『東京腸女むすび』(6)

 季節の話といえば、わたしが仰光堂でお仕事をはじめた年に、こんなことがありました。
 クリスマス時期のことです。
 店員全員がサンタ帽子をかぶってお仕事をすることになりました。
 茅原主任も、おおきくて強そうな身体の鎌田店長も、みんな照れ照れでサンタ帽子姿です。
 なかでも、いちばん照れ照れだったのは、おそらくわたしでした。
 お恥ずかしい、お恥ずかしい。
 きゅっきゅっきゅっきゅっ。
 それでもなんとか、いつものように、わたしは商品を整理し、レジを打ち、お客さまと会話したりしていました。
「お似合いですよ」
 常連のお客さまに褒められてしまいました。
 きゅっきゅっきゅっ。
「いえいえ、もういい歳なのに、恥ずかしくて恥ずかしくて」
 照れすぎてしまって、あわあわしながら、商品を袋に詰めました。お釣りをお渡ししようとして、落っことしたりもしました。
「あ! ごめんなさい!」
 腸が飛び出る前より冷静になったと思っていたのに、なんだかとっても慌ててしまいました。ひょっとしたら、冷静でいられたのは、自分の身体に起きた妙ちきりんなことに対してだけだったのかもしれません。
「いえいえ、大丈夫です。それに……その、なんだか可愛かったです」
 お恥ずかしい、お恥ずかしい。
 きゅっきゅっきゅっきゅっ。
 しかし、お客さま。もしも、わたしがお腹から腸を飛び出させたままで生きていることを知っても、同じことが言えますか?

