わたしは、今もなお、少年文学の名作『トム・ソーヤーの冒険』を最後まで読むことができていません。
しかし、私のお部屋の本棚には、『トム・ソーヤーの冒険』の古い文庫本があります。かつて、サトウさんからいただいたものです。
お付き合いしていた頃、わたしはこんな話をサトウさんにしました。
「サトウさん、『♪ロビン・フッドにトム・ソーヤー』という歌詞の歌をご存知ですか?」
「『ともだち讃歌』ですね。小学生の頃、キャンプで歌いました」
「わたしもキャンプで歌いました。父は、このメロディを『太郎さんの赤ちゃんが風邪ひいた』で覚えていたそうです」
「諸説あるようですけれど、基本的にはアメリカの『リパブリック讃歌』が元になっているようですね」
女性が作詞を務めた珍しい軍歌なのですと、サトウさんは教えてくれました。塔子さんほどではなかったかもしれませんが、サトウさんもわたしなんかよりは、とても物知りな人でした。
「わたし、ロビン・フッドもトム・ソーヤーも、いったいなにをした方なのか、恥ずかしながら存じていないのです」
いえ、さすがのわたしも、ロビン・フッドがイングランドの伝説上の人物で、トム・ソーヤーはマーク・トウェインの小説の主人公だということくらいは知っていました。けっして「海外のプロレスラーかしら」などと勘違いしていたわけではありません。
しかし、この二人が、その伝説や物語の中で、具体的にどんな活躍をしたのかは知らなかったのです。『ともだち讃歌』に出てくるくらいなのですから、きっとお友達になりたくなるような方々なのだろうと漠然と思っていただけでした。
「『トム・ソーヤーの冒険』なら二冊持っています。よろしかったら、一冊さしあげましょうか?」
「二冊もお持ちなんですか?」
「父親が持っていたものと、あとで新しく買い直したものとがあるんです」
「お好きなんですか?」
「ただ無知でわがままなだけの大人が『自分は少年の心を忘れていないんだ』なんて言っているのを見ると、殺意すら湧いてしまうくらいには、トム・ソーヤーの少年の心を愛しています」
サトウさんが、そこまで愛する物語なら、ぜひ読んでおかなければいけません。その時のわたしはそう考えました。
「わたしも読んでみたいので、一冊いただけますか?」
「古いほうと新しいほう、どちらが良いですか?」
「古いほうでお願いします」
そちらのほうが、なんとなくサトウさんが何度も読みこんだ気がしたからです。
お恥ずかしい理由です。
きゅっきゅっきゅっ。
そして、サトウさんから譲り受けた『トム・ソーヤーの冒険』を自分のお部屋で読み始めたのですが、物語のほんの前半部分、トムが日曜学校で大勢の人たちの前で十二使徒の最初の二人の名前を聞かれる場面で「なんて残酷なことを!」とおそろしくなり、本を閉じてしまったのです。
絶対にトムが失敗してしまう流れではありませんか。わたしが、ちょっと目を移動させただけで、哀れなトムは、大勢の前で恥をかいてしまうのです。
でも、サトウさんからせっかく譲っていただいた本です。読まないわけにはいきません。
わたしは、おそるおそる、もう一度本を開きました。そこには「ダビデとゴリアテ!」と叫ぶトムの様子が書かれていました。
ああ、なんてことでしょう。よりにもよって、そんな答えを。
マーク・トウェインさん、あなたは残酷です。そこで幕を閉じるのが思いやりだとおっしゃりますが、本当に思いやりがあるのなら、そもそもそんな場面を書かないであげてください。
結局わたしは、『トム・ソーヤーの冒険』をそれ以上読むことができなくなり、サトウさんにちゃんとした感想をお伝えすることも今だにできていないのです。
しかし、まさか、自分がトム並みに恥ずかしい思いをするとは思っていませんでした。ひょっとしたら『トム・ソーヤーの冒険』を最後まで読んでいれば、こんな場合の対応策も知ることができたのかもしれません。落ち着いたら、もういちど挑戦してみることにしましょう。
克仁さんとの、あまりに恥ずかしい喫茶店デートを終えたわたしは、その後、ぽやっとした感覚のまま仰光堂に戻りました。
