『東京腸女むすび』(2)

 ほんのわずか、ひょっとしたら他のひとたちにも、似たようなことが起きているのではないかという期待を持ちました。
 なにか、それこそ超自然的な出来事が一帯を襲ったのではないか? あるいは神を冒涜するような恐ろしい秘密兵器が使用されて、人間の身体を変化させてしまったのでは?
 そんなことを考えもしました。
 しかし、残念ながら摩訶不思議なのは、わたしの身体だけのようでした。
 世界中で同じような症例が報告されるというようなことは、みなさんご存知の通りありませんでしたし、膝が「きゃんきゃん!」と吠える紳士に出くわしたりすることもありません。
 わたしの身体以外の世界は、良くも悪くも通常通りでした。
 世界が変わったわけでも、別の世界に紛れこんでしまったわけでもなかったようです。
 昔はきのこ採りを生業にしていた奇妙なお医者さんのひらいた診療所で、粉ジュースのようなお薬を傷口に吹きかけてもらうと、とっぴんぱらりのぷうという間に腸が引っ込んでいって、傷口もあら不思議、跡形もなく元通り……なんてことも、もちろんありません。
 わたしは、なぜかいつもより冷静な頭で、これから先になすべきことを考えました。
 とりあえず、病院に行く必要はない。なぜか、普通ではなくなったわたしの身体がそう訴えています。
 それに、病院へ行ったとしても、なにができるのでしょう?
 あれこれ調べられて、謎の奇病と大騒ぎになり、もしかしたらぶしつけな取材を受けたり、ひどい差別を受けたり、人体実験に使われたり、標本にされてしまうかもしれません。
 ひくひくひくひく。
 おそろしい妄想に、腸もまた震えはじめました。
 とにかく、わたしの身に起きていることは、隠しておいたほうが賢明なのでしょう。
 腸も「ふんふん」と頷いてくれているような気がしました。
 仮に「腸が飛び出ても平気な女性」として世界から受け入れられたとしても、たとえば、なにかの拍子に、この腸の口が花粉などを吸いこんでしまって「くしゅん」とやってしまったら、人前で放屁してしまったような恥じらいを覚えるでしょうし、いまどきの女の子たちに「かわいい、かわいい」とぴょろぴょろしている腸をいじられるのも、いたたまれないものです。
 それに、ただでさえ「七実」という名前から、「ななみ→しちみ」と変化して「七味とうがらし」というあだ名で馬鹿にされたこともあるわたしです。きっと陰で「お腸夫人」などとあだ名されることになっていたでしょう。結婚はできないでしょうから「夫人」よりも「婦人」でしょうか。どうやら、そのような名前の便秘改善ドリンクがあるようですが、腸の飛び出たわたしにはもう関係のないことのような気もします。
 ああ、そうです。人間は食べたら出さなければいけないのです。思い出しました、というのもおかしな話ですが、まったくもって失念していました。
 わたしの腸は、飛び出ているだけではなく、ちぎれているのです。パイプの先のような腸の口がこんにちはしているのです。これは消化器官としては致命的でしょう。汚い話で恐縮ですが、腸の中身はどうなったのでしょうか。なにかの拍子にどぱどぱと溢れてきたら大変です。人間としても女性としても大変です。
 それともどこか別の場所に?
