『東京腸女むすび』(5)

 わたしよりも三つ年上で、長身美麗の才女である塔子さんとは、大学に入った年に出会いました。
 塔子さんは、出会った頃から「あたしは自分の人生を余すところなく楽しんでいるぞ!」というオーラを全身から放っていました。そして、彼女の周りには、同じようなオーラを放った奇々怪々な方々がわさわさとうごめいていました。
 塔子さんはわたしのことを「なっちゃん」と呼びます。名前で呼ばれるのは苦手なわたしですが、塔子さんから「なっちゃん」と呼ばれると、彼女の周りの奇々怪々な方々の一員になれたようで、なんだか嬉しくなりました。
 とにかく塔子さんは、かっこよくてまぶしくて愉快でしょうがありませんでした。わたしと同じ北海道出身なのですが、もっとはやくお会いしたかったものです。
 サトウさんとお別れしてからは、大学のお友達と顔を合わせるのも気がひけたので、もっぱら塔子さんとばかり会っていました。塔子さんは他人の色恋沙汰にまったく興味がないようでしたし、なにより塔子さんといっしょにいると、余計な悲しみが消えていくのです。
 腸が飛び出て、普通に生きていくことができなくなったわたしが、なんとか今日も元気に生きていられるのは、彼女のおかげです。
 わたしのお腹から腸が飛び出し、それによってサトウさんともお別れしてしまった頃の塔子さんは、すでに大学を卒業していました。広い意味でのサービス業をしていると言い、東京が本拠地ではあるようでしたが、故郷の北海道をはじめ、ふらりふらりと様々な場所に足を延ばしているようでした。くわしい話は分かりません。ですが、詳しく聞こうとは思いませんでした。
 塔子さんは、色恋沙汰に限らず、他人のパーソナルサークルをむやみに侵さない人なのです。腸の飛び出たわたしにとっては、その点も安心です。なら、わたしも塔子さんご自身が語らない限り、あれこれ詮索するわけにはいかないでしょう。彼女はかっこいい。それだけでじゅうぶんなのです。わたしの腸も、塔子さんのことを気に入ったようでした。
 きゅんきゅんきゅん。
 そんなまぶしいくらいにかっこいい塔子さんですが、わたしのちょっとぬけた質問に対しても、いつも嫌な顔をせず答えてくれていました。
「あまり人口の多くない場所で、さほどお給料は高くなくてもいいから、健康診断を必要としない、それでいて違法なものではないお仕事ってありますか?」
 こんな「あなたは、なにを言っているの?」と心配されてもおかしくない質問にさえ、彼女の冴えた頭は答えを導き出してくれるかもしれません。
 そもそも、たとえ答えが得られなくても、こんな質問をできる相手は、彼女しかいなかったのです。
 きゅんきゅんきゅん。きゅんきゅんきゅん。
 そんなわけで、わたしは塔子さんに、腸が飛び出たことは告げず、今後の人生についての相談をしました。
 わたしとちがって、たいへん物知りな塔子さんは、すぐにこんな打開策を示してくれました。
「たしか、パートとかアルバイトなら、一週間の労働時間が正社員の四分の三以下だったら、健康診断の義務がないはず」
 なるほどなるほど。
 そして塔子さんは、「なんかよく分かんないけど、人の少ないところで健康診断を避けて暮らしたいなら、北海道に戻ったほうがいいんじゃない?」と言いました。
 つまり、こういうことです。
 あまり人口の多くない北海道の地方都市で、健康診断の義務が生じない程度の時間だけバイトをして暮らす。
 そうですね。それが良いかもしれません。
 サトウさんとの悲しいお別れの記憶から抜け出すにも、東京からは離れたほうが良いのでしょう。
 それでも、まだ少しばかり東京に後ろ髪を引かれていたわたしですが、塔子さんの次の言葉で、すっかり落城されてしまいました。
「あたしも、北海道に戻るつもりだし」
 あらあら、まあまあ。
 塔子さんも北海道に戻られるのですか。
 なら、わたしもついていってしまいましょう。
 こうしてわたしは、北海道に戻ってきたのでした。
 きゅんきゅんきゅんきゅん。きゅっきゅっきゅっ。

