『東京腸女むすび』(8)

 わたしはたまに、塔子さんは天気を操ることができるのではないかと思うことがあります。なにしろ、彼女と会うときは、いつも雲ひとつないような快晴なのです。ひょっとしたら、塔子さんは雨というものを見たことがないのではないかとさえ思ってしまいます。
 塔子さんは現在、仰光堂やわたしの住むアパートから車で一時間ほどの場所にある小学校の教員住宅に住んでいます。きっと、この小学校は、いつも晴れてばかりで、プールの苦手な子にとっては辛い場所でしょう。
 さて、教員住宅とは言っても、塔子さんのお仕事が小学校の先生というわけではありません。それはそれで、たくましくかっこいい子供たちが育っていきそうですが、彼女は教員になるつもりはまったくないと言っていました。
 では、なぜ塔子さんが教員住宅に住んでいるのかというと、彼女と同居しているという幼馴染の男性が小学校の事務職員をされているからです。塔子さんご自身のお仕事がなんなのかは、わたしは今もなお、よく分かっていません。
 北海道に拠点を移してからも、塔子さんは以前のように、いろんなところへ飛びまわっています。もちろん東京へも何度も足を延ばしていて、つい先日も「東京誤認音頭まつり」という、なにやらおもしろそうなイベントの運営に関わっていたと聞きます。
 なんでも、二○二○年の東京オリンピック開催をこころ良く思わない人たちを集めて、あれはなにかの間違いだったのだ、ただの悪い夢だったのだ、と歌って踊って現実逃避するお祭りだったそうです。腸が飛び出ていなければ、ぜひとも、わたしも参加してみたかったものです。大勢でわいわいは苦手なわたしですが、塔子さんが運営に関わったイベントですから、きっとおもしろおかしいものだったにちがいありません。
「ちゃんとした歌も用意してたんだけど、みんな勝手に『♪とうきょう、ごっにん ♪とうきょう、ごっにん』って歌いだしちゃって、収拾つかなくなっちゃってね」
 見渡す限り畑と防風林という北海道らしい景色のなか、車を運転しながら塔子さんは、大盛況だったらしい「東京誤認音頭まつり」についてお話してくれます。車の苦手なわたしですが、塔子さんといっしょなら大丈夫です。
 苦手といっても、三半規管が弱すぎて、ということではありません。乗り物酔いという経験は、昔からほぼしたことがないのです。特に、腸が飛び出てからは、いたって健康ですからね。わたしが苦手なのは、車に乗ることではなく、車という道具そのものなのです。
 エンジン音のうるさい車に、わたしも腸もひっくひっくひっく。「うるさい車は大嫌い」という他の誰かの言葉に、わたしも腸もふんふんふん。
 鉄道依存な東京に対し、北海道は、どちらかといえば自動車依存の土地です。大規模な暴走族は、それほど多くないのでしょうけれど、やかましいエンジン音を聞かされることは、なんだか東京よりも多くなってしまった気がします。
 車がなければ、コンビニですら行くのが困難な場所もたくさんあるので、若者もお年寄りも車が手放せないのです。公共交通機関がもっと充実してくれないかぎり、これは仕方のないことなのでしょう。昔はもっと電車が走っていたそうなのですけれどね。
 車が手放せない環境なのは仕方ありませんが、自分の車に妙なプライドを持って、やたらめたらと大きな音をたてたりするのは勘弁してほしいものです。
 親御さんも、いくら車が必要不可欠だからといって、すぐにお子さんに自動車を買い与えてしまうのは、いかがなものでしょう。
 ひっくひっくひっく。
 わたしも腸も怒っています。
 その点、塔子さんは、運転は上手ですが、車に対して便利な道具という以上の思い入れは少しもないようです。
 最低限の整備はしているようですが、むやみやたらに飾りたてたり、存在を示すべく轟音をあげてみたり、みせびらかすようにあちこち乗り回したりということはありません。
 そんなことをしなくても、塔子さんご本人がかっこいい人なのですから、当然です。
 きゅんきゅんきゅん。
「そういえば、なっちゃん。遠出するのって久しぶり?」
「今年になってからは、はじめてです」
 助手席に乗っているのに、まったく助手らしいことはしていないわたしですが、塔子さんの横顔に見惚れながらも、質問にはしっかりお答えさせていただきます。いえ、ちょっと返事が遅かったくらいで、怒るような人ではないのですけれど。
「もし嫌だったら断っても良かったんだよ?」
「いえ! そんなめっそうもありません!」
 わたしは必死に否定します。
 塔子さんからのお誘いを断るだなんて、そんなこと!
