校歌削減

 日本の国歌、つまり「君が代」は、メロディやアレンジの点において、上手に歌うのは、なかなかの難曲である。しかし、歌詞の短さ(文字数)は、世界で最も短く、ちゃんと意味を理解するかどうかとは別に、単純に歌詞を覚えるだけなら、とても易しい歌ということになる。

 なにしろ、すべてひらがなで表記しても「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」で、32文字。文節の空欄を含めても36文字。ツイッターに投稿しても、充分なお釣りがくる短さだ。歌詞をすべて載せたうえで、自分なりの「君が代」への意見もある程度呟くことができるかもしれない。

 さて、国歌がこれだけ短い歌詞なのに、どうしてこの国の「校歌」というやつは、どこもわざわざ3番まで作ってあるのだろう。なかには、悪い意味で作曲者が他にどんな曲をつくっているのか知りたくなるような、ひどくつまらない校歌もある。ひょっとしたら、信条的に「君が代」は歌いたくないという人でも、「思想的なことは抜きにして、あなたの母校の校歌と比べて、どちらが楽曲として優れていると思いますか?」と尋ねたら、「君が代」のほうを推す人がけっこう存在するかもしれない。

 私は、小学校時代の校歌は、いまでもしっかり暗記している。中学や高校が(留年さえしなければ)3年間であるのに対し、小学校生活というのは6年間なので、その分、歌う回数が多いというのもあるだろうけれど、歌いやすく、覚えやすい校歌だったことも確かだ。

 対照的に、高校の校歌は、雑極まりないものだった。クラス対抗の合唱コンクールの練習で、繰り返し歌わされたが(“合唱あるある”とも言えそうな、授業は真面目に受けていないくせに、祭りごとになると急にクラスをまとめたがるマイルドヤンキー風のリーダーが声の出ていない者に詰め寄る様や、「どうしてまじめにやってくれないの」と泣きだす女子といった修羅場も同じくらい繰り返し目撃することになる)、何度歌っても、サビ直前の「やっつけ感」が気になった。作曲者の才能の問題か、はたまた作曲者にこの学校に対する思い入れが欠如していたのか。そして、そんなくだらない歌をぎゅうぎゅう詰めになって何度も何時間も歌わされるせいで、酸欠やら貧血やらで倒れていく学生・児童たち。

 「国歌より長い歌詞の校歌は認めない」という法案が出されたら、私は賛成する。もっとも、36文字以下の歌となると、さすがに短すぎるかもしれないで、倍以上の長さは認められないとか、なんとか校歌斉唱に囚われる時間を少なくしてほしい。

 そういえば、所ジョージさんが、『所ジョージさんの頭悪いんじゃないの?』の中で、「甲子園での校歌斉唱は、負けたほうの校歌を流し、決勝戦のみ両方の校歌を流せば、出場校の校歌が平等に流れる」と提案していた。私は甲子園をまったく観ないので、現在どのような制度になっているか知らないが、校歌の扱いが所さんがこのアイデアを出したころと変わっていないのなら、ぜひとも前向きに検討願いたい。