『東京腸女むすび』(3)

 勝手にひと呼吸おいてしまって申し訳ありません。
 それだけ、話しにくいことなのです。
 きゅるきゅるきゅる。
 大学時代にお付き合いをさせていただいた方がいました。
 ひとつ年下の男性でした。
 わたしは彼を「サトウさん」と呼び、彼はわたしを「小竹さん」と呼びました。七実という名前で呼ばれるのは、あまりうれしくなかったですし、彼の名前を呼ぶのは、なんだか気恥ずかしかったのです。
「小竹さん、小竹さん」
 わたしを呼ぶサトウさんの声は、とても可愛らしいものでした。声だけでなく、彼のことをわたしは「可愛らしい人」と感じていました。
 サトウさんは、映画が大好きで、よく彼のお部屋でお薦めの映画をいっしょに観させてもらったり、映画に関するうんちくを聞かせてもらったりしました。
 そのうんちくのなかで、いまのわたしには、とても心に、そして腸にひびくものがあります。
 デヴィッド・クローネンバーグという映画監督をご存知でしょうか?『ザ・フライ』など、有名な作品も撮っている方なので、映画にさほどくわしくなくても、その名前を聞いたことのある方がいることでしょう。
 わたしはサトウさんとお付き合いするまでは、クローネンバーグさんの名前は知りませんでした。しかし、クローネンバーグさんの手がけた作品のタイトルくらいは、いくつか聞いたことがありました。
 ご存知の方には説明不要でしょうが、クローネンバーグさんの作品の多くは、まあ、なんというのでしょう、体液感とでも申しましょうか、あるいは臓物感とでも申しましょうか……。たとえば、ある作品では、トーストと人間の心臓をかけあわせたような有機生命体と化したビデオテープが、男性のお腹にぐにゅうっとしまわれてしまったり、また別の作品では、男性の頭部が突然「ぼふううん!」と弾け飛んでしまったり、はたまた別の作品では、ヒヒさんの表皮が裏返ってしまったりと、なかなかにショッキングなビジュアルがこれでもかと画面に映されるのです。
 わたしは、そんなシーンのたびに「うひいいい!」だの「ぐひゅううう!」だのといったぶさいくな声をあげてしまい、サトウさんからおもしろがられていました。その後、お腹から腸を飛び出させたままで生きることになる女とは思えません。いい気なものでした。
 さて、未来を知らぬ能天気なわたしに「うひいいい!」だの「ぐひゅううう!」だのといったぶさいくな声をあげさせたクローネンバーグさんですが、サトウさんのお話によると、ある映画祭の審査員を務めたとき、こんなことをおっしゃっていたそうです。
「どうして内臓の美しさを競うビューティコンテストがないのだ」
 さすがの発想だと思います。
 ショッキングな映像にひいひい言いながらも、そのビジュアルセンスには脱帽せざるを得なかったのですが、まさかそんなことまで考えていらっしゃったとは。
 実を言いますと、わたしは、この目で自分の腸を見ることになる前から、きっと自分の内臓は他人よりきれいなんじゃないかと思っていたのです。内臓にうぬぼれる変な女だったのです。
 でも、外側だけにうぬぼれてしまうより良いのではないでしょうか。外側なんて、ヒヒさんのように裏返ってしまうかもしれないのですから。
「腸のきれいなおねえさんは好きですか?」
 有名なCMをもじった台詞を口にして、わたしはお友達が「きれい」と言ってくれたお腹がサトウさんに見えるように服をまくりあげました。
「なんなら、お腹を切り開いてお見せしましょうか?」
 サトウさんといっしょにいるときは、こんなおふざけだってできるのでした。
「小竹さんは、こわいことを言いますね」
 サトウさんは笑いながら、わたしのお腹をやさしく撫でてくれました。その感触の心地良さは、今も忘れられません。
 そして、サトウさんが撫でてくれたのは、ちょうど、約一年後に腸が顔を出すあたりでした。

      ○      ○      ○

 きゅるきゅるきゅる。
 思い出すだけで、腸が泣いているようです。
 結局、サトウさんとのお付き合いは二年半ほどで終わってしまいました。
 腸が飛び出たままの女が、男性とお付き合いを続けることはできないからです。
 もちろん、サトウさんに「腸が飛び出てしまったので、わたしとはお別れしてください」と言ったわけではありません。ひょっとしたら、そう言ったほうが、すっきりお別れできたかもしれませんけれどね。
 表向きの理由は、将来への不安といったものでした。
 これは、何人かのお友達からも指摘されたことなのですが、サトウさんは、わたしと結婚するつもりはないように思えたのです。
 わたし自身は、それでもかまいませんでした。なにしろ、わたしも結婚というものが、なんだかとてもおそろしいものに思えていたからです。
 それに、サトウさんは、結婚するつもりはなくても、わたしを大事にしてくれました。サトウさんといっしょにいる時間は、ふざけてお腹を見せてしまうほど、心地良く楽しいものだったのです。あの頃のわたしは、結婚を前提としないサトウさんとのお付き合いで、じゅうぶんに幸せでした。
 ですが、サトウさんと楽しい時間を過ごした日の夜は、いつも、あのやさしかった祖母が、なんだかとてもこわい顔をして夢に出てきたのです。きっと、祖母はこうした形のお付き合いには反対だったのでしょう。
 サトウさんとは、いわゆる、その、なんでしょう、愛の育みというものをしたことはありませんでした。そこにいたる前にお別れしてしまいました。わたしのお腹から腸が飛び出るほうが先だったのです。しかし、お別れしなかったところで、その段階までいったかどうかは分かりません。
 サトウさんは、結婚するつもりがないのと同様に、わたしが感じる限り、そうした行為に及ぼうという気もまたないようでした。
 そのことを、大学のお友達のなかには、怪しいとさえ言う人もいました。サトウさんが、他の女の子といっしょにいるのを見たと、わたしに知らせてくる人までいました。でも、そのお相手の女性は、わたしも知っている共通の知人ばかりで、正直なところ、なにが問題なのかわたしには分かりませんでした。わたしだって、大学の他の男性の方とお話したりすることもあるわけですし、独占したいという気持ちも、独占されたいという気持ちもありませんでした。わたしたちは、それでうまくお付き合いしているはずだったのです。
 そう思っていたのに、祖母が暗に「女の子はお嫁さんになり、子供を育てるのが本当の幸せなのだ」とわたしに伝えていたことが、なぜか頭をよぎったりもしました。
 わたしは結局、亡き祖母や周りのお友達の言葉を無視できず、将来の見えないお付き合いはつづけられませんという理由で、サトウさんとお別れすることになったのです。
 サトウさんは、「小竹さんも就職活動がありますしね」となにかいろいろと察してくれたようで、優しい笑顔のまま別れに同意してくれました。それが余計にわたしを悲しくさせました。
 どちらにせよ、腸の飛び出たままお付き合いすることはできないのですが、なんだかとても喉の奥に小石が詰まってしまうような別れ方をしてしまったのです。
 きゅるきゅるきゅるきゅる。