奥歯がすり減っていると言われました。

 「できそうにないことは、口にすべきでない」と、最近になって改めて感じる。

 たとえば、「口が悪いことは大きな欠陥」という意見があって、それ自体は同意するのだけれど、しかし、この意見を述べた人の「口が悪いと感じる発言」というものも決して少なくなく、ゆえに「ただ単にたまに口が悪くなる人」と比べると、口が悪くなることが少なくないくせに、こんな説教をする発言者のほうがより強い嫌悪感を抱いてしまう。

 もちろん、ヘイトスピーチ規制案のきっかけとなったような事例は、「たまに口が悪い」などというレベルのものではなかったし、さすがに「口が悪いことは大きな欠陥」という意見を述べた人、あるいはその意見に同意していた人たちのほとんどは、そこまで酷い言動を繰り返していながら、ぬけぬけとそんな意見を主張していたわけではない。しかし、私が「口が悪いな」と感じた言動に対して、まったくそんな気を持っていないのだとしたら、それはそれでおぞましく思う。嘘でも言い訳じみていても「自分にも心当たりはあるので、気を付けなければ」程度の言葉を付け足せないものか。

 そんな、できそうにないどころか、実際にできていないことを偉そうに説教するような人を見ると、ついつい私の口からも、言われたほうはたまったものではないレベルの暴言が飛び出しそうになる。感情が荒れれば、口調も荒れてしまいがちなのは、仕方のないことではあっても、だから許されるというわけではない。だから、必死に気持ちを落ちつけようとするのだけれど、では、それによって私が受ける多大なストレスに関して、誰が責任をとってくれるのか。

 「どんな場合でも、蔑むような言動はダメ」と主張していたはずの人が、自分と相容れない相手のことをゴキブリに例えているのを見て、「ゴキブリはてめえだろ!」という心の叫びを「心の叫び」だけにとどめるために、こちらがどれだけ強く歯を食縛らなければいけないのか。

 私ができることといえば、なるべくそんなタイプの人たちから距離をとることくらいである。