ハンバーガーよりもホットドッグのほうが多く食されている

 たまにテレビなどで、フォークとナイフを駆使して少しずつ切り崩して食すほかない巨大なハンバーガーを見かけるが、そのたびに私は「なんのためにパンの間に肉を挟んだんだ。食いやすくするためじゃないのか? それをハンバーガーと呼んでいいのか?」などと心の中で突っ込んだりする。どちらかといえば、やたらと日本を持ちあげるような言説にはうんざりしているのだが、それでも「日本は良い」と思える点を挙げろと言われれば、無駄に巨大で箸を駆使して少しずつ切り崩して食すほかないおにぎりというものは今まで一度も見たことがないので「そういう慎ましさみたいなものは捨ててほしくないと思います」とでも答えようと思っているのだけれど、それは単に私が見たことがないというだけで、巨大ハンバーガー以上に巨大なおにぎりを商品として販売している日本人もいるかもしれないので、なるべく恥をかきたくない私は、決して本気で「日本人は馬鹿みたいに巨大なおにぎりを売ったりしないので素晴らしい」なんてことは言わないのである。そもそも、馬鹿みたいに巨大なハンバーガーを売る日本人はいたはずである。

 まあ、巨大ハンバーガーだろうが巨大おにぎりだろうが、自分が食えとさえ言われなければどうでもいい話ではあり、アメリカは雑だとか、日本人はもっと慎ましさを取り戻すべきだとか、そんな偏見じみた説教を垂れる必要もない。ただし、「恥をかきたくないという気持ち」に関しては、少し取り戻しておいたほうがいいんじゃないかと思うような人たち私の視界に入り込んでくることが増えた。元々、日本人は恥を恐れ過ぎだと言われていたようが気がして、私もそれに同意していたはずなのだが、しかし、ネットでは、なぜそんな簡単に「間違いなく」だの「どう考えても」だの「本当の本当は」なんてことが言えるのかと、見ているこちらが恥ずかしくなってしまうような「ドヤコメント(造語)」を巻き散らかす人たちがいて、大抵はちょっと調べたり考えたりすれば疑問点がわんさか出てくるようなコメントで、この人たちにもっと恥を恐れる気持ちがあれば私がイライラすることもなかったのだろうなと思う。