『東京腸女むすび』(10)

 裸のお付き合いというものを好む方が世の中にはいるそうです。
 好むどころか、それをしないと他人とは分かりあえないとすら考えている人もいるとか。
 おそろしいことです。
 その人たちは、秘密裡に「裸の付き合い教」という宗教団体をつくり、それは、この日本という国の歴史の影で、何十年も、何百年も暗躍しつづけているというのです。
 そんな彼らの最大の武器は「温泉」です。あの、裸が苦手な人間でも、すっかり骨抜きにされてしまう魅惑的なお湯の溜まった環境を次から次に手中に収め、裸を他人にさらすのはどうも嫌だなあと思っている人たちの衣服を『北風と太陽』における太陽のように、能動的に脱がせていくのです。
 油断していると、わたしも脱がされてしまうかもしれません。腸の飛び出た女だというのに。
「衣服を纏った者は、心の冷たい者だ」
「他人を信用しない、人としてあるまじき者だ」
「人はみな、この世に生まれ落ちたときは裸なり」
「服を脱げ。裸をさらせ」
「我らこそ、地球の、そして宇宙の平和を取り戻す者たちなり」
「裸の付き合い教、ここに見参!」
 おそろしや、おそろしや。
 くわばら、くわばら。
 ひくひくひくひく。
 克仁さんは、子供の頃、プールが苦手だったという話を聞かせてくれました。そして、世の中に存在する「裸の付き合い教信者」たちへの批判を述べはじめました。
 思いがけず興味深いお話だったので、わたしも腸も「ふんふん」と聞き入ってしまいます。
 この町唯一の非全国チェーンな喫茶店で、こんな話をしているのは、わたしたちだけでしょう。そもそも、わたしたち以外にお客さんがいませんでした。少なく見積もっても、あと十五人くらいは入れる店内なのですけれどね。
 仰光堂はともかく、この喫茶店の行く末は心配です。
「結局、ひどく短絡的なんだと思うんですよ。服を脱いだところで、心まで裸になるわけではないですし。それでも裸の付き合いを大事にしたがるっていうのは、単に露出狂なのかスケベなのかどちらかですよ。べつにヌーディストを否定するわけじゃないですけど、強要するものじゃないでしょう?」
 腸の飛び出た女にとって、裸をさらすことよりもおそろしいことは、なかなか思いつきません。腸が飛び出る前から、苦手だったくらいです。
 自分からお腹を見せて、しかも撫でてもらって心地良いな、などと思えたサトウさんは、やっぱりわたしにとって特別な人だったのだと思います。
「分かります。親や兄弟にだって、見せたくない人は見せたくないですものね」
 わたしはお腹の腸が「ふんふん」と頷くのを感じながら、克仁さんのお話に同意しました。
「そうです。世の中には、娘や妹の身体に欲情し、それだけでなく、実際に手を出すような男だって存在しますからね。裸の付き合いなんていうものを崇めるのは、そうした哀れな犠牲者たちのことをまったく考えていません。この国でもっとも忌むべき宗教は『裸の付き合い教』ですよ。しかも、その信者のなかには、想像力が大事だと日頃から馬鹿の一つ覚えのように繰り返している人たちが少なくないんです。貴様たちの言う想像力ってなんなのだ! ってことですよ」
 克仁さんは、どうやら芸術系の専門学校に通っていたそうです。そして、そこの講師や学生たちは、聞き飽きるほど「想像力、想像力」と言っていたのに、「裸の付き合い教」が持つ危険性には、まったく想像が至っていないのだと主張します。
「だいたい、この想像力って言葉も、なんだか胡散臭いんですよね。知識はないけれど、自分たちは賢い人間なんだって言いたがる人たちにとって、すごく都合の良い言葉になってる気がするんですよ」
「分かります、分かります」
 ふんふんふんふん。
 ついつい、わたしの納得力が暴走してしまいます。「納得力」という言葉は、サトウさんから教わったものですが、この力を暴走させてしまうのは、あまりよろしくないことだとも言っていました。ですが、実際に暴走してしまうと、わたし程度の人間には、止めようもないようです。腸も「ふんふん」しっぱなしです。
「分かってくれますか。……あ、ちょっと興奮しすぎましたね。すみません」
 克仁さんは、少し照れ笑いを浮かべながら、コーヒーを啜ります。わたしも自分の紅茶をひと口いただいておきました。
 コーヒー一杯と紅茶一杯で、一時間以上「裸の付き合い教」に対する悪口で盛り上がる男女というのは、喫茶店の経営者にとって、さぞかし迷惑な存在でしょう。他にお客さんがいないのは、お店のせいではなく、わたしたちのせいなのかもしれません。紅茶を飲んで少し落ち着いてみると、なんだかマスターさんの冷たい視線を感じるような気もします。
「いや、なんか、ちゃんと話を聞いてくれてうれしいです」
 ひと啜りのコーヒーで、克仁さんも落ち着きを取り戻したようでした。
 わたしは「いえいえ、楽しいお話でした」と答えます。
 お世辞ではなく、本心です。なにしろ、腸だって頷いていたのですからね。
 どうしてこんなお話になったのかは、よく覚えていませんけれど、楽しいお話だったことは間違いありません。
 こんなお話をするだけの間柄なら、なにも心配することはないかもしれません。でも、マスターさんの視線が痛いので、今度は別のお店にしましょうね。
 って、おやおや、またお会いするつもりで考えてしまっていました。でも、今日のお話の内容から考えれば、それほど色気のある展開にはならないことでしょう。
「あの、またいっしょにお茶してもらえますか?」
 コーヒーを飲み終えた克仁さんが言います。
「そうですね。たいへん楽しかったです。また、お会いしましょう」
 わたしは、曇りなく答えました。