 そういえば、そんなお話を読んだことがあります。たしか、筒井康隆さんの『腸はどこへいった』という小説でした。腸がメビウスの輪クラインの壺のようにねじれてしまって、中身が異次元に飛んでいってしまうというお話でした。でも、わたしの腸はねじれているのではなく、ちぎれているのです。この場合、中身はいったいどうなっているのでしょう。やっぱり、なにかの拍子にどぱどぱ溢れてくるのでしょうか。
 ちょっと慌てはじめたわたしは、あろうことか、ちぎれた腸を結んでしまおうと考えました。腸のちょうちょ結びです。やっぱり、わたしの頭は冷静とは言えないようです。
 しかし、これは失敗しました。いや、失敗したほうが良かったかもしれないので、むしろ成功なのかもしれません。
 わたしの健康的な腸は、ぷにゅっとしていてちゅるんっとしていて、とても結べたものではなかったのです。
 そもそも、もうひとつのパイプのような腸の口がみつかりません。どうやら、お腹の中のうにょうにょとした腸のあいだに隠れているようです。
 しかし、腸を結ぶという、おろかなチャレンジをしたことで、飛び出た腸の様子をくわしく観察することができました。
 どうも、この腸、ただ健康的できれいなだけではなく、洗浄したかのように、さっぱりしているのです。
 それこそ、まるで標本のようです。いや、本物の腸の標本など見たことはないので、医学を学んだ人からは、標本だってもっと汚いですよと指摘されるかもしれません。
 とにもかくにも、わたしの飛び出た腸は、きれいに洗浄し、ほどよく乾かしたかのように清潔でした。まるで、腸の中身など受け付けたことがないかのようです。そして、この先も、受け付けることなどないかのようでした。
 ええ、おそらく、わたしの腸は、本来そこを進むであろうものたちと縁を切ってしまったのでしょう。また、本能か、超自然的ななにかが訴えてきました。
 どういうわけなのか分かりませんが、腸が飛び出たわたしの身体は、食べることを必要としなくなったようなのです。実際、眠りから覚めたばかりだというのに、一切の空腹感がありません。昨晩まで入っていた分がどうなったのかという謎は、もう迷宮入りということにしましょう。
 これはひょっとすると、神様からなんらかの使命を与えられたのでしょうか?
 そんなお話を聞いたこともあります。嘘か真か、神様からのお告げにより、断食したまま何年も生きる人たちのお話です。
 ですが、わたしが感じていたのは、もう食べなくても大丈夫だということだけで、それが世界平和に繋がるのだという神様からの声は、いつまでたっても聞こえてきませんでした。
 それにしても、いくら本能か超自然的ななにかが訴えているからといって、本当に食べなくても大丈夫なものなのでしょうか。わたしはちょっと実験してみることにしました。
 言い忘れていましたが、あれこれ考えたり、腸を結んだりしているあいだに、「そうだ、大学にしばらく休むと伝えておこう」と思い立ちました。仮病というわけではないのですが、実際の症状を伝えるわけにもいかないので、しかたなく仮病を使いました。就職活動も、周りが心配するほどにのんびりしていたので、しばらく目立った予定はありません。不幸中の幸いです。そして、そのまま何も口にすることなく、一週間過ごしました。
 もともと食は細いほうでしたけれど、一週間も食べていないのに、お腹が鳴ることすらありませんでした。喉も渇きません。
 三日目になって、歯みがきだけはしたくなり、その時に少量の水は摂取してしまったかもしれません。しかし、身体は水を求めていませんでしたし、それどころかすこぶる好調でした。
 四日目に、シャワーを浴びてみました。
 これもまた、必要性を感じたわけではありませんが、理性が浴びろと命令してきました。なるべく、ひらいたお腹に水がかからないようにはしたのですが、どうやらこれも平気なようで、五日目にはしっかり湯船に浸かってしまいました。なんだかんだで、けっこう無鉄砲なわたしです。
 このように、多少の水分だけは摂取したはずなのですが、もよおすことはありませんでした。汗すら感じません。もしかすると、代謝というものが止まってしまったのかもしれません。
 メカニズムはさっぱり分かりませんが、なんて都合の良い身体になってしまったのでしょう。
 女性はアレ(お食事中の方もいるかもしれないので、伏せておきました)をしない。そんな幻想を抱いている男の子が、はたしてこの現代にも存在しているのかどうかは分かりません。しかし、もし存在しているのだとしたら、わたしはそんな男の子をとりこにできたかもしれません。
 なにも食べないのだから、わたしにトイレは必要ありません。しかも、代謝も止まっているかのようで、汗すらかきません。文明人としての誇りなのか、あまり長いあいだ歯みがきとお風呂をお休みすることはできませんでしたが、わたしの身体は、内側からしみ出す汚れとも無縁になったのかもしれません。
 まさに、幻想上の理想の女の子ではありませんか。
 もっとも、それと引き換えに、腸が飛び出たままの妙な身体になってしまったので、結局のところ、男の子をとりこにすることは無理かもしれませんね。
 そう、サトウさんとの関係も。
 わたしは、サトウさんとの関係をどうするべきかという問題にようやくたどりつき、その日はじめて、ちくっとした痛みを感じました。
 腸もきゅるきゅると悲しげな痙攣を起こしていました。