怨念の炎はスケートリンクを溶かすことができなかった

 北海道の片隅に存在する私の在住地域も、すっかり雪に覆われてしまい、どこを見ても白色ばかりのつまらない景色になってしまった。「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」というのは、たしかに感動的かもしれない。毎年、最初に雪が積もった時は、長年雪国で暮らす私でさえも、「ああ、北海道だなあ」などとしみじみ思ったりする。しかし、毎日毎日、窓の外を見ても、どこを歩いても白い雪景色ばかりというのは、だいたい3日もすれば飽きてしまう。初めて行く場所であっても、雪が積もってしまっていれば、大した差を感じられない景色になってしまうのだ。良いのは虫の心配をしないで済むということくらいである。

 さて、積もりはしたが、本格的な除雪が必要となるほどではないので、念のために倉庫から出してきた「ママさんダンプ」は、まだ雪に触れていない。除雪は大変だが、小学生の頃、学校で無理矢理アホみたいにやらされていたスピードスケートより苦ではない。屋根から落ちてくる凍った雪は、自分がしっかり注意していれば済むが、靴の底に刃物をつけた信用ならない子供や大人がうじゃうじゃと蠢く氷の上に放り出されてしまっては、自分がいくら気をつけていても、陸上へ生還するためには、かなりの運が必要になるような気がする。小学校6年間のうち、大怪我をせずにやり過ごせたのは、奇跡だったのかもしれない。そして、そのせいで、私は自身の幸運を使い果たしてしまったのかもしれない。だとすれば、やはり、あの当時、スケートを馬鹿みたいに推し進めていた教員や青年団の連中に対して、なんらかの報復をすべきなのではないかと考えたりもするが、幸い、私には行動力というものが欠落しているので、凶行に走ったりはしていない。

 もし、私が小学生のうちに、誰かがスケートの練習中に、取り返しのつかないほどの大怪我をしていれば、スケート指導自体がなくなったのだろうか、なんてことを思ったりもする。どれだけ怪我人が出ても、なかなか組体操がなくならない現状から考えると、不謹慎なうえに儚い望みかもしれない。万が一、誰かの犠牲によってスケート指導が消滅した場合、私はきっと、犠牲になった学友の心配よりも、スケートから解放されたことを喜んでしまったことだろう。当時はツイッターなんてものもなかったから、過剰なまでの喜びを表現しても、せいぜいたまたまそれを耳にした者から咎められる程度で済んだことだろうけれど、今ならネット上で歓喜の言葉をあげてしまって大炎上していた可能性もある。

 以上のことからも分かるように、少なくとも私にとって当時の「スケート指導」は、高潔な精神やら仲間への思いなんてもは一切育まれず、ひたすらスケートというスポーツとそれを無理強いしてきた者たちへの憎悪が膨らんだだけであった。

雪国 (新潮文庫)

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