      ○      ○      ○

 その日の夜は、夢にサトウさんが現れました。
「平日に恋人同士で神話についてお話すると、その恋人たちは一生の幸せが約束されるという神話があるのをご存知ですか?」
 お付き合いしていた頃と変らない様子のサトウさんが言いました。
「神話を語る神話というのは、なんだかヘンテコなお話ですね。そもそも、それは都市伝説といったほうが良いのではありませんか?」
 わたしはサトウさんに、そう尋ねてみましたけれど、夢の中では、わたしもサトウさんも神話と都市伝説の明確な違いを理解できていなかったので、肯定も否定もできませんでした。
「神話なのか都市伝説なのか分かりませんけれど、試してみるのも悪くないのではありませんか?」
 サトウさんが言いました。そして、「小竹さん、なにか面白い神話を知りませんか?」と聞いてきます。
 わたしは、神話とはいえない話をしたら、二人が引き裂かれてしまうというような裏があったらどうしようと思いましたが、きっとサトウさんも、こんな神話なのか都市伝説なのかも分からないお話を本気で信じているわけではないのでしょう。それならわたしも気にすることはありませんね。
「では、こんなお話をご存知ですか?」
 わたしは語りはじめます。


 むかし、ある地方にコロポックルという小人が住んでいました。
 彼らは、たいへんお人よしで、獲った獣や魚を自分たちだけでは食べず、近くの人間の家にもそっと置いていってくれたのです。
 でも、誰も彼らの姿を見たものはいませんでした。
 ある日、悪い人間がついにコロポックルを捕まえました。
 怒ったコロポックルは「この土地は、だんだんと枯れていくだろう」と言って、その土地から消えました。
 お人よしであるはずのコロポックルが、なぜその程度のことで怒ったのだろうと、悪い人間は自分の無礼を棚に上げて考えました。
 すると、山に住む老人が、こんなことを教えてくれました。
「彼らは、実はもっと良い物を食べているのです。そして、自分たちでは食べない、あまり味の良くないものを人間に分けていたのです。そのうち、いかに粗末なもので人間を喜ばせられるかを競い始めました。人間を馬鹿にするコンテストです。もともと、彼らはお人よしなんかではないのです」
 その話を聞いた悪い人間は、自分は人間を馬鹿にするコロポックルどもを追い払った英雄なのだと吹いてまわりましたが、獣や魚を分けてもらえなくなった村の人々からはげしい非難を浴びて、とうとうその土地を追いだされてしまいました。


「それは、神話ではなく、民話というものではありませんか?」
 わたしの話を聞き終えたサトウさんが言いました。
 でも、わたしもサトウさんも、神話と民話の明確な違いを理解していなかったので、肯定も否定もできませんでした。
 ただ、「コンテスト」という言葉は、神話にも民話にも、なんなら都市伝説にも似合いませんねと言って、二人で笑いました。
 そこで目が覚めました。
 夢の中のサトウさんは、サトウさんらしくもあり、なんだかちょっとサトウさんらしくない面もみえる、わたしの夢の中だけのサトウさんでした。
 信じているにせよ、いないにせよ、きっと本当のサトウさんは「一生の幸せが約束される」なんておまじないに手を出したりはしないでしょうからね。
 時計を見ると、ちょうど丑三つ時です。
 こわい顔をした祖母が出てくることはありませんでした。