そのものを批判するのであれば、どんな相手であれ、そういった態度をとってしまった段階で説得力を失うだろう。「マスゴミ」という言葉は、私には「見下し、馬鹿にした言葉」だとしか思えない。言われても仕方のないような酷い者が存在するかどうかという話ではないのだ。