『東京腸女むすび』(9)

 両親は、ひとり娘であるわたしに「いつまでもふらふらバイト生活してないで、ちゃんとした仕事に就きなさい」とか「そろそろ結婚のことも考えないと」といった小言をまったく言ってきません。ありがたいことです。
 親戚のなかには、わたしのことを、地に足をつけないろくでもない娘だとお考えの人もいるかもしれませんが、わたしの耳に入ったことはありません。仰光堂で働きはじめてからは、ほとんど帰省してもいないので、なおさらです。
 ですが、インターネットを駆使して、世の中を見渡してみれば、わたしがどれだけ幸運なのかが分かります。小言を言われるだけではすまない人たちが大勢いらっしゃるようです。たいへん、心が痛みます。腸も痛みます。
 きゅるきゅるきゅる。
 大学時代のお友達からも、「あなたのご両親は優しい人でうらやましい」と言われました。
 たしかにそうです。わたしは幸福です。
 わたしにある種の呪いをかけた祖母でさえ、もし生きていたとしても、それこそせいぜいちょっとした小言くらいしか言わなかったように思います。ですが、世の中には小言だけではすまない人たちがたくさんいるという事実だけでも、わたしの心や腸はひくひくと痙攣しはじめます。
 そして、そういった人たちがたくさんいるという事実は、祖母のことを思い出すたびに、じんわりと心に浸食してくるのです。
 今では、いくら祖母のやさしい面だけを思い出そうとしても、「普通の女の子じゃなくなってしまうよ」という祖母の言葉、そして、サトウさんとお付き合いしていた時、よく夢に現れた、こわい顔をした祖母のことが忘れられなくなってしまいました。
 祖母が亡くなったのは、わたしが中学生のときでした。そういえば、亡くなるひと月前くらいにも、祖母は「七実の花嫁姿は見れそうにないね」と残念そうに呟いていました。
 わたしは、中学生の頃からすでに、結婚というものが、なんだかおそろしくてしょうがなかったので、祖母の言葉はちょっとした重圧でした。しかし、命が燃え尽きようとしている祖母に、そんな自分の思いを伝えることはできませんでした。
 祖母が亡くなり、両親と毎年のお墓参りをするときも、なんだか心の奥のほうで、祖母から「普通の女の子として幸せになりなさい」と言われているような気がしました。母は「おばあちゃんはいつだって見守ってくれているはずだから」と言いましたが、わたしは監視されているような気分ですらあったのです。
 大人になっていくにつれ、結婚というものへのおそろしさも大きくなっていきました。
 結局、祖母が亡くなり、成人式すら遠い記憶になりつつある今もなお、わたしは結婚とは縁遠い暮らしをしています。そして、わたしにとって祖母の眠るお墓は、実家以上に近寄りがたい場所になってしまったのです。

      ○      ○      ○

 祖母のことを思い出したせいで、なんだか気分が沈んでしまい、あやうく克仁さんとのことを塔子さんに相談するのを忘れてしまいそうになりました。ですが、なんとかロケハンを終えた帰りの車の中で思い出すことができました。
「へえ、お茶をねえ」
「食事がどうしてもいやだったので、お茶と言われて、なぜか安心してしまいました」
 そう言うと、塔子さんは笑ってくれました。笑っていただけると、問題の深刻さも薄れるようで助かります。笑いがいちばんです。
「まあ、お茶くらいならいいんじゃない? 一時間くらいは我慢して、どうしても気まずくなったら、『それじゃあ、今日はこのあたりで』って言って帰って来ちゃえばいいよ」
「そんなことで大丈夫でしょうか?」
「大丈夫大丈夫。そういう、しらーっとした帰り方をしておけば、ああこれは脈がないなって向こうも思うだろうし」
 なるほど。それはそうかもしれません。
 ふんふんふん。
 塔子さんに言われると、なんでも頷いてしまうわたしと腸なのでした。
ですが、ただ単に克仁さんとの関係をなくしたいわけではないのです。
「お店にはこれからも来ていただきたいんですよね」
「そこまで仰光堂の経営の心配をしなくていいと思うけど……」
 塔子さんは、そうおっしゃいますが、わたしのせいで常連さんが一人失われるというのは、これからお仕事を続けさせていただくうえで、申し訳なさすぎます。
「まあ、もしそいつが常連じゃなくなったら、あたしとあたしの友達で、そいつの分の何倍も買ってあげるよ」
「いやいや、それは……」
 なんて豪快な解決方法なのでしょう。そして、本当にやりかねないのが塔子さんです。お気持ちはありがたいですけれど、罪悪感で死んでしまいそうです。
 それを避けるためにも、克仁さんの関係をどうすべきかという問題には、真剣に取り組まなくてはなりません。
「それじゃあ、とにかく、はっきり振らずに、脈はないなと思わせることだよね」
 思案するわたしに、塔子さんが言います。
「脈がないと思って、そのままお店にも来てくれなくなるようなことはありませんか?」
「脈があろうがなかろうが、向こうが惚れてるだけのうちは、常連つづけてくれるでしょ? そうじゃなくても、仰光堂ほど品揃えのいい店はあの辺りにないんだから、アマチュアだろうが音楽活動やってるんなら、そうそう常連をやめたりしないんじゃないかな」
 そうですね。仰光堂の素晴らしさにもっとわたしも自信を持ったほうが良いのでしょう。あまり経営を心配しすぎるのも、それはそれで失礼なことです。
 そして、やはり克仁さんの音楽があまり心に響くものではなかったという感想は、胸に秘めたままにしておくのが良いようです。
「とにかく、ただのお友達以上の関係にならなければいいんですね」
「そうそう。なんとか、脈がなさそうに思わせて、それでもなっちゃんのことを眺めるくらいはしておきたいなあ、なんて感じさせれば一石二鳥じゃない? 常連も失わず、面倒な恋もなし。なっちゃんが惚れちゃってるって言うんなら、いろいろ思い悩んだりするだろうけど、そういうことじゃないんでしょ?」
 もちろんです。
 わたしも腸もしっかり肯定の態度をとります。
「じゃあ、たっぷり弄んじゃいなさいな」
 塔子さんのような社交術があれば、それも簡単なのかもしれませんけれどね。
 でも、せっかくいただいたアドバイスです。
 どうにか克仁さんとは、ただのお友達のままの関係を続けさせていただく方向に持っていきましょう。
 ついでに、これからも仰光堂にお金を落としてもらうようにしましょう。

