「僕がセイウチだった頃、A君はチーターだった。わかるかなぁ、わかんねェだろうなぁ。イエーイ」

 小学6年生の夏のある日、通学路で犬が死んでいた。死後、かなりの時間が経ったものらしく、骨が見えるほど腐敗が進み、蛆が大量に湧いていた。

 犬が死んでいたのは、通学路の中でも学校にすぐ近くの地点で、つまり、ほとんどの児童が通過しなければいけない場所だった。小学生というのは怖い者知らずであり、腐敗した犬の死骸を棒で突っついたり、なかにはゴルフの要領でバシュッと撒き散らしてみたりする阿呆がいないとも限らない。運悪く第一発見者となってしまった(ひょっとしたら、先に見つけた奴がいたのかもしれないが)私と同級生のA君は、そんなことを考え、これはきっと処理しておいたほうがいいのだろうと思った。

 不幸中の幸いと言うべきか、犬はさほど大きくなかった。なので、とりあえず、グラウンドの倉庫に転がっていた肥料袋を拝借し、ひとまず死骸を詰め込むことにした。しかし、学校のスコップを使用した場合、そのスコップを他の誰かが知らずに「死骸を処理したスコップでは、やるべきでないことをしてしまう」という恐れもある。そのため、常日頃から鞄に私が忍ばせていた軍手(田舎の学校なので、たまに必要となったりする)に犠牲になってもらうことにした。

 実際に軍手をはめて袋に死骸をつめる役目は、A君が買って出てくれた。美月は、肥料袋を取って来たうえ、自分の軍手まで犠牲にしたのだから、あとは自分がやろうと考えてくれたらしい。

 そんなわけでA君は、私の軍手をはめ、おぞましい姿となった犬を肥料袋に詰め込んだ。そして我々は、当たり障りのない空き地(田舎なので、単に埋めるだけなら悩むこともないが、さすがに畑に埋めるわけにはいかない)に深めの穴を掘り、犬を埋葬し、同時にたかっていた蛆を生き埋めにした。犠牲になってくれた肥料袋と私の軍手は、小学校裏の焼却炉に放り込んでおいた。

 さて、この出来事は、今に至るまで、私とA君しか知らないはずの出来事なのだが、よく考えてみると、前日までは存在しなかったはずの犬の死骸が、なぜその日に限って、しかも腐敗の進んだ状態で転がっていたのだろうという疑問が生じる。実際、私とA君は、その日の放課後になって「なにかおかしくないか」と話し合った。他の何者かが、あそこに運んできた? 何の為に? 嫌がらせ? いろいろと考えてはみたが、納得のいく答えは導き出せなかった。

 幸い、それ以降、私とA君が知る限り、学校近くに腐敗の進んだ動物の死骸が放置されていたことはない(キツネが死んでいたことは何度かある。が、腐敗が進む前に、大抵、近くの畑の持ち主が処理していた)。ただし、A君はしばらくカスタードクリームが食えなくなった。私は当時から、よくビートルズの曲を口ずさんだりしていたが、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の歌詞に「死んだ犬の眼から黄色いカスタードみたいな膿がしたたり落ちる」という一節があることは、A君には教えないでおこうと思った。たぶん、今もなお、A君はこの曲のことを知らない。