『ひみつの時間』(「ひみつ」なんだから、あまり詳しい話はしないほうがいいかな)

 2冊注文しておいた、さよならポニーテールのイラスト集『ひみつの時間』が、私の家に届いた。

 http://kuronekopony.wix.com/sayopony

ひみつの時間

ひみつの時間

 ツイッターでも呟いた通り、想像以上に可愛らしくて、自分の想像力の至らなさに凹みつつ(「才能ないの知ってるの?」@『まったりしてしまったり』)、主にあゆみんで癒されながら読みました。

 さて、これもツイッターで呟いたことだけれど、私の思うさよポニの魅力のひとつが“基本的には「生きてて本当によかった」と思わせてくれるくらい可愛いのだけれど、ときどき「いつかは自分も世界も消えてなくなるんだよな」という怖さ、哀しさ、寂しさを忘れずに(いや、受け手がそのことを忘れないように?)刺激してくる”ところで、これは私が特に好むタイプの作品にだいたい共通していることでもある。

 恋愛や仕事など、主に人間関係に起因する葛藤を描いた作品に感心することはあっても、あまり「大事な作品」にまでは至らないことが多いのは、たぶん私には、こうしたタイプの「葛藤」が、“いつかは自分も世界も消えてなくなるという怖さや哀しさ”といったものと繋がりにくいものに思えているからなのだろう。私は、何度か「人間しか描けていないものは好きではない」と言っているけれど、これも上記のような理由からだと思う。

 こういった怖さ、哀しさ、寂しさ、あるいは「不安」のようなもの(基本的に、こういった感覚は、幼少期に特に感じるものではないかと思う。そういえば、サードアルバム『円盤ゆ〜とぴあ』に収録されている楽曲「ヘールシャム」のタイトルは、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の主人公たちが幼少期を過ごす施設の名前からきていると『ひみつの時間』のAtoZにも書かれていた)とも関連しそうな話になるけれど、さよポニを「生きててよかったと思われてくれるほど可愛い」と評することは、たとえば現“神さま”であるちぃたんによるイラストの雰囲気はもちろん、初代“神さま”であるゆりたん時代の中期?(主にCDデビュー後)以降の世界観に対してであれば、それほど反論されることはないと思うのだけれど、しかし、ゆりたん時代の初期の世界観は、これまた『ひみつの時間』のAtoZにも書かれていた通り、かなりアウトサイダーアート色が濃く(何度か、ヘンリー・ダーガーとの関連性も言及されている)、ひょっとしたら「不気味」と感じる人のほうが多いかもしれない。


さよならポニーテール『思い出がカナしくなる前に』(初期の代表曲)


【予告編】 非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎

 もちろん、イラストの雰囲気から、アウトサイダーアート色が薄くなっても、さよポ二のイラストや楽曲、設定には、(私なんかがあれこれ解説して、魅力を損ねてしまうようなことになると嫌なので、あまり詳しい話は避けるが)なにやらこちらを不安にさせるような香りが様々な形で漂わされている。それは、私が“いつかは自分も世界も消えてなくなるという怖さや哀しさ”を感じた理由でもあるだろう。もっとも、「つまり終わりの合図であり、はじまりの合図でもある」という言葉がある通り、さよポニが、単純に「終わり」というテーマだけを強く感じさせているわけではないとも思う。

 ところで、「終わりの合図であり、はじまりの合図でもある」という言葉や「メビウスの輪」的なモチーフも随所に感じさせるさよポニに、「初期」や「後期」といった区分が可能なのかどうか、判断に困るところではあるけれど、あえてメジャーデビュー前のアウトサイダーアート色の濃かったゆりたん時代の初期を「さよポニの赤ん坊時代」と呼ばせてもらうと、そもそも「赤ん坊」というものは、多少なりとも「不気味」な存在だという気がする。

 私は、いまだに人間の赤ん坊を可愛いと思えない。ライトノベルの『文学少女シリーズ』(野村美月)に登場する竹田千愛も同じで、そのことを恥じていたが、私は「人間の赤ん坊を可愛いと思えないことを、恥だと思わされたくない」と思っている。可愛いと思えるようにならなければいけないなんて、まったく思わない。別に、可愛いと思えないだけで、殺したいとかいなくなればいいと思っているわけではないのだ。なら、それでいいじゃないか。どうして「赤ん坊は可愛いと思って当然」という圧力をかけられなければならないのだろう。逆に言えば、なぜ「爬虫類や両生類などは、気持ち悪いと感じても不思議ではない」という感覚のほうが当然とされているのだろう(どころか「気持ち悪いと感じて当然」と考えているような声さえよく見聞きする)。

 アウトサイダーアートやビザール的なものを描く作品というのは、こういった「世間一般の感覚とされているものに馴染めない者たちに居場所を与える」という面もあるのだと思う。もちろん、人を殺すことが快感な人間もいるのだから殺人を合法化せよなんて極端な話をしたいわけではない(同時に、殺人描写を創作物から排除せよ、なんて主張にも、もちろん同意なんかしないとも書いておきたい)。だけれど、「多数の者が心地よく感じるものに対して、そう感じられない/多数の者が不快だとするものに魅力を感じてしまう」というだけで疎外感を感じさせられる必要などないとも思う。私は、人間の赤ん坊を可愛いと思ったことはないけれど、さよポニの赤ん坊時代は、不気味でありつつ、はっきり「可愛い」と感じた。そして、それはとても嬉しいことだったのだ。

 最後に付け加えておきたいのだけれど、さよポニの魅力は、ここまで私がごちゃごちゃと述べてきたようなことだけでは当然ない。あくまで、私という人間の琴線に特に響いた点について書いているに過ぎないので、そこは誤解なきように(なんだか、いつも以上にうまくまとめられなかったし、そのほかの魅力についても語りたいので、ひょっとしたらこの記事は、何度も書き足したり書き直したりし続けるかも)。

円盤ゆ~とぴあ

円盤ゆ~とぴあ

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で