      ○      ○      ○

 克仁さんとのお茶を控え、少々ナーバスになっていたせいか、わたしはお部屋でサトウさんとのことを思い出していました。
 サトウさんも、わたしと同じくらい食の細い人でした。
 そんなわたしとサトウさんは、いわゆるデートにおいて、外食というものをしたことがありません。
 映画館へ行ったときも、ポップコーンを買うことすらありませんでした。
 そもそも、わたしもサトウさんも、ポップコーンのバターの香りが苦手でしたし、映画は静かに観たいと思うタイプでした。
 いつも二人は、少しばかりの飲み物だけを口にしながら、映画を観たり、音楽を聴いたり、読んだ本のことをお話したり、サトウさんの映画に関するうんちくを聞かせてもらったり、わたしがおふざけしてみたり、サトウさんがこれまでに観てきた映画や読んできた本などを源泉としてとぷとぷと生み出した空想に聞き入ったり、わたしもその真似をしてみたり。そんなふうに過ごしていたのです。
 それでも、一度だけ、今も幸せな気分のままで思い出せるお食事がありました。
 東北地方に出かけたサトウさんが、お土産に買ってきてくれた「ハシモトアヤコさんちのブルーベリー」のことです。
「ヨーグルトに入れると、とても美味しいらしいですよ」
 サトウさんに負けず劣らず可愛らしいデザインの瓶に詰められたブルーベリーは、とてもつやつやしていて、これを歯で噛んでしまうのは申し訳ないなと思いました。申し訳ないと思いつつ、ちゅむっと口の中で潰したら、さぞ楽しいだろうなとも思いました。
「甘酸っぱさの強いヨーグルトにしてくださいね」
 わたしは牛乳が苦手なので、あまり牛乳の味の強すぎるヨーグルトはいただけないのです。
「大丈夫ですよ。ちゃんと用意してます」
 サトウさんは、わたし以上にお腹を大事にする人でした。なので、ヨーグルトにも少々うるさいサトウさんは、ちゃんとわたしの口にも合うような甘酸っぱいヨーグルトを用意してくれていました。
 甘酸っぱいヨーグルトと「ハシモトアヤコさんちのブルーベリー」の出会いは、奇跡ってこういうことでしょうか、なんて大げさなことを思ってしまうほど素晴らしいものでした。
「ハシモトアヤコさんとは、どんなお人なのでしょうね」
 わたしがサトウさんに問いました。
 サトウさんは、思考の五パーセントくらいで考えましたというようなお顔で言いました。
「きっと、髪の長い、イルカみたいなお顔をした可愛らしい人でしょう」
 その髪の長い、イルカみたいなお顔をした可愛らしいハシモトアヤコさんのつくったブルーベリーがあまりにも美味しいので、その日はそれだけで満足してしまいました。
 そのせいで、わたしは「その瓶をわたしにいただけませんか」と頼んでみるのを忘れてしまいました。
 じつに甘酸っぱい思い出です。
 きゅんきゅんきゅんきゅん。
 さて、明日はサトウさんではない男性といっしょに、どんな会話をしたら良いのでしょうか。