1月は意外に長く感じた

 ツイッターで続けている文字数制限140字ちょうど(ただし「」付きなので、実質138文字)の短いお話を毎日1作投稿する活動(リハビリ的な意味もある)。1月後半のまとめ。



「彼女が私のコートのポケットに手を入れてきたのだが、私のポケットは承知の通り内臓に直結しているので、彼女の手が小腸をにぎにぎしてくる感触でうずいてしまい、我慢できず私も彼女のコートのポケットに手を突っ込み、彼女の腸と腸の間のねばねばぬるぬるとした感触を楽しませてもらうことにした」(2017年1月16日月曜日)

「けばとんぼ対策の講習会に行く。子供の目に突き刺さっても、すぐに引き抜けば1分ほどで傷も塞がり、不思議と痛みもないという。しかし、子供の目にけばとんぼが突き刺さっている様子や引き抜いた直後の傷口を見た奥様たちが気絶してしまうので、講習会の後半は彼女たちの精神鍛錬の場となっていた」(2017年1月17日火曜日)

「綾乃さんが古代パウンドケーキ展なる催しを企画しているらしく、たいへん興味深いのでお話を伺ってみると、綾乃さんは一言、しっとりしていませんよ、と言う。ケーキにも歯ごたえは必要だと思うし、世の中はしっとりを求め過ぎているので、企画の成功を願うが、化石の試食はやめたほうがいいと思う」(2017年1月18日水曜日)

「郵便ポストの修理の仕事をしていると、ごろんと脳みそが転がってきた。おそらく、誰かが誤って落としたのだろう。しかし、なくなっても影響のない脳みそであることは明らかだったので、同僚が足で蹴飛ばすようにして地面に落とし、私も気にせず仕事を続けたが、蟻がたかっているのが妙に気になった」(2017年1月19日木曜日)

「嫌いな人の骨を貰ったので、のこぎりでゆっくり切断したり、力任せにへし折ったり、煮たり、焼いたり、茹でたり、放り投げてもみたのだけれど、ちっともすっきりせず、やっぱり顔って大事ねと思い、ためしに似顔絵名人に描いてもらった絵を踏んでみたら、少しすっきりしたので、野菜を炒めはじめる」(2017年1月20日金曜日)

「どすんどすんという音が聞こえるなと思ったら、やはり数年ぶりのまごがえしがはじまったようで、しかし、人の少なくなってしまったこの土地では、いくら数年ぶりのまごがえしといっても、どすんどすんという音が空しく響くばかりで、ちっともまごがえしらしい景色にならず、私は黙って砂糖をしまう」(2017年1月21日土曜日)

「神さまが現われて“草原”という言葉だけを禁じた。なぜかはわからないけれど、神さまが仰るのだから従うほかない。そして、世界中の偉い人が集まり“草原”に代わる言葉を考える為の会議が開かれることになったのだが、“草原”という言葉が封印されたままで会議が順調に進むのかとても不安である」(2017年1月22日日曜日)

「卒業記念に校庭の隅に埋めておいた魚を掘り出した。20年間も埋まっていたというのに魚はとても元気で、まだ雪の積もる校庭をびちびちと跳ね回る。なんという魚なのかは、埋めたときから今に至るまで誰もわかっていないのだが、教頭先生が埋めるならこの魚だと薦めてくれた理由がやっと理解できた」(2017年1月23日月曜日)

「珍しく烏賊が横断歩道を渡っていた。烏賊が横断歩道を渡っているなんて本当に珍しいことなので、私も珍しく写真を撮っておこうなんて思ったのだけれど、なにぶん久々に取り出したカメラなものだから、すっかり使い方を忘れてしまっていて、おろおろとしていたら、烏賊がいつものように教えてくれた」(2017年1月24日火曜日)

「しまい忘れていた分の砂糖を床下収納の神さまが舐めてしまったので、他の神さまに対する謝罪の儀式の準備をする。どの神さまに対しても失礼にならないお供えものとなると、やはり八宝菜くらいしか思い浮かばない。しかし、家族は誰も八宝菜が食べられないので、儀式後の処分方法に頭を悩ませられる」(2017年1月25日水曜日)

「犬の餌の食べ残しを集め、ある場所に埋めているお姉さんに話を聞く。30年経つと飢餌狗という恐ろしい怪物が現れ、食べ物を粗末にするなという名目のもとに他人を苦しめた者達を丸飲みにし、40年かけて少しずつ生きながら溶かしてくれるらしい。彼には、あと30年生きてもらわなければならない」(2017年1月26日木曜日)

「私の夫の妻が夫のことを昔から名字で呼んでいたので、夫となった今でも他の呼び方がしっくりこない、奥さんはどうしているのですか、と訊かれたけれど、私は夫を呼ぶ時、ねえとか、ちょっととか、声をかけるだけで、夫を意味する単語を口にしたことがないなと気づき、なんだか夫の妻が羨ましくなる」(2017年1月27日金曜日)

「なるほど大会の見物に行く。理解できていない話に、いかになるほど顔をしてみせるかを競う大会なのだが、いつもなら自然と嘘のなるほどを見せている人も、いざ競えと言われると自分が話を理解しているのしていないのかさっぱりわからなくなり、誰もなるほど顔にならないようで、私はなるほどと思う」(2017年1月28日土曜日)

「父によく似た人が氷を売っていたので、特に必要としてはいなかったのに、なんとなく買ってみる。父によく似た氷売りは、私の顔を見て、あなたは私の母に似ています、と言う。氷は家に着く頃には、すっかり溶けてしまっていたが、氷を入れていた袋に溜まった水を飲んでみると、たいへん美味であった」(2017年1月29日日曜日)

「先生がやわらかい壁に変えたというので、見せてもらいに行く。思った以上にやわらかい壁で、全力疾走で体当たりしてみたくもなるが、他人の壁なのでやめておく。先生がお茶の用意をしている間に、ちょっとさすがにやわらかすぎるなと文句を言ったら、壁がぼそりと奥の方で押し潰しますよ、と呟いた」(2017年1月30日月曜日)

「大きな声で挨拶する国が大きな声で挨拶できない人たちを消し去ってから10年経った。あまりに大きな声で挨拶するものだから国民全員の耳が遠くなってしまい、これまで以上に挨拶の声が大きくなり、今では隣の静かに生きる国の人たちにまで届いてしまう。静かなミサイルが近づいても気付きはしない」(2017年1月31日火曜日)