 克仁さんからのお誘いは、もし最初から「お茶でもどうですか」というものだったなら、きっと断っていたでしょうけれどね。「お食事」という点で、あれこれ考えすぎてしまって、よけいにややこしいことになってしまいました。
 そうです。あとで、このことを塔子さんに相談しなければ。
 でも、今日はそんなことよりも、塔子さんがせっかくわたしなんかに振ってくれた役目をしっかり果たさなければなりません。
 そうなのです。今日はただ塔子さんとお会いするだけではなく、本当に塔子さんのお仕事のお手伝いをさせていただくのです。
 彼女は現在、ある映画のロケーションハンティングのお仕事に関わっているらしく、北海道でめぼしい場所をさがしては、写真を撮ったりしているそうです。
 塔子さんのお仕事がなんなのかよく分からないとわたしは言いましたが、それは塔子さんがなにをやっているのか、皆目見当もつかないという意味ではありません。先述のとおり、イベントの運営に携わってもいるようですし、今日のように映画のロケハンに協力したりもしています。
 分からないのは、具体的な塔子さんの職業の名称です。あんなこともやっているし、こんなこともやっているというのは、塔子さんが大学生の頃から変わりませんが、じゃあ彼女は何者なの? 彼女の肩書は? と問われると、ええと、もにょもにょ……となってしまうのです。「広い意味でのサービス業」という塔子さんご自身のお言葉以上の説明は、わたしにはできません。でも、肩書なんてどうでもいいことだと思います。
「じゃあ、あのへんで撮影しとこうか」
 塔子さんは、そう言って、いまはもう廃墟になってしまっている、古いパチンコ屋の跡地に入っていきました。
 運転中と変らない、畑と防風林ばかりの平野です。こんなところに廃墟とはいえ、パチンコ屋があるのは、なんだかシュールな景色にも思えます。
 駐車場だったと思われるアスファルトの上は、草が伸び放題になっています。塔子さんは、ひょいひょいと草を避け、写真撮影ができそうな場所をさがしているようです。
「ここならいいかな。なっちゃん、こっち来れる?」
 塔子さんに呼ばれ、わたしは彼女ほど軽やかではありませんでしたが、なんとか草を避けて、指定された場所に辿り着きます。辿り着くとは言っても、せいぜい半径五メートルくらいの範囲ですけれど。
「じゃあ、なっちゃん、そこに立ってて。べつにポーズとかはいらないんだけど、なんかする?」
「いえ、お恥ずかしいので、このままでお願いします」
「はーい。じゃ、撮るよー」
 塔子さんが、廃墟になったパチンコ屋をバックに立つわたしを、いくつかの角度から撮影します。そう、本日のお手伝いというのは、このようなモデルの真似事なのです。
 お恥ずかしい、お恥ずかしい。
 きゅっきゅっきゅっきゅっ。
 撮影候補地の写真を撮るだけのなに、どうしてモデルみたいな真似が必要なのかと思われるかもしれません。ですが、実際に人物が映っていたほうが、ロケハンにおいては好都合なのだといいます。言われてみれば確かに、という気がします。
「おっけー。じゃあ、移動しよっか」
 写真を撮り終えた塔子さんは、そう言って、車のほうへ移動していきます。わたしは、おぼつかない足取りで草を避けながら追いかけます。
「あの辺りも景色は良さそうだけど、牛舎があるなあ……」
「牛舎があると、なにか問題あるのですか?」
「いや、当然人もいるだろうからさあ。どうせたいした映画でもないし、たかがロケハンにいちいち挨拶とかしたくないんだよねえ」
 なるほど。わざわざ廃墟のような場所を選んで撮影したのは、そういう理由でしたか。
 いずれにしても、わたしも牛舎の近くで撮影するのは、あまり乗り気ではありません。
 わたしは、どうもこの牛舎というものが苦手なのです。
 牛乳が苦手ということもあります。牛さんの血走った眼がおそろしいということもあります。ですが、それだけのことでは、毎日がんばっている牛飼いのみなさんに対して失礼なことは言えません。それでも牛舎が苦手だと、公言してしまうのは、小学生のころのある同級生を思い出すからです。
 牛舎に限らず、畜産というものは、生きものを相手にするお仕事ですから、どうしても匂いの問題というのがついてまわります。
 わたしの通っていた小学校には、同級生にも上級生にも下級生にも、親が畜産のお仕事をしているという子供がいました。家のお手伝いをしている子もたくさんいましたが、みんな、ご両親から人一倍清潔でいるよう諭されているようでした。
 多少、寝藁などの匂いがついてしまうくらいならしょうがないかもしれませんが、さすがに仕事で使っている靴のままで登校したりするのは、いかがなものかということになりますしね。
 しかし、そのなかに一人だけ、あまりそういった清潔観念を強く持っていない女の子がいました。かなり強く、匂いを感じました。いまどき、牛舎の中でさえ、ここまで強く匂うことはないのではないかと思うくらいでした。そして、どういうわけか、彼女はいつもわたしをいじめてきました。
 サトウさんとの思い出とはまた別の、ほんとうに思い出したくない嫌な記憶です。
 なのに、牛舎の匂いは、その時の記憶を無理矢理こじ開けてしまうのです。
 代謝がほとんど停止状態で、おそらくお風呂も必要としなくなってしまったわたしが、それでも毎日せっせと自分の身体を洗っているのは、たぶん彼女のようにはなりたくないという思いもあるのでしょう。
 でも、これも心に閉まっておきましょう。
 幸い、塔子さんは、牛舎の近くでの写真撮影を行うつもりはないようでした。
「さて、そしたら今度はどこにしよっかな」
 塔子さんは、ノートに撮影した場所の住所や時間などを記録しています。
 ああ、そうでした。わたしの相談よりも先に、塔子さんにお伝えしなければいけないことがありました。
「そういえば塔子さん」
「ん? なに?」
 記載を終えた塔子さんが、わたしに向き直りました。
「茅原主任が、たまにはお父様たちにお顔を見せてあげてほしいとおっしゃってました」
「うーん……。主任に言われると、少し心が揺らぐけれど、やっぱりイヤだなあ」
 苦笑いする塔子さんは、いつもより少しだけ子供っぽく見えました。これはこれで、なんだかとても腸がきゅんきゅんしてしまいます。
「でも、なっちゃんだって、おばあちゃんのお墓参り、しばらくサボってるんでしょ?」
 痛いところを突かれてしまいました。
 ひくひくひく。