ある日ぼくらはおもしろそうな架空の映画を見つけた

 ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ハーバート・クエインの作品の検討』やスタニスワフ・レムの『完全な真空』、あるいは清水義範の『ナサニエルとフローレッタ』のような、架空の作品の批評/解説ばかり書き続けるブログをやってみようと考えていたことがある。

 実際に、15作くらいの「架空の批評」を書いてはみたのだが、これを週1のペースで更新し続けるのは無理だなと思い(このブログも、毎週水曜に更新と決めているように、どうも私は、不定期更新ということが出来ない。かつては毎日更新していたのだが、さすがに続かなくなり、日曜と水曜の週2のペースに変更し、それもまたきつくなって、現在に至っている。あとは、完全に辞めてしまうか、長期的な休止を挟んでいくかしかない)、諦めてしまった。書いたものに満足できなかったせいもある。

 「書いたものに満足できなかったと言うけど、じゃあ、あんたは、このブログに書き散らかされた文章の出来には満足してるというのか?」なんて声が聞こえてきそうだが、満足しているはずもない。しかし、他人の目に触れることを前提とした文章を書き続けるという行為を自分に課しておかないと、私という人間は、今以上にダメな人になってしまうはずなので、ギリギリの生存権を得るため、いや、生存権そのものは、一応この国では、死刑に値するような罪を犯さない限り保障されているはずなので、「生存権が自分にも与えられているということを素直に受け入れられるだけのせめてもの誇り」みたいなものを得るためにやっていると言ったほうが良いのだろう。

 ところで、つい先日、ツイッターでおそるおそる自分の名前を検索(いわゆる、エゴサーチというやつだ)してみたら、数件ではあるが、このブログを紹介しているツイートを発見した。幸い、明らかに貶しているようなツイートはなかった。もっとも、「必見・必読・必聴リスト」では、かなり広範囲の作品を挙げているので、迷い込んできてしまう人もそれなりに存在しているのだろう。

 そんな中で一人、あまり目立った共通の趣味嗜好が見当たらない方が、はっきり「面白い」と言ってくれていて、これはとても嬉しかった(2年ほど前のツイートではあったけれど)。共通の作品を信者レベルで崇めていたり、逆に共通の物事に対して激しくアンチ的な態度をとっていたりすると、「この人は同じような相手なら誰でも仲間だと思って高評価しているだけなのではないか」と考えてしまう。猜疑心まみれの面倒くさい奴だとは自分でも思うが、実際に、一度は信者と言われても構わないほど好きになり、今でも作品そのものは評価しているのだが、馴れ合いの「いいね」が目立ち始めたとある界隈にうんざりして、大きく距離をとったばかりでもあるのだ。

伝奇集 (岩波文庫)

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完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

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永遠のジャック&ベティ (講談社文庫)

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1976

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