『東京腸女むすび』(11)

「ちょっと心配してたけど、トラブルにはならなかったのかな?」
 春ごろ話題になった映画のブルーレイが発売になったので、わたしが販促ポップをせっせと組み立てていると、岡田主任から声をかけられました。
「トラブルってなんのことですか?」
「あの、ほら、お茶のこと」
 どうやら岡田主任は、克仁さんとわたしのお茶会がどうなったのか心配してくれているようでした。
「はい。たいへん楽しくお話させてもらいました」
「そりゃあ良かった。どちらかが、なんか深刻そうな顔して現れたら、どうしようかと思ってたんだよ」
 わたしなんかのことで岡田主任にまで心配をかけてしまって、申し訳ないことです。
「でも、よくOKしたね。本当に食事だけが苦手ってことなの?」
「はい。他の人の前で食事するのが、どうしても落ち着かなくて」
 嘘ではありません。すでにお話したように、もともと、そういう性格ではありましたし、今は「お腹の子」のことを考えるとなおさらです。
「まあ、うまくいったみたいで良かったよ。でも、もしなにか妙な感じになったら、すぐに誰かに連絡してね。塔子ちゃんでもいいだろうし。ああ、一番強い人なら鎌田店長かな?」
「でも、店長ってすごく忙しそうですよ」
「忙しそうに動いてみせてるだけだよ」
 岡田主任は、そう言って、お店の中をせかせかと歩き回る鎌田店長のほうを見ました。
 鎌田店長は、こちらに気づき、にっこり笑って会釈をしてきます。岡田主任とちがって、あまり笑顔がお似合いとは言えません。
 わたしたちも会釈で返します。
「岡田主任は助けてくれないんですか?」
 わたしがそう尋ねると、岡田主任は「僕は見ての通り、ひょろひょろだから」と言いました。
 塔子さんが「みんないい人だけど、茅原主任と岡田主任は、すごく喧嘩が弱そうなんだよね」と言っていたのを思い出しましたが、お伝えするべきことではありませんね。
「ご活躍する姿も見てみたいので、なにかあったら、必ず岡田主任にも連絡しますね」
「ええー……それは困ったなあ」
 大丈夫です。きっとみなさんに助けを求めなければいけないような事態にはなりませんから。
 わたしと岡田主任は、そのまま販促ポップの組み立てを続けました。
 仰光堂特製のエプロンの下では、腸がまったりと休んでいるようでした。

      ○      ○      ○

 お昼休憩の時間になりました。
 食事を必要としないわたしにとって、お昼の休憩時間というのは、お部屋にいる時以上になにもすることがありません。
 せいぜい、従業員以外立ち入り禁止と書かれたドアの向こう側の空間でぼーっとしているくらいです。
 あまりにいつも、そこでぼーっとしているので、最近では、なんだか邪魔になっているのではと心配になってきました。遅すぎる心配かもしれません。仰光堂のみなさんは、あまりに良い人すぎて、ぼーっとしているくらいでは、まったく叱ってくれないのです。
 そのことを克仁さんにお話すると、「もしよろしければ、休憩時間にデパートの喫茶店でまたお会いしませんか?」と誘われました。
 お昼休憩というのは、基本的に昼食を摂るためのものなので、わたしは「あの、申し訳ないですけれど、さっきも言いましたとおり、食事はしたくないのです」と答えました。もちろん、食事が必要のない身体であることを説明したわけではなく、昼食は摂らない主義なのですとお伝えしておいたのです。
 すると克仁さんは、「僕もあまり昼は食べないのですよ」と言いました。そういえば、これまでのお食事のお誘いも、どれも夕食へのお誘いでした。
 岡田主任にお伝えしたとおり、克仁さんとのお茶会は、たいへん楽しいお話ができたので、わたしはまた、それくらいならいいかなと思って、お誘いを受けることにしました。
 なので、今日は珍しく、お客さんが通れないドアの向こうでぼーっとすることはありません。お店のみなさんに迷惑がられる心配もありません。
 わたしはドアを抜け、裏口へと向かいます。今日は、ちょっとじめじめとした小雨が降っているので、傘を持って行ったほうがいいかもしれませんね。
 仰光堂の裏口から外へ出ると、ちょうど茅原主任が、近所のやきとり屋さんから出てくるところでした。きっと、歓迎会の時のように、二、三本で満足して出てきたのでしょう。これはこれで、やきとり屋さんにとって、あまり嬉しくないお客さんかもしれません。
「あ、珍しい。どっか行くの?」
「はい。ちょっとデパートの喫茶店に」
「ああ、そうなんだ。気をつけてね」
 気をつけるほどのことではないと思いますが、腸の飛び出た女に油断は禁物ですね。
それにしても、妙に茅原主任がうれしそうです。ひょっとして、わたしの心配どおり、ぼーっとするわたしに心の奥のほうでは、イライラしたりしていたのでしょうか。だとすれば、どれだけ深く頭を下げても足りません。
 わたしは「はい、気をつけて行ってまいります」と答えて、茅原主任と別れました。茅原主任に平穏な日々を送ってもらうためにも、わたしは今後ともお昼休憩をもっと有効に使わなければなりませんね。たとえば、楽しいお話を聞かせてもらうとか。
 さて、克仁さんは、今日はどんなお話を聞かせてくれるのでしょうか。