      ○      ○      ○

 このお話に出てくる「常連のお客さま」のお名前は克仁さんといいます。
 わたしより二つ年下で、本屋さんで働く傍ら、アマチュアで音楽活動もされているそうです。
 そのせいか、音楽関係の商品をよくお買い求めいただいているのですが、映像関連、特にアニメもお好きなようで、そちらのほうでもこの仰光堂を利用してくださっています。どうやら、自由になるお金は、ほとんど仰光堂で使ってくださっているようです。ありがたいことです。
 そんな常連さんの活動がすこし気になって、動画サイトなどに上げられている克仁さんの楽曲を聴いてみたこともあるのですが、正直に申しますと、あまりわたしの琴線に触れるものではありませんでした。なので、ご本人には、曖昧な感想しかお伝えできていません。
 常連さんを失うのは、お店にとって痛手ですしね。
 茅原主任も兼業でCMなどの音楽制作をされているのですが、さすがにこちらはプロです。わたしも心地よく聴けるものばかりでした。なかには、わたしが小さい頃、大好きだったCMの歌もありました。とても驚きました。
 でも、音楽の趣味はそれぞれです。わたしなんかが余計な評論をする資格はないでしょう。
 それよりも、ちょっと困っているのは、これまでに三回ほど、克仁さんからお食事に誘われていることです。
 ひくひくひく。
 楽曲には惹かれませんでしたが、お休みのたびに克仁さんはお店に来てくださるので、もう何度もお会いしていますし、悪い人ではないと感じています。いえ、こんな言い方は失礼でしたね。きっと、いい人なのだと思います。
 なので、わたしが普通の女の子……いえ、失礼しました。「普通の女」であれば、一度くらいお食事を共にしたかもしれません。
 多少奥手な女性も、対照的に恋に貪欲な女性も、「お食事くらいなら」とよく言いますしね。
 ですが、みなさんご存知の通り、わたしは腸の飛び出た女です。それだけでなく、食事を必要としなくなった女なのです。「お食事くらいなら」の「お食事」が、わたしにとっては、とんでもなくハードルの高い行為なのです。
 多少の水分の摂取くらいなら影響がないことはもう分かっていますが、食物となると実験してみる勇気が湧いてきません。この身体になって、四日目にはシャワーを浴び、五日目には湯船に浸かった女が言っても、あまり説得力は感じられないかもしれませんけれどね。
 お仕事をはじめたとき、お店のみなさんが開いてくれた歓迎会では、少量の飲み物をいただいただけで、最後まで食べ物には手を出さずに乗り切りました。
 茅原主任も食の細い人で、やきとりを三本くらい口にしただけだったので、わたしだけが目立つこともありませんでした。それに、この職場には、飲み物も食べ物も、無理に勧めてくるような人はいなかったのです。塔子さんは、ご両親よりも、ここの皆さんの影響を受けたのだろうなあ、なんてことを思いました。
 しかし、克仁さんからお誘いいただいているのは「お食事」なのです。わたしはお冷だけ、なんてわけにはいかないのです。
 とりあえず、これまでの三回は、こんな理由でお断りしています。
「その日は、塔子さんとお会いするので」
 わたしが塔子さんのお仕事のお手伝いをさせてもらっているという話は、克仁さんにもすでに伝えてあります。お手伝いの内容をでっちあげるのには苦労しました。ようするに、嘘ということになるのですけれど、これはもともと、克仁さんからのお誘いを断るためについた嘘ではありませんから、あまり責めないでほしいものです。
 ですが、もしも克仁さんからまたお食事に誘われてしまった場合、さすがに同じ理由で断るのは憚られます。塔子さんに対しても、悪い気がします。万が一、克仁さんが、おそろしいストーカーのような存在になってしまったとしたら、塔子さんにまで迷惑がかかってしまうかもしれませんしね。
 もちろん、克仁さんがそんな人なのだとしたら、一刻もはやく縁を切るべきなのでしょうけれど、いまのところそんな心配はなさそうです。わたしが気づかなくても、先に塔子さんが気づきそうです。塔子さんなら、返り討ちにしてしまいそうですらあります。
 いずれにしても、腸のことは隠しつつ、「わたしは他人とお食事を共にすることが苦手なのです」とお伝えしておいたほうが良いのでしょうね。
 わたしがあれこれ今後の対策を練っていると、後ろのほうで「あ、どうも」という映像部の岡田主任の声がしました。振り返ると、岡田主任が克仁さんにあいさつしているところでした。
 おやおや、まあまあ。噂をすれば。
 いえ、噂をしていたわけではなく、わたしが勝手に考えを巡らせていただけですね。
「いらっしゃいませ」
 わたしも、務めて冷静に、なおかつ普段どおりの笑顔で克仁さんに挨拶しました。
「あ、はい。いつも、どうも」
 克仁さんも、いつもどおり、少しどぎまぎした感じで言いました。それなのに、この方は、三度もわたしなんかをお食事に誘ってくれてしまうので、油断なりません。
「あの、小竹さん」
「はい」
 おっと、またでしょうか。今度は、ちゃんとお伝えしなければいけませんね。いや、ひょっとしたら、ただの商品に関する質問かもしれません。わたしのうぬぼれな勘違いであれば、それに越したことはありません。
「もしかして、食事に誘われるのご迷惑でしたか?」
 おや。ちょっと想定とは違う質問でしたね。でも、これは渡りに船でしょうか。
 いやいや、ここで、「はい、迷惑でした」なんて答えるのはひどすぎますね。嘘にはならないのでしょうけれど、べつに克仁さんに嫌ってほしいわけではありません。お店のことは、今後ともご贔屓にしていただきたいのです。
 さて、どういう返答をしたら良いものでしょうか。
「いえ……その……」
 曖昧な答えに、曖昧な表情です。これでは気まずくなるばかりではありませんか。やっぱり、腸が飛び出る前も後も、わたしの頭はぽんこつなのかもしれません。
 ひくひくひくひく。
「もし、食事が重すぎるのでしたら、お茶くらいならどうですか?」
 あら、お茶ですか。それなら、まあ。
 よく考えれば、食事に断られていた相手を再び誘う手段としては、あまり感心できない気もしますが、「食事」という行為をおそれすぎていたわたしは、つい「それなら、お時間のあるときに」と答えてしまいました。
「本当ですか?」
 わたしの返事を受けて、克仁さんの顔がぱっとはなやぎました。そんな顔をされると、もうわたしから「やっぱりなかったことに」とは言えそうにありません。
「あの、じゃあ、お暇な時間を教えていただけますか?」
 そうですね。お教えするしかないですね。
 結局、「明日は塔子さんとお会いする日ですし、そもそも急すぎてしまうので、その次の日曜日のお昼頃にお会いしましょう」とわたしのほうから予定まで立ててしまいました。
 克仁さんは、「うれしいです。ありがとうございます」と頭まで下げ、その後、ちょっとお高いせいか、なかなか売れずに困っていたアニメのブルーレイBOXをご購入されていきました。なんだか妙な罪悪感が押し寄せてきます。
「彼も熱心だねえ」
 笑顔の似合う岡田主任が、そう言って笑いました。
 わたしがそれを、心から喜べる身体だったら良かったのですけれどね。
とは、もちろん言えず、わたしは岡田主任に照れたような、困ったような、そんな顔をお見せすることしかできませんでした。
 ひくひくひく。