お店のみなさんに心配をかけたくなかったので、裏口に着いた途端、ぱしぱしと自分の顔を叩き、なんとかいつもの表情を取り戻しました。取り戻せなかった場合のために、薬局で表情を隠すためのマスクも買っておきました。喉の調子がちょっと、という言い訳も考えてありました。
その苦労の甲斐あってか、「ひょっとして何かあった?」などと聞かれたりすることはありませんでしたが、自分のお部屋に戻ってきた今、なにか小さなミスを犯しているのではないかと心配になってきました。
お客さんにお釣りを多くお渡ししてしまったかもしれない。それが原因で、仰光堂の経営状況が急に傾いてしまうかもしれない。
いつもなら、お部屋に入れば、腸がきゅんきゅんと喜びはじめるのに、今日の腸はなんだかむすっとしています。お馬鹿なご主人に呆れているのかもしれません。
それにしても、どうしてまたお会いする約束なんてしてしまったのでしょう。
いえ、もちろん、今日ですっぱり克仁さんとはお別れしようと本気で考えていたわけではありません。そもそも、お友達程度の関係ならば、ずっとそのままで良いと思っているくらいなのです。
問題なのは、わざわざわたしから、次にお会いする予定を立ててしまったことです。
これって、やはり好意ととらえられるのでしょうか?
それに、克仁さんは「小竹さんのこと、いろいろ知れてよかったです」という、あまりわたしにとっては、穏やかではない台詞をおっしゃっていました。
ひょっとして、まずい流れでしょうか?
ひくひくひくひく。
○ ○ ○
「お茶以上の発展は望んでないんでしょ?」
二度目のロケハンのお手伝いのあと、わたしは塔子さんに、先日の克仁さんとの恥ずかしいデートのことをお話しました。腸が飛び出ていることは、相手が塔子さんであってもさすがにカミングアウトできないので、少々説明するのに苦労しました。
「望んでいないどころか、たった二回のお茶で、もううんざりしてます」
「なのに、彼のほうは、どうやらまだ友達以上の関係を望んでいそうなわけだ」
車のハンドルを右手の中指でぺちぺち叩きながら塔子さんが言います。運転中の彼女の癖なのです。
克仁さんが、わたしと友達以上の関係を望んでいるのかどうか。何度も申しておりますように、これがわたしのうぬぼれなら幸いなのですけれどね。
心なしか、腸はへとっとしていて、いつもより反応が鈍い気がします。塔子さんの美しい横顔を堪能する余裕もありません。
「うーん、たとえば、なんか普通なら恋人同士の距離が縮まるようなイベントに一緒に行ったのに、結局ただの友達にしかなれなかったってなったら、やっぱり脈なし判断になるんじゃないかな?」
塔子さんは、またアドバイスをくれました。ですが、いくら塔子さんのアドバイスが適格なものでも、わたしのようなぽんこつさんが当事者となると、うまくいく気がまったくしません。
「いや、あたしも恋愛とか疎いからね。的確なアドバイスができてるとは思ってないよ。そもそも恋愛したことないもん。面倒くさい」
そういえば、同居人の幼馴染さんとも、あくまで同居人というだけのことで、恋愛関係ではないようです。
「でも、なっちゃんから誘っておいて、結局色気のある展開はなしっていう感じなら、結構効果あるんじゃないかな」
ああ、そういう話はわたしもなにかで聞いたことがあります。たしか、男が考える、萎えるデートでの女性の反応、みたいなお話です。
たしか、女性の側が行きたいと言っていた場所に連れていったり、高い料理をご馳走しても、特に目立ったリアクションはなく、男性がたっぷり散財したあとで、その日の別れ際に「わたしたち、いいお友達になれそうだね」と告げるというやつです。
これはたしかに、効果がありそうな気がします。試してみる価値はありそうです。試すことがわたしに可能かどうかは別ですけれど。
いや、次にお会いする予定は、わたしのほうから立てたのですから、きっとできるはずです。
なにか、色気を感じさせるイベントにお誘いして、別れ際に「いいお友達になれそうですね」と告げることにしましょう。