      ○      ○      ○

 いまのわたしのお仕事も、塔子さんが紹介してくれました。
 それは、彼女が小学生の頃から通っているという、音楽と映像関連の商品を販売する「仰光堂」というお店です。奥では楽器も売っていますし、小さな録音スタジオまであります。
 大都市以外の様子が、天気予報などの画面に映されたりすると、町の行く末が心配になってしまうほど人が歩いていない光景を目にしたりしますが、この仰光堂も駅からそう遠くない場所にあるというのに、辺りが人で賑わっているようなことは滅多にありません。東京とは大違いです。そもそも北海道は、東京に比べて鉄道への依存が極端に少ないのです。札幌などを別とすれば、駅前だから人も多いというわけにはいきません。
 それでも昔から、娯楽の少ない環境のなかで、幅広い商品とスタジオまで備わっている仰光堂は、世知辛いこの時代でも、なかなかうまく立ち回っているようでした。
 塔子さんの紹介とはいえ、わたしなんかを受け入れてくれるくらいですからね。
 お仕事は、音楽部、映像部、楽器部に分かれていました。店長さんとそれぞれの部の主任さんは、塔子さんが小学生の頃から変わっておらず、他にも何人か、塔子さんのことを娘や姪、あるいは妹のように思っている方がいました。とても良い職場です。
 わたしは、サトウさんの影響で少しばかり映画にくわしくなっていたことを買っていただき、映像部でアルバイトさせてもらっています。もちろん、正社員の方の四分の三以下の労働時間です。
 わたしの妙な勤務姿勢に対して、あれこれ詮索したり、否定的な意見を述べる人は、誰もいませんでした。塔子さんの紹介だったからということもありますが、なにより、彼女はこんな根回しまでしてくれていたのです。
なっちゃんは、あたしの仕事の手伝いをしてくれてるんだけど、それだけだと厳しいから、ここでバイトもさせてあげてほしい」
 わたしは塔子さんのお仕事がどんなものなのか、ほとんど理解していないというのに、おかしな話ですね。
 ですが、そんな塔子さんの気遣いのおかげで、わたしは今日もここで平和に楽しくお仕事ができているのです。
「明日は塔子ちゃんに会うのかい?」
 新しく入荷した商品を並べていると、楽器部の茅原主任に声をかけられました。
 わたしが「はい」と答えると、茅原主任は「たまには、お父さんたちに連絡入れてあげて、って伝えておいてね」と言いました。
 塔子さんは、大学に入ってから、卒業し、今にいたるまで、ほとんどご両親とお会いしていないそうなのです。
 やりとりは、お正月の年賀状くらいだとか。
 もっとも、わたしだって、ここで働きはじめてからは、あまり両親に顔を見せていないのですけれどね。
 腸が飛び出ているせいもありますけれど、北海道は広いのです。住んだことのない方には実感していただけないかもしれませんが、ここからわたしの実家へ移動するのにかかる時間よりも、ここから空港へ行き、東京まで飛行機で飛んでいくのにかかる時間のほうが短いのです。車の運転に自信がなく、なおかつ車そのものも苦手なわたしは、北海道に戻ってきてからのほうが実家へ足を運ぶのがおっくうになってしまっているのです。そもそも車を所有していません。
 塔子さんは、わたしと違って車の運転も上手ですし、いま住んでいる場所とご実家までの距離も、わたしの場合よりは遠くありません。塔子さんが、ご実家にお顔を見せたがらないのは、わたしとは違った理由なのです。もっと単純に、あまりご両親に会いたくないということのようです。
 ご両親と塔子さんのあいだに、深刻な確執があるというようなことはないらしいのですが、塔子さんがご両親のことを、あまり良く思っていないのも確かなようでした。
「ほら、親子って、単純に考えれば、お互いの駄目なところを一番わかっちゃう間柄でしょ?」
 塔子さんは、そうおっしゃっていました。
 世の中には、親のことを少しでも悪く言う人に対して、とても攻撃的になる方々も存在しています。しかし、親が子供を殺めてしまう事件はたくさんありますし、その逆もまた然りです。塔子さんのおっしゃっていることのほうが正しいのでしょう。
 それを踏まえて、年賀状のやりとりだけは欠かさないようにして、ある程度の距離を保ちつづけるというのは、べつに他の誰かから非難されなければいけないことだとは思いません。
 わたしは最低でも週に一度くらいは塔子さんとお会いしていますが、そのたびに茅原主任から、このようなことを頼まれているわけではありません。もう短くはないお付き合いになりますが、これでようやく二度目になります。お店にも塔子さんは、月に一度くらいは来てくださるのですが、茅原主任は、塔子さんご本人には、伝えられないそうです。
「あまり他人の家のことに口出しなんかしたくないし、本人たちもそれで納得してるとは思うんだけどね。でも、たまにお父さんたちと会うと、どうも本音は寂しがってるんじゃないかと思っちゃってね。同じ苗字ってこともあって、ついついね」
 茅原主任は、なんだかちょっぴり照れくさそうな顔をしています。
 いまの茅原主任のお言葉のとおり、塔子さんの苗字も「茅原」といいます。あまり多く聞く苗字ではありませんが、お二人が親戚というわけではないようです。「人類、みな兄弟」という話になると別ですけどね。わたしは、できれば他人のままでいたいと思うような相手もいるので、あまり好きな言葉ではありません。
「わかりました。わたしの口からお伝えしておきますね」
 わたしがそう答えると、茅原主任は「うん、ありがとうね」と言って、ペットボトルのお茶を飲みながら自分の仕事場に戻っていきました。暑さにかなりへこたれてしまっているようです。ですが、茅原主任は、あまり汗をかきません。
 これはもしかして、などと最初の頃は思いましたが、ただの体質で、暑さや寒さもあまり感じなくなったわたしと違い、しっかり外気の変動に影響されていました。摩訶不思議なわたしの身体とは違うのです。
 汗をあまりかけないので、体温調節もうまくいかないらしい茅原主任は、水分をたくさん摂り、そして排泄することで、なんとか体温をコントロールしているようでした。今年の夏は、北海道に似つかわしくない蒸し暑さが続いているので、たいへんお辛そうです。
 もともと、暑さも寒さもあまり苦手ではありませんでしたが、腸が飛び出てからのわたしは、季節の感覚を肌ではあまり感じられていません。そのことは、ほんのすこし寂しい気もしています。
 きゅるきゅるきゅる。